はてなキーワード: スタッフとは
えいえいおーボイコットが起きる夢を見た
愚痴アカウントが何年も言っていることを、あえて検索避けなどをせず、多くの人達に届くよう、誹謗中傷にならない表現でまとめた「”ファン”の個人的な思い」に2万以上のいいねがあつまっており、とても驚いた。
くだんの「個人的な思い」にはわたしにとってもいくつも共感できるものがあったし、過去にはわたしにも愚痴アカウントを覗いては自分だけではないんだと安心していた時期がある。
自分もデビュー前からのファンであり、正直WESTival、WESTV!が彼らの最大風速だったとは思っている。売れるもの、話題になるものが良いものではない。どれだけ後輩との差を数字が物語っていても、わたしは心の底からWESTが一番良いものを作っていると信じていたし、彼らもそこにちゃんと自信を持ち続けられていたことを信じている。
正直個人的にえいえいおーは寒いと思っているし、個人的には重岡さんにばかりスポットライトが当たっているように少なからず感じさせてしまう部分が現状の彼らのライブへの最も不満な点なのだが、
それでもわたしは何よりも彼らの悲しむ顔を見たくない。
朝目が覚めて、夢でよかった、と心から思った。もちろん参加したツアーでも力いっぱいえいえいおーと言ったし、ドームでももしあるならもっと力いっぱいやるつもりだ。
けれど、わたし個人としては別に、勇気や元気や笑顔などをくれるから、くれたから、アイドルを応援しているわけではない。
やりたいことをやりたいようにやって欲しい。
本当にただただその一心だ。
見たい景色を見てほしい。
その一部でいられるのであれば、それほどうれしいことはない。
共感する意見がいくつもある。けれど、わたしはどうしても、唯一、「それが本人に届く可能性があること」を思った瞬間に心が凍り付いた。悲しんでほしくない。それで好きなことを好きにできなくなってしまったら本当に悲しい。個人的な気持ちである。
当該スタッフに関しては、切実にタレントとの距離感を考え直し、また安全面には配慮しすぎなほどに配慮してほしいと思う。
君と出会えて世界一の超幸せ者という歌詞を思い出すと、どこにいてもちょっと涙が出てくる。
いやマジで「スタッフもファンも虜になりました」は腹立つなあ!!!!!!!!!!!!!wwwwwwww
おわり♪
おもしろかったという客がいま擁護してますかね。自分がうまいと思っていた料理にウンコが混ざっていたと知った気分と同じじゃないでしょうか。
ちゃんとした客ほどバカを見たような気分になっているんじゃないでしょうかね。それこそ、作品擁護、スタッフ擁護があまり出てこない理由ではないでしょうか。
セクシー田中さんの原作者の告発ブログが出たときは「ドラマはおもしろかった。でも原作者が脚本を手掛けた9話10話の脚本は微妙だった」という意見もありました。
いまもそれを言ってる客(非客)はいますか?とてもいえない状況になりました。次のドラマは中止。日本テレビおよびスタッフへの誹謗中傷や批判は続く。社長が謝罪する。まぎれもないビジネス失敗です。
では次にビジネスを失敗しないためにどうしたらいいでしょう。フェアにやるのが簡単で合理的です。原作に忠実というオーダーがあるなら忠実にやればいいだけです。それがダメなら最初からオリジナルでやればいいだけです。コストやリスクを考えたまっとうなビジネスならそれが1番まちがいないです。
視聴者が悪いのではなく、好きなタレントが出てるからドラマを見る。だから、しょうがなく改変してる。その辻褄を合わせるために私(テレビスタッフ)のやることは正しいし、これこそが創造だなんて思い込んでる烏滸がましさを直せって話です。原作軽視の改変を直せという話です。
その反省をベースの改変により視聴者も少しでも学習するのではないか。たぶんこれまでも少しづつ変わってはいると思われますが、日テレと小学館の報告書をみた限りでは癌はまだ局内にのさばっていると思いました。
相棒で女性の一人暮らし宅に「写真立てが無い……妙ですね」て言ってて、しゃ、写真、立て…………???となった女性一人暮らし
実際にこのようなくだりは存在しなかったのではないか?という疑惑がある
あれだけ再放送の多いドラマで熱心なファンも多い作品であるにも関わらず、「どの回だっけ?」 「そんなのあった?」 「ググったけど分からない」というばかりで具体的にどの回だったか誰も分からないのだ
X以外の場所で有志に質問してみたところ、それはおそらくseason2(2003年放送)の「ベラドンナの赤い罠」 ではないか、という指摘があった
