はてなキーワード: 叫びとは
たしかにそれは一理ある。
お薦めされたい側が自分から「お薦めされたい」と発信した場合に、適当なオススメを出すサービスはレファレンスだ。
しかし、ここでは、お薦めしたい側のお薦めしたい気持ちが先に存在して、適当にお薦めできる相手を見つけられなかった等の理由で生まれる叫びあるいは押し売りについて話したい。
300万は使ったけど1回もイケなかった。悔しい。
40手前で勃ちが悪いのもあるだろうが20代の頃から勃ちは悪かった。
数年前に買って放置していたペペローションを取り出し指2本のみを使って
このとき、左手で金玉もモミモミしていたのがポイントだったと思う。
風俗嬢の源氏名を繰り返し叫びながらひたすらにゆっくりコスった。
不思議なことに普段の勃ちよりも良い。試しに座ってる状態から立ってみるとなんと90度以上上を向いている!
呼吸が荒くなってきてゼェハァ言い出してきた。
性的興奮もほとんど感じなくなってきていたのに全身がむしゃぶるいするほどの快感を覚えた。
オキニの口の中に絶対出してやるという思いが絶頂を達した時、ティッシュに思いっきりぶちまけることが出来た。
子鹿のように足を震わせていたため靴下とふくらはぎに誤射してしまった。
教師が教壇に立ち、自らお手本を見せるべきだと本気で思う!
西側諸国は、自国の侵略行為や二枚舌を無視しながら、他国を批判することしかしない。例えば、セルビア人による民族浄化を非難しておきながら、数々のセルビア侵略や、クロアチア人やアルバニア人による虐殺は無視されている。
アメリカとその同盟国は、長い歴史の中で多くの侵略行為を行ってきた。
例えば、アフガニスタン侵略は、数十年にわたる不安定と市民の苦しみをもたらした。
リビア侵略では、安定した福祉国家が崩壊し、国が混乱に陥り、多くの武装勢力が権力を争う危険な国となってしまった。
イラク戦争は、大量破壊兵器の存在という虚偽の主張に基づいて開始され、何十万人もの人々の死を招き、イラクは現在も混乱と貧困から抜け出せていない。
グレナダ侵略では、民主的に選ばれた政府が倒され、アメリカに従順な政権が設立された。
これにより、民主主義や人権は単なる口実に過ぎないことが明らかとなった。
アメリカは、歴史上、「悪の独裁政権を倒す」と声高らかに叫び、侵略行為を繰り返してきたが、
多くの例で民主的に選ばれた政府を倒し、独裁政権を支援してきた。
メディアは中国のアフリカ搾取を非難するが、西側諸国も現代においてアフリカから富を搾取し、戦争を煽り、無能な独裁者を支援し続けている。
西側諸国の企業は、アフリカの天然資源、例えば石油、ガス、ダイヤモンド、その他の鉱物を搾取し、現地のコミュニティを貧困の中に置き去りにしている。
また、西側諸国は不平等な貿易協定を押し付け、現地経済や農業を脅かしている。大国の自分勝手と大国による搾取が現地の発展の妨げとなっていることを皆は知らない。
多くのアフリカの指導者が、西側・東側の支援を受けた腐敗した独裁者だ。自国民を抑圧しながら西側諸国や東側諸国に富を差し出している。
現在、ウクライナでは、西側諸国とロシアが勢力争いを繰り広げており、ウクライナの都市や自然が破壊され、ウクライナ人が苦しんでいる。
西側メディアはロシアのプロパガンダを非難するが、自国のプロパガンダもまた垂れ流している。
Западни свет често игнорише своје сопствене злочине док критикује друге. Многе агресије на Србију и масакри које су извршили Хрвати и Албанци остају непримећени и непризнати. САД и њени савезници имају дугу историју интервенција које су резултирале уништењем и патњом.
На пример, инвазија на Авганистан је довела до деценија нестабилности и патње цивила. У Либији, интервенција је оставила земљу у хаосу, са бројним оружаним групама које се боре за власт. Рат у Ираку је започет на основу лажних тврдњи о оружју за масовно уништење и резултирао је смрћу стотина хиљада људи.
У Гренада, САД је срушила демократски изабрану владу да би инсталирала режим који би им био послушан. Ово показује да су демократија и људска права само изговори за агресију. Историја је пуна примера где су САД и њени савезници свргавали демократски изабране владе и инсталирали диктатуре.
