はてなキーワード: ハイディ矢野とは
日本人の無意識に抱えている、ネイティブスピーカーへのあこがれは
ときには、動機付けになるが、多方、語学学習の阻害要因にもなりうる。
とくに、ネイティブ並みのコミュニケーション能力を目指す考え方は
恥ずかしい発音をしたくない、文法含め、間違ったことをいって恥をかきたくない、という心理が
どれだけ機会損失につながっているか、実践訓練を妨げているかわからない。
特に日本人同士では顕著だ。日本人同士で「あのさ、お前何言ってんの?」とは絶対に思われたくない心理。
なので、例えば、自分よりも会話能力が上回っていると感じた日本人とは自然と会話自体を控えるようになってしまう。
一方、留学したり海外旅行では、日本人の視線を感じないことも多いため、堂々と間違えることができる。
留学時、なるべく、日本人と接しないようにした、と告白する人が語学を身に着けていくのはそれなりの理由がある。
最近、フィリピン留学などが流行しているようだが、これは、非ネイティブという利点を有効に活用できてよいと思う。
ネイティブ並みを目指しているひとにとって、未熟な言葉をネイティブと会話するよりも恥ずかしさは少ないはずだ。
そのうちに、経験や機会を阻害していた自分自身のネイティブ並みへのこだわりも消えていくかもしれない。
忍者ハットリくんやマンガ道などで知られる藤子不二雄A。そのなかに「添乗さん」という作品がある。
これは1970年代、高度成長期を上り詰め、一般の日本人が海外ツアー旅行に行き始めた時代を背景に
添乗員の悲哀を通じて、人々の海外旅行観をコミカルに映しとったた名作だ。
この作品は、個人的には同氏の最高傑作のひとつだと思っている。
見開き2ページで構成された、この小噺集のなかに、とあるエピソードで
ネイティブ英語を鍛えてきたと自負するおっさんがハワイ行の機内でドリンクを注文する場面が登場する。
添乗員に対して「キミィ。英語のわかるスチュワーデスを呼んできてくれたまえ」といって、やってきたのは
しかし「スカッチャンドワーラー、プリーズ」と話しかけるものの、
見かねた添乗員さんが、スコッチを欲しいと言っています、とコソっと耳打ちすると
「オー、スコッチ・アンド・ウォーター!オーケー」といって、おっさん語をようやく理解できてスッキリした表情。
その他のエピソードでも藤子不二雄Aの観察眼はいろいろと鋭い。
当時は、「百万人の英語」のハイディ矢野などを通じて、リエゾンの重要性を洗脳されていた時代である。
試しにネイティブの発音をマネしてかっこつけて話そうとすると、通じないことが多かった。
恐らく、ニューヨーカーの発音、南部なまり、西海岸の英語、オセアニア系、ブリティッシュ英語、これらをジョークとして使い分けられる程度の能力があれば
相手に応じて、発音のコントロールができて、通じるようになるような気がしている。
えてして、ネイティブの多様性を理解できず、山形弁をマネしようとして失敗しちゃってる奴が大阪で話をしているようなものである。
しかし、それはあたかも大阪弁と山形弁を使い分ける変なガイジンなんであって、何を目指しているのか、という自問自答になるだろう。