2019-01-03

「本当に諦めて刺身タンポポ乗せたほうがよいのか」について

https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782

多分記事執筆者コメントつけてる増田レベルが高すぎて、世間一般言語能力ってもの理解してない。この場合言語能力ってのは、別に小説風の気の利いた文章を書く能力や、BlogでHit数を稼ぐ能力、あるいは豊富な語彙なんかを指し示す漠然とした「すごい能力」ではなく、自国語を用いてなんらかの論理を伝達したり受け取ったりする能力だ。

 例えば中学教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人追放され、幕府大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。

上記のようなニュースにもなってるようなレベルで。このニュースアンケートテストなどの方式なわけだから自国語の塊を音声じゃなく文章という視覚で把握できる上に、ある程度時間をかけても許される環境でもこのような数値が出てしまっている。つまり日常会話においてはもっと多くの人が、もっと劣悪な能力で生きている。

ごく普通のそこらにいる一般人において、会話における(つまり日常に用いる)言語コミュニケーションとは、感情伝達がメインだ。つまり会話の内容に関係なく、対話者がいま機嫌がいいのか悪いのか、どんな反応を欲しがっているのかを伝える/受け取るのが主な役割情報量が少ない(というか、情報量という概念がほぼない)。何らかの意味を伴うコミュニケーション、例えば待ち合わせ(時間場所が伝わらないと困る)も多くの場合テンプレート化されて含まれ情報の種類が決まっている。――この2種類程度の言語能力一般的な人間は十分に社会生活を送ることができる。

もうちょっと高級な、つまり情報量の多いコミュニケーションにおいても、その一連の塊から単語抽出して脳内補完意味類推するくらいが一般人の平均レベルだ(単語抽出レベルなので、「AがBにCされた」と「AがBにCした」は同じ意味だと理解されてしまう。ABCという登場単語が同一だからだ)。

でも、プログラミングにおいてこの言語感覚は致命的だ。機械入力者の感情を読み取って忖度してくれないし、登場単語が同じでも構文(つまり論理係り受け)で意味は全く違うものになってしまう。つまりはなんてことはなく、「プログラミング能力が低い/伸びない初学者がいる」わけではなく、それ以前の段階で「自国語さえも論理記述レベルで使えてない人間過半数」というだけなのだ

彼らの多くはそれで日常問題なく過ごせているし、「AがBにCされた」と「AがBにCした」が「違う意味を指しているその価値」が理解できない。日常の交友関係では、AとBのどちらが悪者対話者の口調や顔色で自明から助詞を的確に使う習慣そのものが、無い。

はてなコメントしてるひとは、そこの部分を甘く見すぎてるようにみえる。それはプログラミングあるいはプログラミング教育問題じゃまったくないんだよ。だからプログラミング教育をどういじったところで全く解決されない。

  • 新井紀子先生がこれを問題視してるけど、この文章の場合って歴史的事象を知っている人ほど確証バイアスがかかって誤答しそうだな。他の文章も、そういう認知心理学的な誤答プロセ...

    • 生半可な知識で突っ込む(笑)

      • 生半可な知識もないから笑うことでしか自尊心を確認できない増田よりはマシだと思うけど。 突っ込んでるのではなく、純粋な疑問としてそう思う。読解における「誤解」の発生プロセ...

        • 生半可な知識もないから他人を笑うことでしか自尊心を確認できない増田よりはマシだと思うけど。 根拠のない個人の感想に過ぎないですね(わらい)

          • 生半可な知識もないから他人を笑うことでしか自尊心を確認できない増田よりはマシだと思うけど。 根拠のない個人の感想に過ぎないですね(わらい) 根拠のない個人の感想に過...

  • なるほどな

  • 読んでないが、食品製造業に従事する人たちに向けての謝罪はいつされるのでしょうか。

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