人に恵まれ地位に恵まれ才に恵まれ、子宝にも恵まれた。
何一つ申し分のない人生だ。
価値がないとは言い過ぎだろうか。
満足感や安心感が得られないのだ。
私は常に言い知れぬ不安を感じている。
よき父、よき夫として生きてきた。
妻も娘達も私を誇ってくれている。
しかし当の私はそうではない。
人はこのような私を見て、謙虚な聖人と思うかもしれないが、違う。
私は人を見下している。
表には出さないが、いい年をして定職についていなかったり、年収が四百万を割るような男は塵だと感じる。
遭難などして罪に問われない状況ならば、私は平気でその血肉を食らって空腹を満たすだろう。
私を生かすために命を投げ出して当然の存在だ。
社会構造に包まれて見え難いだけで、これは日常の出来事の延長だ。
私は彼らを食い荒らして、妻子に贅沢をさせており、それを当然と受け止めている。
また、片親として私を育ててくれた母から、性的な虐待と呼べるような仕打ちを受けていた。
そして誰よりも物覚えがよく、賢かった。
自己を肯定的に捉える能力は幼少期に学習されるものなのだろう。
私は一生このまま、人に羨まれ、人を蔑み、自己を蔑み生きていくのだろう。
これから人の親になろうという人に頼みたい。
願わくば、私のように恵まれているはずの不幸な人間を作らないで欲しい。
幸せは勝ち取る物ではない。
ただしそれを生産する能力は幼少期に獲得されなければならない。
他に何もなくとも、人を愛せる人間を育てて欲しいと、切に願う。
文章が若い。やりなおし。
30代半ばで独身で彼女もおらず年収も400万円に届かないクズです。 我々のようなクズの多くは、死にたいと思っています。 楽に死ねる施設や制度を、あなたのような立派な人に作ってほ...
成功者でも性格が悪い例はある!と叫びたい人が書いたような文章だな笑