Медији често критикују Кину због експлоатације Африке, али истовремено игноришу како Запад наставља да из Африке извлачи богатства, подржавајући неспособне диктаторе и потпаљујући ратове за своје интересе. Западне компаније искоришћавају природне ресурсе Африке, попут нафте, гаса, дијаманата и других минерала, остављајући локалне заједнице у сиромаштву. Такође, западне земље често намећу неповољне трговинске споразуме који угрожавају локалну економију и пољопривреду. Многи афрички лидери који добијају подршку Запада су корумпирани диктатори који угњетавају свој народ, али су толерисани јер обезбеђују приступ ресурсима.
Тренутно, у Украјини, Запад и Русија се боре за утицај, уништавајући градове и природу, док украјински народ страда. Западни медији критикују руску пропаганду, али су и сами део пропагандне машине која оправдава своје интервенције.
職質にあった
まぁちょっと前に高速道路の近くで般若の面をかぶってリラックスしてたけど
だけどさ
今度は私有地とかそういうのじゃない
まぁ河川敷に行ってたわけだよ
でもさあ
ただ河川敷に行くだけじゃあつまんねってなって
ストレス発散になりそうって思って
早速着ぐるみを買ったんだよ
深夜ならまぁいっかーってことで
🦖「がおーがおー」
って感じでね爆走したよ一人で
それからすごい楽しくなってきてさ
🦖「たべちまうぞー!みんなたべちまうぞー!」
🦖「いかしてはかえさんぞむしけらー!」
とかそんな感じのことを叫びながら毎晩やってたわけよ
なんかノリにのってたってゆーか?
そのへんの草をかみちぎったような後を作ってみたりして
まぁエスカレートってやつ
ティラノサウルス口元をケチャップでよごしてみて人間をくっちまった演出をしたよ
でさぁー!!
こういうことうやってストレス発散してたらさぁ!
誰だよ畜生!!
で、3人組だよ3人組!!
色々聞かれたんだけどさぁ!
そのうちの一人が
向こうもそれに気づいてさぁ
お互い気まずい思いしたじゃん!
近所迷惑だとかなんだとかなんなんだよ!
何が悪いんだよ!
ティラノサウルスの着ぐるみきて泥遊びしてみたり地団駄して大地震おこしちまうぞー!
とか叫んでただけじゃんか!!
もうなんなん!!?
このくに狂ってる!
現場知らないだけで、大嶋みたいな奴に自然言語使っても無駄。 晴生がなんでに平成26年に死ぬほど気合を入れて文章を書いたか分からないが、次のように書いている。
4歳、弟と一緒に保育園に入れました。弟は園の園児と会話するのに、長男は、会話しない、毎日ギャーギャー泣き叫びなだめながら連れていく毎日。親子共々苦しい思いをした。
園長がこれほど時間経過に言葉が出ないのはおかしいと指摘され、インフルエンザのついでに医師に診てもらったら自閉症であるが普通ではないと診断された。小学校に入っても集団生活に
ついていけず先生に肩を押されて運動会で歩くだけ。高学年になると彼が発話する姿は誰も見たことがなかった。声を聞いた生徒が誰もいなかった。担当教師からは君は勉強がしうるから
勉強で頑張るようにと言われた。中学校ではサッカー部所属するもついていけず、インターネット通信に没頭、勉強で頑張ると言い出し、高校では先生に評価され加速、しかし3年生になると
学校に都合で1つのクラスにまとめられ担任との会話は必要最小限、一浪後に東大法学部に進学するが社会全般の事情に疎く父親の自分が上京して買い物や電車の乗り方を教えた。
大学生時代からアスペルガーではないかとの疑いを持ち、様々な本を調べるとその症状が見事に一致し、核心を抱くようになった。
卒業前後から段々おかしくなり、ブログランキング上位だったが、こんな作られた東大生どもだと国がダメになると文科省の方針に疑問符をつけ、ブログで強く批判して一度目の逮捕。父親として