https://thetv.jp/program/0000001095/1/
家の中に女性とその父親の写真がたくさん飾ってあるのに母親の写真が一枚もないことを右京さんが奇妙に思い、それが事件解決のひとつのきっかけになる、というくだりがある
それをながら見して聞き間違えた上に「寂しい女の一人暮らしなら写真を飾って少しでも華やいだ部屋にするものだ、そうしないこの女性はどこかおかしい」というニュアンスで脳内補整してしまったのではないだろうか
そう勘違いしたとしても2003年放送のものであれば画質的にかなり昔の回であることは明らかで「昔のドラマってこんな酷い台詞があったんだね」と受け止めるのではなく「ちょっと待って!今こんなこと言われたんですけど!ショック!!」と言う風なリアクションを取るのは色々違和感があるが
聞き間違いやうろ覚えのまま批判的なツイートを垂れ流す人ならそのくらいのことをしてもそれこそ妙ではないのだろうと思う
ツイートを見た人の中には、
「写真はカメラで撮ってプリントするのが一般的だった時代の初期回の再放送ではないか」
「以前は置いてあった写真立てがなくなっている、といった何かしらの前提があるのではないか」と推測している人もいたが
中には2024年の今、相棒の最新シリーズが放送されていると勘違いした上で右京さん(とテレビ朝日のドラマ班のスタッフ)があまりにも古い価値観で女性への偏見を垂れ流していると思い込んでカッとなり批判している人も多数見受けられる
また、「私は自分や家族の写真は飾っていないけど推しの写真は飾っている」とグッズ自慢をする者、
「コナンくんや金田一もよく変な認定するよね」と探偵あるあるを語る者もいるが
もうひとつの意見、それは元ツイートは『相棒』ではなく『臨場』の一場面ではないかというものだ
2010年5月26日に放送された回で、刑事たちが亡くなった女性の部屋を捜査するとあまりに殺風景で中でも写真類が一枚もなく違和感を覚えるシーンがあるそうだ
原作小説が描かれたのは2002年でそれを踏まえるとそこまでおかしなやりとりではない
ここまで伸びているツイートだが投稿者は特に訂正や補足をするつもりはないようだし、「ベラドンナの回ではないですか?実際のやりとりはこうですよ」だとか「相棒ではなくて臨場だと思いますよ」といったツイートはおそらく全く伸びず
「右京さんが酷い発言をしていた」ということだけうっすらと皆の記憶に残り、何かの折に「でも確か相棒って独身女性への偏見を助長するドラマなんでしょ?w」と嘲笑されるのだろう
「半年ROMれ」と共に「ソースを出せ」という言葉も失われつつあることを感じることが多い
「確かめる」という行為はコスパが悪く、「調べる」というのは必死になっていて馬鹿馬鹿しいと冷笑される行いで、
信頼に値するものは「広まっているかどうか」で、広まっているんだから真実なんでしょう、と受け止められてしまう
ガレソだって普段あんなに嫌われているのにふとした拍子に信じ込まれてしまう
嘆かわしい!……といいつつ、「写真立てのくだりって再放送の度に突っ込まれてるよね~」というようなツイートも見かけたので本当に存在している回なのかもしれない
石丸伸二をよく知ろう
https://www.youtube.com/watch?v=Nv3KOXAvFFU
全く意味が解らない。
皆さんこんにちは石丸伸二です。今回喜多方市長選に立候補しました。いろんなところで政策のお話はさせてもらってるんですけども、そもそもあなたは誰なんですかというご質問をいただくことも多いので、今回はその御要請いただいた質問をまとめてもらいました。
順番にお答えしていきたいと思います。
まず最初、最初ははい浦上ですね。はい。最初血液型と星座。O型です。星座は、しし座ですね。変わってないと思います。13星座でもしし座のはずですというのは、あまり星座に興味がない人間です。すいません朝の星座占い見ません。
次へきのこの山たけのこの里、どっち派。これは難しいですね。これほど世界を二分するテーマはないんじゃないでしょうか?ただこの厳しい質問に答えていくのも、市長としての大事な仕事になるのかなと信じてます。答えはたけのこですね。
チョコとサクサクスナックのバランス、何より質量感ちょっとキノコじゃ出せないなと思ってます。
次こんな調子で大丈夫か。次じゃん。得意なこと、自慢できること取り立てて自慢できることも、もう何でしょうか?
