→鳥瞰的に物事を引いて見ず、どんどん行動に移して人生を楽しむ
なんてことが書かれていたが、実際に誰もが日常生活の中でボケを発するなんて、そんなことが日本社会で許されるだろうか?
よく考えてみよう、顔を合わせる集団の中で「笑うことが許されるボケ」なんていうのは集団の中でトップクラスの権力が無いと発言することは許されない。
ボケに笑うという行為は「負ける」ことと同じ意味。権力の高い人間が低い人間にわざわざ負けるような素振りを見せるわけがない。
権力の無い下っ端が意図的に笑わせようとして発したボケなんか集団の中で誰が笑ってくれる?
そんなものボケてもいいコーナーが設けられていない限り、誰もがボケることなどできない。
ボケというのは場の支配者が発言するもの。ブログやツイッターは自分のアカウント内という「場」の中では自由にボケることが出来るだろう。しかし実際に顔を突き合わせる集団の中ではその空間内での権力のヒエラルキーを確認しなければ大ヤケドを負う。
例えば、企画会議の席。プロデューサー、マネージャー、ディレクター、スタッフが同じ部屋に集まり顔を突き合わせる場でボケを発することができるのは、一番権力の高い立場であるプロデューサーのみだ。
下っ端のスタッフが自らのボケで笑わせるなんてほぼ不可能。せいぜい天然ボケをかまして笑われるくらいしか無い。
学校の同じクラス内。授業中や休み時間にヒエラルキーの最下層であるオタクやいじめられっ子が、自ら考案したボケを発して周りは無邪気に笑ってくれるか?大抵クラスで一番トップの男子のボケや弱い立場の生徒をイジったりすることで笑いが起こる。
ダウンタウンがしゃべる番組は権力の頂点である松本のボケが一番面白くなければならない。下っ端の芸人は決められたコーナーの中でしかボケられないし、相方の浜田や側近しか松本に突っ込むことはできない。ゲストは天然ボケしか許されない。