丸尾英介警部補に呼ばれ、本当はこんなことでは逮捕しないがこの種の書き込みは今後増加するので警鐘を鳴らすために逮捕した、息子さんの東大卒の肩書がどうしても必要だ、と説明された。
有罪判決で家に連れて帰り、ますます心理不安定になり、子供が外で遊ぶ音に敏感になり、2チャンネルに何度も警察批判を書き込んで2度目の逮捕。裁判では俺は神様で俺が全てを
決めていると吐くようになり実刑判決で服役、満期出所で出てきてからは、症状は更に悪化し、専門家に見てもらうと、アスペルガー症候群と統合失調症と指摘された。
女ってこんなもんじゃね?って感想。うちの母も姉も特別ぶっ飛んだ人格をしていた訳ではないけど、父や私の私物を勝手に処分したり、勝手に家具を入れ替えたり、部屋の模様替えをしたりするような人だったし、それに対して何を言っても全く聞き入れてくれなかったし、むしろ「あなた達の為にやってあげているのになんで分からないの!」ヒステリックに叫び散らかされて物を投げつけらたり、刃物を振り回されたこともある。
女ってのは多分、家族や親族のものを勝手に処分することで、家庭内での地位を確立しようとする本能があるんだと思う。どうしようもない。本能を制御できる理性的な女に巡り会えるといいね。
私は諦めた。
『けも耳化』とか『けも化』と言って、犬や猫の耳と尻尾を生やす二次創作自体は好きだ。もちろん獣人や完全な獣でも良い。
ただ、一定の確率で遭遇する “尻尾をこすると頬を赤らめ恍惚と喘ぐ” 作品が嫌いだ。
とにかく尻尾を上下にこすったり、しっぽの先を掴んで親指で先をぐりぐりと押したりして、された側がビクビク喘ぐのだ。
そりゃあ猫は尻尾の付け根を叩くと喜ぶ子もいる。
尻尾の付け根を叩かれると性的快感が云々で喜ぶみたいな話も見たことがある(真偽は知らない)。
それでも、犬にしろ猫にしろ“尻尾自体“を触られた時の反応は大まかに分けて『触るな』か『許す』ではなかろうか?
そういう作品を出した方は、いっさい動物と触れ合ったことがなく、断片的な情報で描いているのだろうか。
それとも何か明確な意思があってわざとそう描いているのだろうか。
18禁にしたくないけど男性器が描きたくて尻尾を使っていると言うのなら、もう絶対止められないだろう。
しかし、遭遇する度に、そこまで扱きたいなら尻尾じゃなくて性器を扱いてろよ!と大声で叫びたくなるのだ。
そして同時に、『この作者は動物の尻尾をこのように扱っているのだろうか…』という不安も覚える。
どうかこれを読んだ人が一人でもそんな尻尾の扱いをやめてほしいと切に願う。
本人に送ろうか迷ってギリギリで踏みとどまった文章なので序盤は語りかけ口調
固有名詞は書き換え済
冷めるきっかけはツアー中の公演、今回のツアーが終わってから投稿しようと思っていたけど心変わりの兆しが見えたので恨み節が恨みの内にネットに流してしまおうと思う
〜〜
〇〇さんへ
今回書き記したのはライブの感想ではありません。普段の手紙では褒めるようなことしか書かないようにしていますが、これは逆です。恨み節しか書いていません、タチの悪い誹謗中傷と同じです。八つ当たりです。見える可能性がある以上別に見ないでとは言いませんが、絶対に良い気持ちにはならないので見られませんようにと祈っている。
ファンレターって開けるまではマイナスなことが書いてあるかもしれないのに貰うと基本嬉しい不思議なものだ。私の名前を記せば、ああいつもの人か今回も良いことが書いてあるだろうという今まで積み上げてきた信頼を裏切ることになるだろう。とりあえず匿名だけど、でもきっと界隈の詳しい人達なら私が誰か分かるだろう。それでも書きます、書いてしまってもいいなと自暴自棄になっているから。心情をぶつけてしまって申し訳ないけど、でもいつもしている事だ。その感情のエネルギーが今回は真反対なだけで。許さなくていいです、私も貴方を許しませんから。
〇〇さん気付いてますかわざとですか、4連チャンで男の人にだけスティックを渡しているのは。グータッチも背の高い人、つまり大体男の人にばっかしてませんか
(スティック手渡ししてたのは私の知る限りで、定演・忘年会・長崎・新潟、あとプラス鳥取でスティック頂戴〜!って野次してた男の子にあげてた)(女性でスティックをゲット出来た子×2は投げたのをキャッチできたからです)
偶然ですか?たまたま偏っただけですか?考えすぎですか?疑念は拭われず、そしてついに私の中で確信にまで至りました
そんなに男のファンが好きなら最初から夢なんて見せないでください 優しくなんてしないで
ごめんね喉仏なくて 髭も薄くて じゃあ相当嫌だったよね俺なんかに好かれて 俺が謙遜で言ってたセリフじゃなくて本当に嫌だったんじゃん そうならそうと早く言って 私の何年間が無駄になったってこと? 目合って微笑んでくれたのも全部上辺だったの?