お酒が結構飲めます。苦手なお酒はないですね。世界のどんな酒でも出されたら絶対飲むと。
これは唯一親が僕に与えてくれた貴重な才能の一つかな.。お酒が飲める体質にくれてありがとう。(笑いがはいる)
次じゃん。苦手なこと、本当に苦手なことが多いんで、ちょっと選ぶのが難しいですね
もうちょっと皆さんが引くほど苦手なことを言っちゃうとマイナスなんで、言える範囲で、装着時は結局苦手な事。複雑な事が苦手です。
例えばスポーツの球技だけ駄目ですね。単純な走りとか泳ぐとかだと、夢中でどれだけでもできるんですけど、はい、野球とかはもう見る専門です
この街サッカーサンフレッチェありますけど、もう応援は絶対頑張って誰よりもできるんですけど、実際にやってみる体験とかは、すいませんちょっと難しいと思います。(だれかしゃべっている)
次スクールミーティング休みは何してますかなるほどこれまでの生活の中でいくと、基本的に休んでません。というのはトライアスロンというのをやってるので、土日は基本的に練習になってます。
朝は7時ぐらいからですねバイク、自転車に乗って、長い日は昼過ぎぐらいまで走り続けてます。100キロとか120キロというトレーニングをやるのって、休みの日はむしろ休まない。そんな生活を受けてます。
次今お付き合いしている人は、私の恋人は安芸高田市です。(スタッフが笑う)
ちょっとスタッフの人は笑いすぎですよ。いいえなるほどそれはいらないいらないんですいません。はい。独身ですし未婚のまま今に至ってます。はい。
どうも私にとっては恋人がこの街であり、私の奥さんはこの街です。また笑われました。
私はここで生まれ育って、僕は外の世界は本当に知らなかったんですね。旅行で時々出かけたことが年に1回ぐらい。
海外なんてもう大人になるまで出たことはありませんし、なので、ここが私の世界の全てです。
なので、何でしょう。はい。もう完成してましたね。この町も全て私の好きなものは全部ここにあると思って育ってました。はい。なので、やっぱりここは僕にとっては安らぐ場所ですね帰ってくる場所としては、これ以上の街はないなと思ってます。
安芸高田のここが好き僕の生まれ育った場所なので、小さい頃好きだった風景ですね。それは山があって、田んぼが広がって、町の人たちも距離が近いですよね。うちは歩いててすれ違う人に大体挨拶します。
名前知らなくても何となく知ってる人、そういう感じがみんなにあるんですね。そういう懐かしいというか、変わらない良さ、やっぱりそこが好きです。
新庄よく素人の映像あっという間の2時間半お楽しみいただけましたでしょうか?(この動画以外にまだあったらしい)
6日は今まだ選挙期間中です。
でも、あっという間に終わります。次の日曜日で、もうこの選挙も終わりなんですね。
でもこの選挙期間を通して何よりも、それが終わった先でですね、しっかりと自分がここにいる意味戻ってきた意味を、それを皆さんに伝えていきたいと思います。
「ダメですよ」は「やっちゃダメですよ」なのか「ダメなドラマであることよ」なのかによって話は違ってくるのだが。
「原作のこころを踏みにじるリメイクや二次創作はダメだ!人が死んでるねんで!」
というところから出発して
「リメイクの一切を禁止しよう」に行くのはさすがにまずかろうという判断により
原作をしっかりリスペクトした「愛のあるリメイク」をすべきなんだという所に半ば自動的に凡愚の群れは行き着くわけだが、そんなのは絵に描いた餅に過ぎないのである。
誰がジャッジするんだ。
出来上がったモノを観て世に出していいかどうか原作者が裁定下すのか。それはむしろ過大な責任を負わせることにしかならない。
自分の作品が換骨奪胎されるのが苦痛なら最初からいかなる二次創作も許可すべきではない。
そもそもドラマ化スタッフは原作者のファンや弟子ではない。原作者の意図を忠実に表現するための下働きではないのだ。そこに上下関係はないしあるべきでもない。
そもそも作品理解において作者が「正解」を持っているわけでもないのだ。
ゴミみたいな解釈は批判されるべきであって禁じられるべきではない。
健全なありようは最終的には読者・視聴者に判断はお任せすることだ。いったんGOサイン出したらクソみたいなドラマ化されてもしかたないし、それを観た観客はおいおいクソみたいなリメイクだなと言えばいい。
原作の真価を知るファンはクソドラマに負けないようにがんばって布教するといい。
「田中さん」原作者はコントロールできないことをコントロールできないのが苦痛で、それがもとのトラブルで亡くなってしまった。気の毒ではあるけど、だからといって「芦原先生のご遺志を実現しよう」「原作を踏みにじるクソみたいなリメイクが作られないように、原作者が二次創作をコントロールできるようにしよう」というのは全く間違っている。
NHK『虎に翼』が「“F1層(20~34歳女性)”から支持される」納得の理由。朝ドラでは異例
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1b70a5604ecf920b1c8cac7f775e218d56c80e1
むしろ元々中高年向けの枠で、スポンサーがおらずスポンサーの意向も直接の視聴率も関係ないNHKの朝ドラですら
