ずっとずっと前、まだポケベルから携帯に移行しかけていた頃の話。
もてない僕にもようやく彼女ができた時期があった。
他人から見れば普通かもしれないけど、自分の中では僕とは釣り合わないくらい
かわいいと思える人だった。一応、さとみさんとしておこう。
きっかけは営業先の飲み会に呼ばれたこと。連絡先としてポケベルの番号を
渡したら連絡をくれ、ちょっとずつ仲良くなっていった。
話は少し前にさかのぼる。さとみさんと知り合う前から、とある作家のファンの集まるイベントで
ときどき東京に遊びにきていた。その作家のファンはとある店にたまっていた。
途中からは店自体の雰囲気が好きで、イベントに関係なく東京に来るようになっていたのだが。
このお店で知り合ったのが華子さんだった。僕よりも年上で、面倒見がよく、おまけに美人だった。
話すきっかけはマスターが「年が近いから面倒を見てやれ」と華子さんに言ったことだった。
田舎から上京した僕に知り合いがいないのはかわいそうだということだったらしい。
もちろん、男女という関係になるはずもなく、華子さんに「東京に来たらここに行くといい」
とか「このお店が美味しい」とか色々教えてもらったり、「東京に来る前に必ず電話するんだよ」と
言われたり、姉貴分のような感じだった。この店以外でも食事に連れて行ってくれたりもした。
さとみさんとの付き合いが始まってからは、色々と気にしてくれ、電話でアドバイスをもらったりもした。
アドバイスのおかげかどうかわからないが、さとみさんとの付き合いは結構順調だったように思う。
神戸までルミナリエを見に行ったりした。こっちの仕事が遅いときはポケベルにメッセージを
僕 「今週末、東京に行ってくる」
さとみさん 「何をしに?」
僕は嘘も良くないと思い、やましい関係でもないから、作家のファンの集いがあること、
華子さんという姉貴分がいること、二人のことを応援してくれていることを話した。
華子さん自体はいつもと変わらず、イベント後、僕をとあるイタリア料理の店に連れて行ってくれた。
周りから見ると、僕とさとみさん以上に不釣り合いなカップルだったろう。
でも華子さんは相変わらず快活で面倒見が良かった。
「ここにさとみさんを連れてくるといいよ」とか「デートはやっぱり男の人が誘ってあげないと駄目だよ」
とか話してくれた。おまけにお土産にワインやチーズ、その他輸入食材までくれた。
わざわざ買っておいてくれたらしい。さとみさんと一緒に食べなさい、ということらしい。
その頃は田舎でこんなおしゃれな食材はなかった、というか僕は目にしていなかった。
二人でどちらかの部屋でおしゃれに食事というのが華子さんのイメージらしい。
とてもうれしかった。
東京から帰って、さとみさんに電話。あまり乗り気じゃないみたい。
よくある話で、華子さんのことが気に入らないらしい。多分僕のぱっとしないところも嫌になったんだろう。
さとみさんに真剣だった僕は何回か電話をかけ、営業先でも無理くり話しかけ、
ようやく会う段取りを整えた。でも話も弾まず、華子さんのお土産も逆効果だった。
もう終わりにしたいとのこと。
ありきたりだけど、僕はへこんだ。仕事もだめ、何もやる気がおきない。
「イベントがあるからまた店に集まろうよ。それと、さとみさんとはうまく行っているのかな」と。
このときの会話で今の僕がある。
華子さん曰く
「私と食事したくらいで駄目になる関係ならこの先どっかで駄目になる」
「他にも女性はたくさんいる」
「女性から振った場合、元に戻る可能性は低いから忘れたほうがいい」
「向こうから別れたいと言ってくれたからよかったんだよ。君が納得すればもめないんだから」
「万が一連絡が来て、まだ未練があったら正直に好きだと言いなさい。吹っ切れていたら
ストレートにその気はないと言いなさい、まあ向こうからの連絡はないとは思うけどね。
もし連絡が来て断りにくいときは適当に私の名前を使っていいから」
多分、僕を元気づけるためだろうが、
「さとみさんと私、どっちと食事したい?絶対私だよね」
「君のことをいい人だと思うから一緒に食事してんだよ」
とも言ってくれた。ちなみに後から知ったがこのとき華子さん婚約中。
本当に華子さんの面倒見の良さには頭が上がらない。
これでだいぶ吹っ切れた。
仕事もなんとかできるようになり、日常生活が元に戻りかけたころ、なんとさとみさんから電話。
追いかけると駄目で引くといい場合があるというのは本当らしい。
でも僕の方はだいぶ吹っ切れていた。おまけに転職して東京に行く気になっていた。
華子さんのことだけではなくて、東京で生活したいと思っていた。
そのことを正直に話すと電話は切れた。
その後、二回電話があったが、僕自身は変に冷静になっていた。
さとみさんを逃したらもう女性と付き合うことはないかもしれないけど、
それでも東京で生活するぞなんて考えてた。
結局僕はそれをきっかけに東京で生活するようになり、今も華子さんとは姉貴分としての