「選択できない、何も信じられない」って、
自分が好きなことっていっても数時間後には変わるし、自分も、周りも、何も信じられない。根拠なんて永遠にないだろうし。
そんななかで選択するのがつらい。選択はだからいつも悩む。選べない。永遠にわからない。
むしろ悩むこと自体が無駄なのかも。だって永遠にわからないし。
将来、もっと明確にはっきりした答えが出ると思って、だから今は選択を留保しようなんて考えるんだけど、一向にその気配はない。
ってことだよね。(前提がまず間違ってるかもしれないけど
じゃあ、どうやって選べばいいのか考えてみた。
最初に思ったのは、ハンターハンターの試験(ジョネスがでるところ)のように左右を選択するように、根拠なしに突っ走るとよいのではないかということだ。
しかし、「そんなこといったって選ぶことはできない。そのまま進まなくてもいいならそうしたい。」と思ってしまう日が来そう。
もう1つ、これより条件は厳しめだが、考えてみた。
あるバンドのボーカルがなぜ何年も音楽を続けてこれたかという質問に
「ここまでやってきたから・・」と答えてた。
とにかく時間をベットしてしまうやり方だ。そのやった時間が長ければ長いほど、人はやめることが困難になるときく。
それを利用しつくせばいい。得る事より、失うことのほうに人は執着する。
・・・うーん。なんか穴がある気がする。
上2つを合わせてみる。最初、若いうちは根拠なく左右を選ぶ。その中で少しだけでも周囲より特化したパラメータができる。
それを延ばしていく選択をしていく。それだと選択がより容易になるというのはどうだろう。
そもそも、なぜこういうことを書いているかというと、最近まで「好きなものスパイラル」に落込んでいて、鼻息荒く好きなものを探していたんだが、その行為に挫折したからに他なりません。そこで思ったのは、大切なものは、時間をかけた中でしか、過去にしかない。だから、好きなものをみつけることなんて出来ないということだった。
好きなものってそもそも、やってるだけでホワーっとなるもののことなの?
クリエーター系の人はみんな好きなことやってると思われてるの?好きだからこそ特化できると思われているの?
宮崎駿はその頂点の人だけれど、彼は楽しそうかな。好きなことやってるのかな?
ドキュメンタリーとか観る限り、すごい苦しそうだ。
何かを続ける、信じ続けるっていうのは、絶対に疑いが入ってくるのではないか。それが無駄なことだとわかっていたとしても、
信じられない、信じるを毎日繰り返している。だから、好きなこととかいうのがあって、それだと自分が何の疑いもなく邁進できるっていうことはない。甘えられる好きなことはない。
はっきり言ってしまえば、対象物なんてどうでもいい。何だって同じ。市場価値を除くと。
掘り下げられる能力。それがあるかないか。何かを極めた人は挫折しても、なぜかまた他の事を極められたりする人が多い。
それは掘り下げられる能力。探究心があるから。これは自分の経験からみて、悲しいかな持って生まれたものな気がする。明らかに人は生まれたときから不平等であるし、それは生物である限り当たり前のこと。
そういう人には一生かかってもある物差しで比べれば一生勝てない。でも悲しむ必要はない。
自分がやらなくても、やっても周りからすればどうだっていい。誰も期待してない。
でも、負け試合でも本気でやれば、擬似的でも目的は生まれる。目的がないことには日常が退屈すぎて耐えられない。
だから、負け試合でもどれだけ距離を縮めたかを密かな楽しみにして生きてればいいのではないか。
・・・あれ、話が変な方向に。
あ、最近こんなことを思いました。それだけです。