2016-09-06

図書の寄贈について

寄贈図書が廃棄されたという記事ブックマークを集めている。



http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/3025397471.html

まず、寄贈した本は図書館に一任すべき。ただしよく事前に話し合うこと。

記事では廃棄の際に相談もなかったとある。事前に話し合いができるような緊密な関係をお互いに築いておくべきだった。まだ寄贈者生きてるじゃねーか。

よくあるパターンだと、寄贈者亡くなってから奥さんや息子さんとうまくコミュニケーションとれないってのはあるけど。

寄贈者は普段からまり図書館の人と緊密ではなかった? 普段からこの図書館利用してなかった? この辺りは廃棄されるされないを決めるうえで、地味に重要

図書館の現状をよく把握していなかった?

穴水町は小さい町(2016年4月で8809人、広報参照)で、この人口規模では司書は多分1人~2人。常勤のひとか、あるいは準職員で回しているのかも。そうなってくると、専門的な本かどうかの整理が追いつかない。

事務職員もすぐ異動する。耐震強度問題などで、図書館の移居の事例もある。そうなると、蔵書が失われる可能性は十分にあった。

本当は職員がしっかり連絡などできればいいのだが、如上の理由では手が回らないことが多い。

図書を寄贈する際は、そういう事情を汲んだ上で寄贈しなくてはならないだろう。スペースあります? 整理ができますか? そもそもいりますか? ってあたり。

私も図書地元図書館に寄贈することがよくある。仕事上、大正末~昭和戦前期の地元に関する書籍が中心。まず自分で重複がないか調査して、そして受け入れ可能司書相談する。週1くらいで図書館を使っている。

司書さんと話していると、いらない本とか忙しい時期や作業が解ってくる。こんなの個人がすべて理解するべきとは思わないけど、文庫レベル図書を寄贈するなら当然理解していないといけないと思う。

本(を所持すること)に過剰な価値見出してませんか?

これは私にも言えることなのかもしれない。古本とか稀覯本の、そのもの価値に加えて、それを所持している自分・あるいはそれを知っている自分価値見出していませんか。

今回の事案、寄贈者は漆器研究専門家ということで、彼の価値は、漆器にまつわる民俗学専門性にある。研究自体もそうだが、彼の研究姿勢系譜が解る図書群ならばまとめて寄贈してもいいと思う。

ただし今回の奥さんの蔵書はどうだろうか。寄贈者の専門性と照らし合わせて、あるいは研究者バックグラウンドを考える上で重要だろうか? そのあたり、寄贈者や図書館は充分にお互いを理解しなくてはならなかった(こうやって増田で言うのは簡単だ。ちょっと無責任放言だとは思うけど。)。

たまにtwitterとかのSNSを見ていると、「本をたくさん持つ自分」「知識の基をたくさん持つ自分」に酔ったような、「知」にあてられたような人間をよく見かける。

かつても、文芸者の飲み会などで、家にこんな本があるあんな本があると自慢合戦になることもあったから、昔からそうだ。

実際大事なことは、本を持っていることではなく、それを読んで研究した結果、社会学説史にどういう貢献をしたかだろう。

そこを踏み誤ると、名前を冠した文庫公的機関存在することに、思いもよらない価値が含めてしまうことになる。

文庫名誉なことだけど、名誉な業績があったからそうなるわけで、そうなったか名誉なわけではない。ここを踏み誤りがちだ。

踏み誤ると、妻の蔵書を寄贈、なんて発想が出てくる。

ちょっと寄贈者に厳しいような記述になってしまったけれどこれが私の感想です。

  • ごちゃごちゃ言わんでよろしい。 「図書館いらなくね?」 「本いらなくね?」 に拍車がかかった事件。 それで済む。

記事への反応(ブックマークコメント)

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