2014-08-27

クズと世の中と変化と

世の中、どのクラスにもクズはいる。

厄介なのはクズが必ずしも馬鹿なわけじゃないこと。

少なくとも、自分が影響しうる範囲世界)の仕組みはちゃんと理解して、他の誰よりも順応し、他の誰よりも効率的対処方法感覚

とらえている。

から、人よりも多くの収入を得て、高い位置に座っている。

正直、大したものだと思う。

なぜかって、自分には真似できないからね。

ただ、真似できないことが残念なことかどうかはまた別の話。

でも、これを堂々と言ったところで、単なる負け犬の遠吠えしかならないのはよく知ってる。

そもそも、クズ定義って何か?

クズ解釈は人それぞれかもしれないから、これはあくまで俺の意見

クズっていうのは、自分のことしかえれないやつのこと。

たとえ、自分の目の前で死にかけている人がいたとしても、自分の都合を優先できるやつのこと。

自分の言動で、他人が傷ついたり、不幸になっても気にならないか、そもそも気づかない奴のこと。

他の誰よりも、自分が大好きな奴のこと。

この定義だと、金持ち貧乏人も、頭のいい奴も悪い奴も、女も男も全く関係ない。

ただ、貧乏人の一般人であれば、こんな奴がいたとしてもそれほど問題ない。

自分が関わらなければいいだけだから

でも、これが金持ち権力者だったらどうだろう。特に自分上司、または会社経営者、果ては政治家だったりしたら。。。

この手の人種は、自分愛が強くて出世欲、金銭欲が常軌を逸していることが多い。

普段から人を蹴落とすことしか考えてないから、意外にその道には長けてくる。

自分が望むものを手にするためなら、良心羞恥心も感じずにいられる。

から、世の中というピラミッドの、割と上層階にいることが多い。

しかしたら、上層階への上がるための資質なのかもしれないとすら思う。

しかし、このクズ連中の存在は、他の人間にとっては不幸でしかない。

そりゃそうだよな、金もあって権力もある人間が、自分のことしか考えられないクズなんだから、その周囲にいるまじめで愛すべき

人間たちにはいことなんてあるはずがない。

じゃあ、多くの善良な人たちはどうすればいいのか?

ただただ、耐えるのか。良心の呵責に悩まされながらもある程度順応するのか。

もちろん、好んで群がるコバエのよな連中もいるのは事実だが、所詮、コバエはコバエ。

群がる対象がいなくなれば、他のクズを探しにいくだけのこと。

そんな連中のことはどうでもいい。

耐えるか、自分を騙して順応するのか、それしか選択肢がないってのは公平じゃない。

わがまま放題のクズに、一矢報いることを真剣に考えたっていい。

もちろん、行動に起こしたっていい。

もろともクズ道に落ちることさえなければ、大義はこの人たちにある、と思う。

行動に起こすことは、良くも悪くも変化をもらたらす。

変化した後の世の中を作っていいのは、行動を起こした人の特権であり、責任であると思う。

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