ってかこれに限らず最近のNHK、「若者向けに若いスタッフ使って尖った企画」みたいなの好きじゃん
それでSNSでバズらせようとする
原作者「これだけ加筆したんだから8話脚本としてクレジット入れて」(各種修正以外に追加エピソード複数加筆)
原作者「仕方ないからそこは折れるけど9、10話はまじめにやってね」
脚本家「9、10話脚本クレジット入れなきゃ差し止める」(一切書いてない)
日テレ「最終話オールスタッフクレジットの先頭に入れます原作者よりも大きい扱いにします」
どうしてこんな異常すぎる力関係に
それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図が原作者に充分伝わっていなかった、つまり「説明不足」に求めているところ。
本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサーや脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。
以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
日テレの報告書は、調査にあたった外部有識者(弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者が日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。
再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。
日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである。
リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品で大事にしていることを同じように大事にするということであろう。
原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。
芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本で 100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家の理解を期待した。
上記は小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。
両報告書を読んで最も強く感じたのは原作者の孤独と絶望である。原作者は小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。
本来なら原作者と同じスタンスで原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である。
なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣に反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。
のではあるが…
●今回のことを受けて
・これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間の生き方みたいなものを提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサーが代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者、脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。
・放送局としてはまず第一に社員を守ることが仕事。社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものをキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社の仕事。
・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事。
日テレが出した報告書だと脚本家の非が大きく見えたものが、小学館のほうだと脚本家は仕方なかったという結論になっており、脚本家を守るような内容になっているのが何故だろうかと。
日テレの立場としても節々に脚本家を守りますという意図は読める。わりとわざとらしく。
しかし内容を読めば脚本家がこんなことを言ったので、日テレは困り果てちゃったよぉという内容なのだ。
小学館の気付きは遅かったのかもしれないが、気づいてからは脚本家を責める姿勢を止めている。
SNSを見た芦原先生に対して脚本家がなにも知らない可能性があると言うほどだ。
時系列をみればSNSはトドメだったようにも見えるが、すでにこの時点で芦原先生は限界なのである。
結果論小学館の読みが正しく日テレの脚本家へのディスコミュニケーションが極まっていたのだ。
小学館は脚本家を批判する姿勢を全く取っていない。また内容証明なども大して問題にしていない。これは意外な態度であった。