↑HAHAHAめっちゃ嫌なファンで草 でもそう思わせる隙があなたにはあった、なんて思ってしまうよ インスタで誰の目にも付かずにメンションして文句垂れることも考えた こういう風に悪用するべきではないんだろうけど。メンションするべきなのか自分で飲み込むべきなのかも分かりません 錯乱しています
例えばスティック頂戴〜!って野次したらくれるんだろうな 実際にそう叫んでた男の子に上げてたから でも自分がやるにはちょっと烏滸がましいかなって思って天命を、選ばれるのを待ってたんだよ でもそしたらあなた何、男の子にしか渡さないじゃん グータッチし終わって端の子に渡すのは別にいいよ俺が選んで真ん中に居るわけだし、端っこだとステージ見えにくいかもしれないからそのお詫びと言っては大袈裟かもしれないけど優しいなって思えるよ でもじゃあなんで男の子だけに渡すのかな 男オタを大事にしたいの?じゃあ俺はいくら通っても大事にされないファンってこと?俺は好きにこの身体に性別に生まれた訳じゃないじゃん 選ばれる余地もないんですか?とすら思ってしまうよその態度は
別に目合わせろとか私を選んでスティック渡せとか言ってる訳じゃないよ あなたが好きな人を選んで渡したらいいよ でも性別偏らせるのはただ普通にシンプル差別じゃないですか? 私が考えすぎなだけで統計上の偏りですか?4-5回連続で男の子にスティック手渡すのが? オタクのこと、ただオタクとして見てはくれないんですか?女オタ・男オタに区切って考えてるんだ 別に女オタクのことを下に見ているわけではないんだろうなそこまで区別してるわけではなさそうだなとは思えるけど、いくら性別が同じだからって男オタばっか贔屓するんですか。それが無意識にしろ意図的にせよ、およそファンに対して真摯な方とは見えなくなってしまいました。いいですね生まれ持った性別に違和感持ったことが無い人は 呑気に生きることができて 今更男になりたいとは思わないけど、生まれ持った自分を愛する人に否定された私の気持ちは。
ああ確かに居場所だと思っていた、信じていた、やはり期待をしすぎたのか。その蟠りはどこにもいかずただその場で沈んでいく、海の底で掘り返されるのを待っている。瓶詰めされてきっと流されることも風化することも無いでしょう。貴方が男女の間に白線を引くというのなら、もうお側に居ることは叶いませんね 私は線を超えて貴方の側にはいけないのですから そうやって内輪に愛想振りまいていれば、傷つく必要もありませんから。そうして傷のないダイヤモンドで居てください、俺の知らない知りえない世界でどうぞ末永くお幸せに
いくら使ったとか考えるのは下世話だね 別に楽しかったから無駄とも思わないし見返りはもう貰ってるから計上した所で意味無いかな、100は普通に飛んでそう、でもお金は客観的な愛の指標だよ掛けてきた熱量は分かるよね 一生分好きだったんだよ 確かに ねぇ 嘘であってよ 気をつけるって言って 言わなくてもいいけどこれから気をつけて 宇宙一好きだった人がまさか男女で区別するような人だと信じたくないから 差別と呼ぶほど酷くないけど、でも差別くらいショックはあった 信じられない なんで、よりにもよって私の愛した人が ただ奥手なだけであって欲しい ああ見る目なかったかなぁ俺 あなたの好きに振舞った結果がこれなら、なんだかな、あまりにノリが合わなさすぎるというか どんな行動も貴方が好きに振舞った結果ならきっとなんでも好きだろうと思ってたけど、生まれ持ったもの・自分じゃどうしようもできないものを物差しにしてファンに優劣を付けるならそれは許すとかいう次元にはないです 到底看過できたものではない ただ悲しい
