2022-01-03

Webは、素朴な野次を吐き出せる無力で無責任便所の落書きになれないのかな

料理人ファストフードを食って評価する番組で、見た目だけで結構なことを言ったから叩かれてるみたいなのが話題になってて思うんだけど、あれを見て「この料理人の態度腹立つな~!」ってなること自体自然だし、それを誰かに言いたくなるのも人間心理としておかしくないんだけど、それがそこそこデカダメージになってしまう今の世の中の仕組み(主にインターネットのせい)というのが、問題なんだと思うわ。

バラエティなんか本気にしてるのかとか、そもそもくだらない番組なんだし見るなみたいな賢しらぶった説教は、一般大衆生活心理全然マッチしないかあん意味がない。

メディアに対してムカっときて、それについて誰かに愚痴を垂れたり悪感情を分かち合いつつも全体としては面白がってるみたいなのが、近現代の人の生活としては自然なわけよな。

リアリティショーもそうだし、ペットショップ初売りを謳うのは倫理的になんか抵抗がある(でもそもそもペットショップ存在や、ペットを飼いたい欲望はどうなんだというのは棚に上げてね)とかもそうだ。

噂話だって同じようなもの

「この政治家、顔がもう悪人だよなあ」とか「このCMって説教臭くて腹立つ」とか「このタレントマジで老害でろくでもない」とかを、家族なり友人なり居酒屋で一緒のテレビを見てる人なりに言って、我々はコンテンツを消費してきたわけだ。

逆にプラス方向で、この人がカッコイイ、かわいい、頭がいい、善玉レスラーは悪玉レスラーに負けなくてステキ、みたいなのも楽しんできた。

メディアは作り物だとか、印象批判外見批判はよくないとかの、「正しくて冷静な考え方」はとりあえずさておいて、素朴な感想をそこそこ熱を入れて言い合うからコンテンツ面白い。

そんで、現代においてそういう素朴な感想を吐き出す場として、家族との居間居酒屋だけでなくWebというのもデカくなってきた。

だがWebが、実際的なパワーを持ちはじめたのが問題なのだ

より正確に言えば、WebWebメディアWebサービスは、パワーをもってよいちゃんと考えられた発言と、家庭や居酒屋酔っ払い野次みたいな無力だからこそ無責任に楽しめる発言を、どちらも同じように扱ってパワーを与えてしまう。それが問題だ。

正しくて冷静な有識者は、「インターネット公共空間なので、家の中や飲み屋みたいな無責任な場のように思いたがるのがそもそも間違い」と言うのかもしれないが、SNSの手軽な手触りとは乖離した考え方だし、何より、その考え方はひどく寂しく感じる。

人と人の交流やそれにともなう人生の楽しみって、感動的で美しいアレコレよりも、くだらなくて頭の悪い話をする日常の積み重ねでできていると私は確信しているのだが、Webはそういうくだらなくて大切な交流の機会を、それまで得づらかった人にも与えてくれたはずなのに、無くすべきだというのは寂しすぎる。

シェフ審査員の態度が気に食わない」も「格付けのYOSHIKIがかっこいい」も「ディズニーポリコレがうざすぎ」も「萌えヒロインの振る舞いにトラウマが蘇って許せない」も「私の百合子…♡」も「俺の推し配信者が男配信者と絡みだして最悪」も、Webがそれを雑に吐き出せて何の力も持たずどこかに流れていってしまう場であればほとんどの人は人生ちょっと楽しくなるはずなのに。

こんな力、いらなかった……!

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