しかし庇ってはいない。庇ってはないが事実を羅列するとそれが正しいといった感じである。
また両文を読んで疑問に思うのが、制作側のスタッフが一人の若手プロデューサー中心に回っており、現場は大混乱に陥っていそうなのだが、チーフプロデューサーがなかなか出てこない。
忙しかったからチーフは来れなかったと日テレが結論づけているが、流石にどうだろうこれは。一人のプロデューサーが背負う責任にしてはかなり大きい事案だ。
またここに出ていないスタッフが気になる。演出の存在だ。演出といえば映画で言うところの監督的位置である。
スタッフを見ると映画経験もあるベテランの日テレドラマ監督が演出に参加している。しかしこの人物は報告書にほとんど出てこない。
現場は何を知っているのか正直非常に気になっている。若手プロデューサーはこの現場をちゃんと把握していたのか?脚本家の意見を大事にせず、原作者の意見も無視し、なにに従ってドラマを制作していったのかが全くわからない。よく完成させて放送できたもんである。
日テレは演出や制作スタッフの範囲を広げて追加で聞き取りすべきだろうし、小学館は…もしかしたら裁判に持ち込む気なのかもしれないが、ここで膿を出し切るのは後のために重要だろう。
小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
街の動物愛護センターからお迎えした時は両の手のひらにのるくらいのこねこだったのですが、まるまるしていたおなかもシュッとしてきて、とても素敵なわかねこになりました。センターのスタッフの方からはちょっとひかえめな子なのでと伺っていましたが、びびりちゃんだったのは最初の1週間だけで、いまでは増田が夕刻帰宅して玄関を開けるトトトトとお迎えに駆け寄ってくれますし、そのあと増田の足元をくるくるまとわりつきながら勢いよく倒れ込んで白いおなかを上にするので、増田もすかさずただいまのあいさつと共に全身を撫で回したりしています。増田のねこはいわゆる縞みけでキジトラと茶トラと白の三色毛皮なのですが、背中の模様はキジトラと茶トラがマーブル模様のように混ざり合っていてまるでめのうのように美しいので、増田は今日もきれいだねえかわいいねえと唱えつつ白いおなかとマーブルの背中を交互に撫で回してからばんごはんのパウチを召し上がっていただく準備を始めます。増田のねこもごはんよりもこの帰宅時のご挨拶を大事にされているので、手を抜くわけにはいかないのです。
増田には長く一緒にくらしていた先代ねこがいたのですが、街中で唐突に出会って勢いで共同生活が始まることになった先代とは違って、二代目は乞うて動物愛護センターから来ていただいているわけなので、やはりきちんとおもてなししたいですし、しないとダメだと思うのです。まあこちらも先代とは20年以上も共に暮らしていたものですから、遊びだろうがブラッシングだろうが所望されたら即対応することなど造作もありません。彼女のほうも遊びたいときには遊びたいおもちゃをくわえてやってきて、増田の目を見ながらぽとりと落としたりするくらいではあるので、「まあいっしょに暮らしてやらないでもない」くらいには感じてもらっていると良いなあと増田は思っています。ただ、ねこ一匹ひと一人の生活なので、コロナ禍から社会が通常に戻るにつれてねこに留守番をお願いすることも増えてきてしまいました。先日はとうとう初めて一泊二日の留守番をお願いしてしまったのですがとてもよいこで待っていてくれました。まあ帰宅時のご挨拶はちょっと長めを要求されましたが。
先代もとても素敵なねこだったのにさらに輪をかけてすてきなねこをお迎えすることができるなんて、NNNがちょっと増田をひいきしすぎている点についてはみなさまに対して大変申し訳なく感じているわけですが、こればかりはどうしようもないので、引き続き仲良く暮らしていこうと思います。以上よろしくお願いいたします。
>>「計画無痛分娩」とは、あらかじめ分娩する日(予定日)を決めて出産する方法をさします。予定日に陣痛促進剤を使って陣痛を起こし、人工的にお産を始める無痛分娩です。
33歳、一人目です!
私が分娩予定のクリニックでは、無痛分娩は計画無痛分娩しかやってない。
クリニックの院長先生が麻酔科医専門なので、ちゃんと計画してやりたいんだな〜ってプロ意識を感じるし、先生やスタッフさんたちのQOL的にも良さそうなのでそこは全然好印象。
でも自分がやるとなると迷う!
・痛くないから逆にいきみすぎちゃって傷が大きくなることもある
・出産の予定日が決まっているので、旦那の立ち合いなど予定が立てやすい
・陣痛が来てない状態で促進剤を使うので、通常の分娩より時間がかかる&痛みが長いかも
・(うちのクリニックの場合は)38週で出産!!!(←これが気になる)
いわゆる“出産予定日”は40週で、37〜42週がまあ通常の目安って聞く。初産の場合は40週より遅れがちって母と義母が言ってた!なのに38週で出ちゃうの?
勿論、先生がそうするって決めてるんだからそれで医療的?健康的?には問題無いんだろうけど、二週間も早くお腹から引きずり出されるの赤ちゃんが可哀想じゃない??もっとお腹ですやすやゆっくりのびのび育ってもいいのよ?
