2020-07-03

anond:20200703111552

わかりみが深い。

論争それ自体楽しいという状況は確実にある。

個人的に、女性専用車両論争があれだけヒートアップするのも、確実に「論争が楽しい」が含まれてると思う。

男側からすると、痴漢はクソってのは基本的自明なんだよな。被害の深刻さとかについて認識の相違はあるかもしれないけど、そりゃそんなことするやつは最低だよなってのは99%以上の男が同意すると思う。

から痴漢叩きは盛り上がらない。痴漢はクソですねというのは当たり前のことで、男も女もそれに合意してる。「痴漢はクソですね」「そうですね」これでは論争になりようがない。痴漢擁護できる点なんてないもの

いっぽう、女性専用車両は揉める。これは痴漢への心情とは独立した問題で、女性専用車両絶妙施策から燃える

女性専用車両男性排除しており、形式的には「公共交通機関特定の性に基づく排除を認めている」ということになる。いっぽうで、それが痴漢から避難所として有効機能していることも事実だろう。実効性はあるが、理念からは良くない点が見つかる。理念実効性が背反の関係になってしまっているので、人々はどちらを選ぶべきかで引き裂かれることになる。

それでも、「差別ですが実効性はありますね」という(議論の上での)落とし所はありえた。理念派は実効性があることを認め、実効派は差別であることを認める。これなら両者痛み分けで対立にはならない。

ところが「差別ではないです」という主張が実効性を主張する側から出てきてしまったのでさあ大変。差別とはなにか、という神学論争が始まってしまった。こうなるともう、本来痴漢問題とはかけ離れた、純粋議論のための議論が闘わされる土俵ができあがったということだ。

もちろん、理念を重視してそれは差別だと主張する人も、本気で差別を憂えていたり差別に憤りを感じている場合が多いだろう。他の差別事例で差別者側が言っていたようなレトリックを平気で使う女性専用車両賛成派の人というのは遺憾ながらありふれているので、他の差別問題真摯に取り組んできた人からみるとそんな理屈容認できないっていう義憤は生まれて当然。

でもそれはそれとして、論争めっちゃ楽しいんだよな。相手の主張のアラを衝き矛盾点を探し比較のために他の事例を引っ張ってくるという知的作業純粋にそれ自体楽しい。「こいつの言っていることはムカつくが論理的に正しいことは認めざるを得ない」なんて言われたらもう快楽中枢ドバドバですよ。最高のお褒めの言葉じゃん。敵側にもそれなりの理があるならなおさら。その理をいかねじ伏せることができるかというゲームおもしろい。敵の熱量があればあるほどこちらもやる気が湧いてくる。

根底には「いやそれは差別やろ。たとえそれが許しがたい犯罪であったとしても、公的対策差別にならんようなやりかたで行われるべきやろ」という憤りがもちろんあるし、「なんでこんなに差別について深く考えてる人がこんな差別的な主張を支持しちゃうのか……」みたいなつらみや悲しみもあったりするんだけど、3割か4割くらいは議論楽しいからやっているという面があるのは否定できない。

仮に「犬とダニのどちらがペットとして優れているか」だったら、たとえ知的作業が楽しくてもここまでの快感は得られないだろう。どちらも競技としてやっていて、本質的には別にそんなのどーでもいいと思ってるからだ。でも根底に憤りや正義感があればこそ、つまり本質ではどうでもよくないと思っていればこそ、自分が論争に参入する動機もできるし、同じ理由ヒートアップした敵によって自分のやる気が刺激される。お互いのやる気がお互いのやる気を高めあう永久機関かな。

から増田気持ちめっちゃわかるよ。ネット上の不毛な議論楽しいよね。

  • ディベートだな そうやってネット上で発散するのはある意味かしこいかもね 時間はそれなりに消費しそうだが

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