2017-01-20

鬱の脱出の仕方 漫画うつヌケは意味ない

知人が鬱になったっぽいのと、

ブックライブで「うつヌケ」なる漫画が出てきてそれをチラ見したら分析してるようで大したこと書いてなかったので

この日記を書くことにする。

 

結論から言うと

自己肯定することで解決する。

 

もう1つ加えるとしたらこ自己肯定を外的要因に一切頼らずに形成することができれば解決する。

どういう意味か?

「周りが認めるから自分は認められているのだ」

これは外的要因を必要とする自己肯定感であり、

自分を認める他人がいなくなった時点で瓦解する。

なのでこれで一時的回復したとしても、無くなればまた鬱に戻る。

必要なのは

例え個室に一人でぶち込まれ他者と一切コンタクト取れなくとも、

70億人が自分批判否定してきても揺るがない「自己完結肯定感」の「自己肯定」だ。

 

これを自力で作るのは非常に難しい。

大抵の人間自己肯定自己完結型のようでいて、

今までの成功例や他者から評価自分経験や実績の積み重ねにより形成されているため、

ほとんどが外的要因による自己肯定だ。

ここが無意識破壊されると知らずに鬱になり、

また脱出する手段も分からない(治療部位が分からない)ために治すことができなくなる。

自己完結型の肯定を手に入れれば変革のための自己否定ストッパーを設けることができるので、

土台不可能努力目標客観的是正できる。

結果として無理をしなくなり心身ともに守られることになる。

ただし、自己肯定による非変質部位によって発生する無知や非学習能力によるリスクも付いてくるので、

自己肯定を作り出す際は十分注意して取り組まなければならない。

 

自己完結型の肯定を作り出すには、

まず他者評価によって変わらない物をリストアップすること。

例えば「納豆ソースかけて食うのが最高に美味いのに同意してくれる人がいない」という事実があったとして、

もう一度この事実を見つめ直す。

自分にとって最も大切なことソースをかけて最高に納豆を美味い状態で食うことであって、

そこに他者が介在する必要性はそもそもないのだ。

目の前に大統領がいたら食いづらい気はするだろうし、

大好きな恋人家族と食うなら楽しいだろう。

でもそれは納豆ソースをかけて食うのが好き、という事実に対しては何ら影響がない。

まり本来他者から評価や影響を考慮せずともいい事柄なのに他者から評価肯定を求めているという、

まるで無意味行為に執着しているのだ。

土台、大多数からそんな食べ方を同意されるはずがないのだ。

ならひっそりと自分だけで楽しめば良いではないか

この単純な自己完結型の肯定の簡潔さすら知らない人間が世の中に溢れかえっているという事実から

まだまだうつ病患者としての予備軍は水面下にタンマリといるであろう。

 

大事なのは他者批判否定非難評価があったからといって

自分が出す答えと評価を変える必要性があるのかということだ。

そもそもの話、多数決でいえばこの世に1人しかいない自分の力ではどうやっても他者に数で勝つことはできない。

なので多数決によって自分趣味嗜好をコントロールするというのは自分抹殺するのと同じことだ。

例え誰一人賛同者がいなくとも自分が心からそう思ったならそれに従うことが個としての尊厳であり自由だ。

もちろんその結果、社会から反発が返ってきたとしても甘んじて受け入れるもよし、斜めに弾いてもよし、だ。

もう少しマイノリティであることが自然だと気づくべきだし、

自分マジョリティ比較していたずらに評価を下げることもまた無意味だと気づくべきだ。

必要なのは自己完結だ。

 

追記するかも

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