家計簿を念入りに付ければ自然と生活が豊かになるものだとかつては漠然と考えていた.実際それはある面では正しく,家計に関する長期的な考えを培うことができたが,一方で結果としては己の相対的貧しさがただ可視化されていくだけだった.
20代も後半になると,学生時代にえがいた将来図と現実の剥離が目の前へと迫ってくるようだ.交友関係の広さや深さ,そして趣味の数が,自分の経済事情とそぐわないことをつくづく痛感する.わたしのこの経済状況であれば,本来であれば趣味無し友達無し恋人無しで生きるのが相場であっただろう.趣味や友人や恋人を大切にするためにはお金がいるのだ.なにもそれは一緒に旅行に行くお金がないとかそういう問題ではなくて,もっとささやかなこと,たとえば……そうたとえば,疲れてトゲトゲした心の内面を他人にぶつけないだけの心の余裕,ついかっとなって「あなたはいいですよね,私の倍お給料をもらってるんだから」とわめかない心の余裕,友人と一緒に喫茶店でコーヒーを飲んで価格を10円単位で気にしない心の余裕,今楽しんでいる趣味を「楽しんでもいいんだ」と肯定できるだけの心の余裕――心の余裕にはお金がいる.
仕事の忙しさや人間関係の悩み,そういう弱音は,友人や家族に相談できる,愚痴を話せる.でもお金の弱音は誰にもできない.恋人とだって,そうだ.結婚などの将来のことを考えれば考えるほど,「あなたほど魅力的な人間なのだから,わたしのようなワーキングプアではなく,もっといいひとを見つけた方がいいですよ」と,口を滑らせていってしまいそうになる.そういうときっと相手は傷つくだろうことがわかっているので言わないようにしている,けれど,言わないためにもやはり心の余裕が必要なんだ.
きっとこれからどんどんいろんなものを失っていき,いろんなものがわたしから離れていくのだろう.
来月は12月だ.
金がない.
心に余裕がないからお金がないっていう逆の因果関係かもしれないじゃんと言ってみる
あーそれもあるのかもしれないなあ 余裕がない状態で寂しさを覚えると,現実に存在する「もの」で心の隙間を埋めたくなるし
自分も家計の見直しをして、色々把握した結果 支出をどれだけ少なくしても収入が少なくては その効果は微々たる物だということだけが現実として残った。
確かに支出の制限によって得られるものは限度がある(収入の額を決して超えられない)けどさ。 収入が増えれば支出が増えるという法則があるし、支出を制限する習慣自体は大切じゃ...