グータッチも背の高い男の人にばっかすることで有名だった 私以外にも数人「〇〇さんって男の人にしかファンサしないよね」って言ってるのを聞く。別に私自身が運が悪くてグータッチできないこともスティック貰えないことも不満じゃないです しなくても楽しかったから でも観客を性別で見るのは違うじゃん あくまで同じファンとして見てよ なんでよ なんでよ 君は研究も仕事もバンドも全部取ったのに、なんでファンは全部拾わないの 男女の前に人間だろうファンだろう 1人残らず大切にしてよ愛してよ、私そんなに変なこと言ってるかな 大切にされてると思えてたのに、死ぬまで一生愛されてると思ってたのに。愛していたのは居心地の良い同性ファンだけだったんだ。
そんなに女の人苦手なら一生独り身のままでいたらいいんじゃないですか笑
髪の毛伸ばしたのなんでなんだろう結局聞けてないな、そんなに男オタが好きならそのうざったい髪も無理して伸ばす必要なかったと思いますけど笑(←私が長髪を褒めたから伸ばし始めた!と思ってないと言えない発言だw)
ドルオタの子に「期待したら負けです」って言われちゃった、いや期待もするよそりゃ 大阪城ホール埋めてんだもん まぁ確かにnanoとかPangeaからのファンではないけど、(曲名)から脱退からクアトロにメジャデもコロナも見守ってきたよ 冷静に私が負けな訳なくないか?男にしかファンサしてないの向こうなんだけど??
こっちは他人が見たら引くような熱量をかけてるの 、お金だって分かりやすいけど時間だってもう5年も応援してて(歴を誇るんじゃなくて)、それだけ掛けた時間がある
それなのに支払ってきたエネルギーじゃなくて生まれ持ったもので理不尽にジャッジされて、そこに居ないかのような扱いされちゃあ泣きもするよ ごめんなさい黙って消えるべきだと思います 嫌でしたよね沢山手紙書いて 累計は多分10万文字とかいってるはずです、ごめんねとてつもない分量書いてて 嫌な奴から貰ってて苦しかったでしょう 〇〇さん関連で書いた文章のまとめ本だけ作って消えたいなと思っています 最後の恨みで送り付けようか
これからどうなるかな、曲は聞くかもしれないけど今はライブ行く気がしない、少なくともこれまでのようにライブは見れないと思う 今チケットある分が終わったら、もうどうなるかわかんない 諦めきれずに応援してる未来も見えるし全く情報を入れなくなってる自分もありえる。 でも1度猜疑心を抱いてしまったらおしまいだ、元のような生活は戻って来ない そういう確信に至っている。私が居なくなっても(バンド名)はなんの不自由もなく続いていくから、老兵は去るのみだ。私が錯乱しているだけで変なことを言っているかもしれない、これを伝えたって〇〇さんは別に聞かないかもしれない、むしろ変わらないのが〇〇さんだろうという気がしている。私は何があろうと離れてしまうだろうし、〇〇さんも何があろうと変わらないんじゃないかな。ただ1個だけいじわるを言っていいかな。ねぇ〇〇さん、私よりあなたの事好きな人いた? こうして愛の総量なんかで推し量るのではなくって、それでもやっぱり同性のファンが良いと思うなら、これは本当にただ底意地の悪い質問だ(そして誰も幸せにならない)。ごめんね たかがいちファンが出しゃばって、認知もしてないよね、全部自意識過剰だ 愛が凄かったらランキング1位とかって訳じゃないしそのファンの意見が大切にされるわけでもないのは分かってる だからいじわるな質問。少なくとも行動力があるという面で1番好きを名乗って良いか?だからお願い私の言うことが書くことが貴方の芯に刺さって欲しい。今までに貴方に見せたことのない尖り方で訴えかけようとしている、どうか私のこの悲痛な叫びを聞いて、あわよくば思い直して欲しいと思ってしまっている。思い直してくれたとしても私はもうそこには、ライブハウスには戻らないけど。貴方は素敵な人だから私が居なくても私以外の沢山の人に愛されていることだろう。でもよく考えたら元々それが私の望んでいた世界なのかも。啓蒙活動は功を奏したらしい、もうおしまいにしよう。さようなら、これが最後のファンレター。ファン辞めますって本人に見えるように言うことほど意味の無い無駄な行為はないことを分かっている、立つ鳥跡を濁しまくりでダッサいなぁって自分でも思ってる