あと、赤ちゃんの成長って別に出産から始まるわけじゃないでしょ?例えば8/1がいわゆる出産予定日だとして、8/1に普通に分娩しても7/16に早めに計画無痛分娩しても、8/31での成長具合は大体一緒でしょ?だとすると、めちゃ大変な新生児期が二週間伸びるってことでは???
旦那も育休を二ヶ月取ってくれるし、母も義母も新幹線の距離だけど頼めば来てくれるので、まあ大変って言うほど大変な訳じゃないけど。。
麻酔で分娩を楽にする+赤ちゃんとの触れ合いタイムを二週間長く取るのと、赤ちゃんにはお腹でゆっくりしてもらう+新生児期の育児を二週間スキップするのと、どっちが良いかな?
例の報告書を読むに、セクシー田中さんのドラマ化にあたって原作者は
報告書を信じる限り、ドラマスタッフは原作を尊重して作業を進めたが、
原作者はスタッフの提示してくる脚本がその範疇を逸脱して改変されていると感じ、強い不信感を抱いたようだ。
原作者は「映像にする上で技術的、予算やスケジュール的に必要な改変」のみを考えており、
ドラマスタッフは「同時代のコンテンツとして原作未読のターゲットに受け入れられるようにすること」も含まれると(無意識に)考えていたのが原因だ。
報告書にある具体的な改変の例を元に考えてみよう
という内容に改変した。
その理由としてドラマ側は「近時の10代20代にはリアリティがない」「父親のリストラはドラマとしては重すぎる」というものをあげている。
つまりこのドラマのターゲットは現代の10代20代(の女性)であるわけだ。
こういったターゲッティングはドラマ制作が多額の予算を投じる事業である以上、多くの企画で設定されるものである。
また、公共の電波を使っている以上、圧倒的多数の原作を読んでいない人でも楽しめるものを作らないとならない。
そう考えた時に、大学進学の男女格差が縮み大幅に入学者数が減ったと報じられている短大は確かにターゲットにとって存在自体ががピント来ないものになっているし、
人手不足と法的規制でリストラが困難な現代日本ではリストラされるというシチュエーションはかつてのそれより深刻なイメージを伴う。
また、これに関連し原作者が「心底どうでもいい」と断じた「かわいい制服の私立高校に進むことが出来なかった」という改変も、
それが悪しきジェンダーロールとされていた頃よりも世界的に肯定的に受け入れられている現代的な感覚に照らして、
視聴者がその不条理に共感を得やすい強調表現として判断したのだろう。
ドラマスタッフはこうした現代の状況を鑑みて改変案を考えたのであって、
決して安易に思い付きで改変したわけではないのであろうが、
不幸なことに「原作者はそのような現代化自体を望んでいない」ということは気づかなかったのだ。
原作者が容認していたのは台詞を尺に合わせるとかロケの都合でシチュエーションを変えるとかそういったことであって、
アラサー女性をターゲットにした雑誌であるプチコミックの漫画をそれより若い女性に向けた作品にアレンジすることではなかったのだ。
日テレの報告書はテレビ局のドラマ製作を詳しく分析した希な資料として価値があり、
原作モノのドラマ化に際して改変の原因となる理由をまとめた表(報告書80P)はメディアに関わる人間は一読すべきである。
しかし上記にあげたターゲッティングのズレは言及されず「より面白くしようとするための改変」という漠然とした項目があるのみである。
しかし、このようなドラマに必要な面白さとはなんなのか、そのためにどんなことをするべきなのかということへの解像度の低さが、
同メールには「修正について」と題する本件原作者作成の Word文書が添付されていた。内容は以下のとおりであった。
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漫画とドラマは媒体が違うので、本当はドラマ用に上手にアレンジして頂くのがベストだって事は、私も良く理解してるんですよ。
(中略)
でも、ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変がされるくらいなら、しっかり、原作通りの物を作って欲しい。
(中略)
これは私に限らずですが…
作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変は、作家を傷つけます。
悪気が全くないのは分かってるけれど、結果的に大きく傷つける。
それはしっかり自覚しておいて欲しいです。
最終的に意にそぐわないモノが出来ても、多くの作家は公に文句が言えないです。
莫大な数の役者さんスタッフさん達が、労力や時間を使って関わってくださってる事を知ってるので。
その事に対しては、本当にとても感謝をしているので。なので、闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階で出来るベストを尽くしているつもりです。宜しくお願い致します。
(2023 年 9 月 11 日、C 氏から原作者の意見として A 氏に送付されてきた Word
