党派性による誘導目的の主張だと思われるのは嫌なので最初に書くと、今回は他と維新で少し迷って維新に入れた。
むしろここではこっちの方が多くの人から冷たい目で見られる気がする。
確か自民が圧勝した2014年衆院選で、事前予想でも圧勝だったので勝ちすぎは良くない、だけど民主もないなと思ったので共産へ。
開票直後に自民側の一部は、惨敗した民主をさらになじるために共産を持ち上げて唯一まともな野党とすら評した年だったと思う。
そのときはアレルギー云々は少なくとも大きな声ではなかったような気がする。気がするだけで自分が知らなかっただけっぽい。
ここ最近はアレルギーとの主張が見聞きする範囲に挙がってきたが、よくわからない。
まあ上述の他者評価はあくまでも民主をなじるためとか、歴史はさておきその時点で相対的に見ればというのもあるのだろうし、
逆に今回は共闘で存在感が出たのである種の逆宣伝も含んでいるのではとも思う。
単に逆宣伝というだけではなく、政権運営に影響を及ぼすくらいになりつつありそうな予測だったからアレルギー発症したのかも。
実際のところは大体どの年代くらいまで忌避感の強い割合が多いのだろう。50代から上くらい?
最近の若者はアレルギーないらしいというのも聞くけど、すでに完全なおっさんで頭頂部がやや薄くなってきた(それはまだ早いんだよ……)
自分が属する年代でも、そこまで強烈な印象は感じたことがない。
よく覚えているのは、新卒入社数年した頃、会社の同期が選挙前でもないがぽろっと共産に入れたくなると言ったことだ。
その人は実家が都内で私立文系出身で親が学費を出していて、そして自分たちの入った会社は中央値はもとより平均からしてもかなり恵まれた
待遇・労働環境にあるのに、他の誰かではなく自身が不遇だと思うから共産に、と言っていた。(ちなみに、会社組合は当時の民主党支援)
口には出さなかったけど、その境遇で不遇というのはあまりにも世間が見えてないのではと感じたし、
割と何ともなくどこの政党に入れるとか言うんだなとも思った。親しみやすくて友人も多い人だ。
いやまあ周辺を見てわきまえろみたいな精神論だと衰退するし労働者個人個人で見て生活向上できればという考え方は今はわかる。
平均よりどうとか言ったところで周辺みんな富裕層にはまったく遠いしな。
どこでもOKなわけではない。忌避の理由の種類が全く違うだろうが、公明党の背景へのマイナス感情は強い。
あの同期は公明にははっきりとした拒否感を表明していた。これは自分も同じだ。
今後の選挙で、その時々で共産や立憲や国民や維新や自民に入れる可能性はあっても、公明に入れることはまずないだろう。
子供時代の旧友が学会員で、その人とは今もたまに選挙無関係な話をすることがあるけど、選挙関連は断っている。
等々のごく狭い体験からだと、個人的な周辺は投票のための選好順序付けという観点で共産への他よりも特別に強い拒否感はそんなになさげに見える。
第一の選択肢にはなりえない程度を超えて、ずっと前から続く潜在的に絶対嫌レベルの拒否感は。
現時点で掲げる個別の政策がNGというのではなく、アレルギーと称するほどの意識って何から来ているんだ。
昔からあって今の政策にも通じている根幹の思想こそが(あるなら)アレルゲンなんじゃというなら、その価値観の人は相応にいて不思議じゃないとは思う。