でもね、こんなウジウジしてる私よりも、男ファンばっか優遇してる貴方はもっとダサいかもしれない
今まで感想とか私情とか手当り次第なんでも〇〇さんに伝えて来たけど、「私性格悪いから」この最後の恨み言は言わないでおこうかな あの子の悪口絶対言わないでおこうかな ははは なんてね
(それでも、なんでかな、やっぱり私の世界であなたより素敵な人は居ない もう暫くきっと現れない ひょっとしたら未来永劫出会えないかもしれない それくらい貴方は素敵な人だった 嫌いになりたくないよ なりたくなかったよ)
好きだった、一生分好きだった。所詮私も演者の幻の中で夢を見ていたのだろうか。「好きだったなぁ」と零しながら涙目で新潟の夜を徘徊した、私の夜道は当分憂鬱で彩られることだろう。翌日の快晴はあまりに物語として美しい。私は主人公で、そして彼は登場人物に過ぎなかった。あくまで登場しただけで、私の隣には来ないのが定めだった。それでも、確かにちゃんと好きだった。また新しいアルバムが出たら1枚は買うかもしれない、武道館は行きたいしまた新しいホールでやるなら行くかもしれない、でももう私の生活の、人生の中心には置いておけない。時は薔薇の5月か匕首の6月か、今日も山手線は回り環状線は回る。目を回しても垂れてくる涙の分だけ君を愛していました。手を伸ばしても届かないのは私と貴方がステージの下の人と上の人だったからじゃないんですね、私と貴方の染色体が違うからだったんですね。
返事が欲しいと思ってしまっている 思い直して欲しいと思っているから、きっと私は返事の文章を通して謝って欲しいんだろう 弁明でもいい でもあなたはたかだか私の言葉なんて響かないところで深く息をしているから、きっと今回も返事は無い 私の住所は書いているから返事は出そうと思えば出せる そうしないのは面倒臭いからだろう 構わない 私の言葉は威力を持たない そのように無意味だからこそ何万文字も紡ぐことが出来ていたのだ。終止符を打とう。この手紙に、生きてきたこの人生に、この物語に、そしてこの愛に。愛していました。大好きでした。今まで沢山迷惑かけてごめんなさい、黙って見守ってくれていてありがとうございました。それなのに私は黙って離れられなくてごめんなさい、最後までうるさくてごめんなさい。眠れない夜を数えて、この恋を忘れようと思います。さようなら、私の愛した人。どうかお元気で。
私と同じくらいの年齢(35歳前後)の増田だとしたら、10〜15年前(20代前半〜中頃あたり)にこうした異性愛至上主義、自己責任論、冷笑的な空気の中で男と付き合ってなんぼ、結婚は永久就職、男を手のひらで転がして教育♥30くらいには結婚してないとヤバい(笑)みたいなしょうもない論に囲まれてゲロ吐きそうになってた仲間でしょうか。
その当時、男のいる自分に酔ってた女たち、自称賢くうまく社会の波に乗ってる女が今、結婚して子どもが生まれて30〜35歳あたりで産育休を経験しつつ、働き続けないと生活できないけど育児も大変という状況になってから女性差別だのフェミニズムだのと言い始めてるのはよく目にする。
私自身もそういう友人、同級生たち見て反吐が出るなと思っている。
あの頃自分を叩いてた女と、いま自分自身の行動に無反省なままフェミニズムを叫びながら他人も叩いてるやつ、だいたいこの辺多いんだよな…。
だからブコメの「自分を嗤ってた人といまのフェミニストは被ってない」論はそうとは限らなくない?と言っておきます。
実際あの頃フェミニズムやフェミニズムに基づく発言をしていた私を含む人を嗤ってた友人たちは、過去の自分の行動言動に無反省なままめちゃくちゃフェミニズムを掲げて連帯だのシスターフッドだのと言ってすり寄ってきますからね…
・上階から生ゴミが降ってくる(共用部にあるゴミ捨て場に上階から投げ入れる奴がいる)
・ゴミはいつ出してもいいけど、その分カラスとノラネコのたまり場となっておりいつも生ゴミが散乱している
・たまに夜中に発狂したような叫び声が聞こえてくる、それに反応した別の叫び声が聞こえてくることもある