文書より。)
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→ これらの本件原作者の意見については、A氏はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対してはドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという温度感のみ伝えた。
だってキャラセレクト画面で「一つの夢~~♪叶えたい思いは~~♪」ってもう普通に歌っちゃってるじゃん。
そんでストーリー始まって最初にすげーわざとらしく下手な歌い方されるけど、なんで篠澤以外のやつまでカラオケ未満の歌い方しとるねんそうはならんやろと。
んでまあダンス・ビジュ重視でボーカル400でTRUEエンドまでいったら普通に歌えてるわけですよ。
オイオイ育成度合いで歌唱力が変わるという設定はどこに行ったんや。
アイドルゲームとしての没入感を半分横においてローグライクに徹している割り切った作りが功を奏してる。
真剣に考え出すと篠澤が試験の最終ターンまで0点でそっから6000点取って合格してる時に観客や審査員の目に何がどう見えてるのとかどういう光景なのか誰にもイメージ出来ないんだけど、それを割り切ることにしたスタッフが正しいと思うよ。
満を持してなのか単に納品遅れただけなのか、妹ちゃんが追加されたわけだけど、これがまあ「どうやって運用するねん」状態で驚く。
元気玉を大きくする所まではやってくれるけど、それをぶっ放せるかどうかは引き次第ってしんどすぎるやろ。
メモリーで補おうにも最初の3回ぐらいのレッスンが運ゲーすぎて笑う。
高いポテンシャルはあってもアイドルとしての経験値が0ってことを再現してるってことなんやろけど、にしたってこの使いにくさはヤバイで。
一方でアイヴイは安定感と強さを両立しててこれは逆にアカンやろって状態。
センスはともかくロジックはまともにゲームバランス取れるとは思えない作りになっちゃってる。
シャニの新作なのにいきなりローグライク始めてしかもどうやってプレイしたらいいのかもよくわからんかったシャニソンに比べると、全体としてマイルドだし新作だからルール変わるってのも分かりやすいし色々成功してるとは思う。
でも「一緒に育てて成長していく」っていう所に重きを置こうとした初代リスペクトな作りは今後足を引っ張っていきそうかな。
そもそも初代ってプリンセスメーカーやときメモを遊びまくった経験のあるそれなり以上にオタクな人たち向けな作品だからさ、全体として作りがハードなのよね。
対して学園アイドルマスターはヌルめの作りにはしてるけど上振れ狙うと大変ですよぐらいの作りじゃん?
その辺りでコンセプトの「成長させる」という部分が薄れてるっていうか、クセの強いアイドルと共に伸るか反るかの大勝負に出るってアイマスの物語から外れてる感じがするんだよね。
勝つことまでは概ね分かりきってる状態ってのはアイマスらしくない気はしてさ。
ゆーてそれを緩和し続けたおかげで成功したっていう、高難易度ハードコアへの反省もまたマスの歴史ではあると思うわけでさ、そっからの正統進化が慣れたらクリアは安定であとはスコア狙いするだけのゲームっていうのはまあ納得しないわけじゃないよ。
でも何度も言うけどその安定感の高さと「成長」はやっぱ噛み合わないっていうかさ、「成長」が尊いのは失敗する可能性があってこそだと思うわけよ。
報われないかも知れない努力に挑む挑戦心はやっぱ物語の根幹として描かれてると思うんだけど、それがいつからか成功して当たり前の天才をただ育てるだけのプレイフィールになっていくのは違うんじゃないかなと。
まあ今の時代にスタミナ使って失敗するようなゲームをそうそう出せるのかって気はするけどね。
でもウマ娘はそれやって成功させたわけだし、学マスもあとちょっと攻めて良かった気がするんだよね。
「初」は文字通りのチュートリアルシナリオだし、ローグライクに初めて触れる人でもなんとかクリア出来る所に抑えてる感じはあるかもね。
ゆーて次のシナリオを出してくるとしてそこでもまた「成長」をテーマにするのかは疑問だよね。
もうとっくに成長したあとの世界で「活躍」や「挫折」や「特別」を描く方向に舵を切ったりした方が飽きられなさそうって気もするわけよ。
じゃあもう「成長」をやる機会は今だけじゃねって思いつつも、まあ俺がスマホゲーに多くを期待しすぎただけだという諦めもあるわけ。
手に取らせたら勝ちみたいな感じであちこちで同じ宣伝して回ってるだけで、単にインパクトが有るだけの導入口にあーだこーだ言ってもしゃーないのかも。
じゃあ本当のウリはどこなんだよって話をそろそろして欲しいよね。
『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方は!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)
あっ……(察し)。TVドラマのスタッフには恋愛脳しかおらんのか?
