直接的なきっかけはテレビで豆腐アイドルグループを見かけた事なのかもしれないが、実際の所、冷蔵庫に豆腐を切らさなくなったのは一年以上前だからおれの頭に豆腐が住みついたのはもっと前の事なのだと思う。
いつのまにやら町を歩けば豆腐一色でなんだか眩暈がしそうになる。最初から豆腐は白一色だって?そんなことはわかっているさ。おれが言いたいのはそんなことじゃあない。豆腐にしろ豆乳にしろなんであんなに優しいんだろうな。
この間の衆議院選挙、特に東京地区の争点が豆腐だったことは記憶に新しい。テレビ番組で行われた党首討論にて厚揚げはともかく油揚げは豆腐なのか、そもそも「揚げ」という言葉に油での調理の意味合いが含まれているのに「油揚げ」とは二重表現ではないのかという問題提起がされたのを皮切りに、豆腐屋で販売するがんもどきに味がついていればその場で食べらるので都民の生活が向上するという論文を引用して大衆に媚びる候補者や、それは惣菜屋の仕事であって豆腐屋の仕事では無い。労働者は一致団結し豆腐屋によるがんもどきの煮物は断固として阻止すべきという一派も現れた。豆腐は神の使いだとか、豆腐の起源は韓国だとか言っている人もいたようだが詳しくは知らない。
近年、豆腐サイズの自由化が一層進んだせいで一丁と言っても150gなのか300gなのかわからなくなりつつあることはおれも憂慮している。脱ゆとり教育後の豆腐教育については関心のあるテーマだがその点を取り上げる政党および候補者は見当たらなかったから投票に行くのは気が進まなかったのだけど投票しない人間はクズ人間だという風潮に押し流されてなんとなく投票所にまで行ってみた。いろいろ悩んだ末に投票用紙の候補者名を書く黒い線の枠の外側に何本か線を書き足して、立体感のある長方形に仕立て上げた。もちろん豆腐を表現したつもりだ。投票をカウントする係りの人に伝わるかどうかはわからない。
選挙からしばらく経ったけど東京都における豆腐行政に何か変化はあったのだろうか。元来おれは政治にあまり興味はないのだ。昔から豆腐も政治とは無関係に作られてきたし、食べられてきた。
昔に比べればスーパーでオカラを見つけることは難しくなったような気がするし、充填豆腐が増えたことも事実だ。パックのフィルムも断然剥がしやすくなったと思う。豆腐屋の店先で鍋を差し出して豆腐を二丁くださいな、なんてことはもう誰もやらなくなったけど町の豆腐屋はなくならない。時代の流れに合わせながら豆腐は水の中に佇む。流れに立ち向かっても豆腐は崩れてしまうからね。豆腐のように白く、柔らかく生きていきたい。