・大量のピンクチラシが投函されるけど、みんなそれをかき出してその場に放置していくので足の踏み場がないくらいピンクチラシが散らばっている
と2ヶ月でこれだけのことが起こっている。
ハゲていない限り、人間は頭頂部から足の指先まで全身に毛が生えているわけだが、その中でも個人的に特に不快な毛は何か?と問われたら俺は即答でケツ毛と答える。
やたら太くてゴワゴワしてるくせに見えない場所に生えてて引っ掛かると痛いし、何より排便の時に極めて不快な思いをする。この不快な気持ちを感じる人が1人でも減るように、ホモサピエンスはケツ毛の毛根を消滅させる方向でぜひ進化して頂きたいものだが俺が生きてるうちにはどうしようもないのでこの前思い切って全部抜いてみた。
まず驚いたことに想像の3倍くらい抜くのが痛かった。ケツ毛に限らず抜け毛には根本に白い半透明の塊がくっついていることがあるが、ケツ毛の場合はそれの大きさが尋常ではない。通常の3倍くらいの太さ・長さを備えているのだ。それだけケツの皮膚深くに奴等は鎮座していることの証拠だろう、そりゃ抜く時めちゃくちゃ痛いわけだ。
で、ケツ穴の痛みに耐えながら就寝して起きてウンコしたら驚くなかれ、大便が今までにない勢いで華麗にアナルから発射されたではないか。
久々に味わった快便の喜びに激しく動揺しながら気持ちの良い朝日と共にコーヒーと朝食を摂り、久々のオフライン出勤に向けて気合いの屁をこくと、これも先の大便に呼応するかのようなキレの良いフレッシュな屁をかますことができた。
ケツ毛が無いだけでこれだけクオリティ・オブ・ライフが向上するものなのかと感動しながらいつもの通勤路を颯爽と歩き、最寄り駅のエスカレーターに足軽にステップ・インすると前にはロングヘアーのオフィスカジュアルな服装の女性がおり、腰のくびれから臀部に至る美しい曲線を描いたデカ尻が視界に入ってきた。
そのデカ尻をまじまじと見ているとふと一つの考えが頭に浮かんだ。世の女性はこの快適な肛門体験を何の苦労もなく毎日得ることができるのか、なんと羨ましいことか、と。
そして、この素晴らしい1日の始まりもケツ毛が再生するにつれ失われてゆくのだろうと考えると少し憂鬱な気持ちになり、他の表情筋の死んだサラリーマン達と共に朝の通勤電車の中に私は埋もれていく。
そして徐にスマホを取り出し、Apple musicを起動する。電車の不快な騒音を流行りの音楽とノイズキャンセリングでかき消しながらブラウザに文字を入力する。
「ケツ毛 脱毛 値段」
ほほう、時々耳にするVIOラインというのは正にこの不快な毛が集中しているエリアのことだったのか。スマホは正しく使えばいつも新しい知識を提供し、私を賢くしてくれる。人類文明と科学の進化に感謝しながら検索を続ける。こんな不快な付属物を抹消するためだけにそこそこの費用がかかるのは実に不愉快だが、別に払えない金額ではないということもわかる。だが気になるのは脱毛は痛いという経験者の心の叫びだ。
昨日の人力強制脱毛も相当痛かったが、この痛みを金を払って受けなきゃいけないと思うとなんとも気が進まない。しかし、ケツ毛がない事による爽快感はとても忘れられるものではない。
どうも空白12年職歴無し35歳パートタイマーです。本日はバイト中に有線で流れている歌詞にツッコミを入れようと思います。
「共依存をやめたいの」って言った次のパートで「ねえねえ愛して」って連呼しだすお前!やめたい宣言から10秒で挫折しとるやないか!フリからの早すぎる回収に毎回笑ってまうんじゃ!共依存女子の痛烈な心中を代弁するはずがとんだコントソングになっとるやないか!
はい次!
「私はあなたにはなれない なれない」うんうんそうやな、そらなれへんわな。「ずっと遠くから見てる 見てるだけなの」うんうんそうやな、それただの消費者や。・・・aikoおまえ老いて感性の出涸らしみたいな歌詞書くようになったな?テトラポット登っててっぺん先睨んでた時代を思い出せや。
はい次!
「錆びたままの部屋で君を待つのは寒すぎる」独身やし部屋に一人で寂しくなるのわかる~。「愛をして 愛をしてる 会いに行くのに~」錆びたままの部屋で愛をして愛をして愛にイク…?それオ〇ニーやないかい!「やっぱり寒さには弱い もっかい君に触れたいいぃぃぃ(叫び」どんだけ欲求不満やねん!結局セッ〇スしたいってとこに帰結するんかい!
はい。
ちな作業中は歌詞が聞こえたり聞こえなかったりするし聞き間違いもあるし部分的にしか記憶できないので滅茶苦茶な解釈になっていますがご容赦くださいネ。調べてみるとそういうことだったのか!ってなって面白いです。
ちなブリンバンバ ブリンバンバ ブリンバンバ ポーンって曲を聴いた時、ベースとバスドラのリズムがヒッヒッフーってラマーズ法みたいな上にブリブリ言ってる歌詞も相まって、陰部から何かしらをひり出すときなのかな?と思ってました。特に「鏡よ鏡答えちゃって」のあたりの支離滅裂感は、腹が痛くなったときの現実逃避みたいで、映像を想像すると実に滑稽です。腹痛と脂汗に耐え肛門をノックするそれと戦い現実逃避して神に祈り見つけたトイレでブリンバンバブリンバンバブリンバンバポーン。なるほどな、と腑に落ちていたのですが、あとから歌詞を調べてみると、なんか調子に乗ってる奴でした。
いまブイブイ言わせてる奴も腹が痛くなると現実逃避しながらトイレを探しブリンバンバポーンしていると思うと、人間って平等だな、とおもいました。
こどおば姉は大卒後ずっと実家に暮らしてて、非正規アラサー。月3万を家に入れることで家事をほぼオール回避している。好物はアイドルマスターSideM。何かごちゃごちゃ言っててよく知らないが未成年に見えるが成人済の王子様系のショタっぽい男が好きらしい。
このこどおば姉なんだが、とにかくヒスが酷すぎる。
一番恐ろしいのは、こんなヒス姉のヒスを親がニコニコ笑顔で受け止めていること。
俺は大卒後しばらく実家から離れていたから慣れがなくなってしまってるだけなのかも知らないけど、親が姉を注意もせずに「仕方ないなぁ」的な態度を取ってるのにビビってしまった。
もしかしてボクサーみたいに殴られすぎて正常な判断ができなくなってしまっているのか?
ちなみにそんな姉にも彼氏がいる。彼氏は姉をどういなしているのだろう?ニコニコ受け止めているのか、それとも彼氏の前ではヒスを見せないのかは知らない。
でもとにかく俺は姉の結婚を望んでいる。彼氏さんには悪いが、なるべく早めに実家を姉から解放してやってほしいからだ。姉はなぜだか「結婚しよっかな〜」って自分が選ぶ側の余裕を見せてるが、少なくとも俺からすれば引き取っていただければ幸いです、と感じている。
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
これから書くことは、「こういうことを感じている人がいるとわかってほしい」という願いだ。
ミリオンライブのPとつるむのが辛い。
「ミリオンライブは平和なんだ!」と叫びながら他所を殴る人を見てるのが辛い。
でも、そういう人たちは「他所には殴られる理由があるから問題ない」と言わんばかりの振る舞いをするし、彼らを見た他所の人たちが何故不快な気分どころか、ミリオンライブに対して敵意を持つようになるのか理解できていない。
そんな人を当たり前のように受け入れ、しまいには賛美する界隈は嫌だ。
僕はミリオンライブが好きだ。みんなに愛されるコンテンツであってほしい。だから、周囲のコンテンツとの軋轢は生みたくないし、ミリP同士も仲良くしたい。
でも、大っぴらに好きと言うのは憚られる。
だって、今ミリアニについて語ると、他所を叩いてる人と同一視されかねないから。そのくらい「ミリアニ賛美 = ミリオン信者による他コンテンツの否定」という見方が一部で定着しているように思う。
ミリオンライブを人気コンテンツに出来ない原因は、P層の問題も大きいと感じるようになってしまった。
もちろん、ここまで批判してきた人たちはミリPのごく少数だ。それはわかっている。でも、彼らが大きな顔をしている以上、ミリオンライブに未来があると思えない。
ミリオンライブのいいところだけを伝えたい。
それで済むはずなのにね。