なお、これらの本件原作者の意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対しては ドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという 温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24)
温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!
「キツい指摘は見ててつらいから咀嚼して伝えて」という相沢友子の要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対に酢豚に入れないで」という要求を「原作者はパイナップルを酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者は酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたって キャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)
C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本の修正文書、及び「修正について」と題する文書がメールにて送付され、そのメール本文には本件原作者が書き下ろした 8 10 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話でドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)
何で??? 真剣にホラーだった。TV関係者の認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、 配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。(32)
役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグにしか聞こえんわ。マイナーな音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品のドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想)
B氏は日本テレビのライツ部門に状況を共有し、同部門の顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジットの約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言の法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家は原著作者であるため二次利用の差し止めは可能であるということであった。(34-35)
この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討が必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラのセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女の要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後は溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女の要求に法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、 20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「 父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、 高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。
2023年6月12日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)
「あなたは女の子だから短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……
芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。
仮に自分が原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。
でもそれをやると方々に迷惑がかかるから、自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……
TV局や俳優なんて、あなたの作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値な存在なんだから、もっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。
増田は日本の実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波は個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画でゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的な共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。
編集「先生、6巻が出ましたね!6巻が出るころにはドラマ化を考えようって話してましたよね」
漫画家(うーん……過去作品のドラマ化ではいい思い出がないけど……)
編集「はい!テレビ局からの打診があったら前向きに考えますね」
漫画家「未完の時点でドラマ化するなら、ドラマオリジナルの終盤は私があらすじからセリフまで用意しますね」
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編集「いいですね!他局からも話はあるんですが、そっちは断りますね」
編集「ただ、漫画家は原作にこだわりの強い『難しい人』なので、そこは配慮してくださいね」
編集「過去に脚本を自分で書くと言い出したこともある人でして。ベテランの脚本家より若手の柔軟な脚本家さんでお願いできれば」
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P「ありがとうございます!実績あるベテランの方なので安心して任せられます!」
P「あ、原作の漫画家さんはちょっと『難しい人』らしいです。一応」
脚本家「難しい人かー。まあなんとかなるでしょう」
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P「ありがとうございます!」
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漫画家(なぜかエピソードが並び替えられてる……セリフも変わってる……なぜここがカットされてるの??)
漫画家「納得できないところをWordにまとめました。脚本家の方にお伝え下さい」
編集(このWord、表現がきついな……ちょっとマイルドにしよう)
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P「うーん、持ち帰ります」
P「ということなんですが」
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P「はい」
P「これでどうでしょう」
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漫画家「……キャラが崩壊してるしストーリーの整合性もとれなくなってるじゃないですか」
漫画家「1~3話まではエピソードの入れ替えも我慢しましたが、4話はもう限界です」
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P「えー……」
脚本家「……このWord、いくらなんでもひどすぎませんか。読みたくないです。Pが要約して要点だけ伝えてください」
P「はい……」
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(※何度かやり取り)
P「ありがとうございます!」
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漫画家(疲れる……この感じでは、ドラマオリジナルの終盤はとてもまかせられそうにない……やはり自分でプロットを書こう)
漫画家「9、10話のプロットをざっくり書きました。疑問点やリクエストがないか聞いておいてください」
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P「むむ……これはちょっといろいろ変えたいですね。リクエストをまとめました」
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P「うー、はい」
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漫画家「8~10話の詳細なプロットを書きました。セリフもだいたい入ってます」
漫画家「今後の展開のネタバレギリギリのラインを探りながら書いたので、アレンジは基本しないでほしいです。尺や撮影上の都合はしょうがないですが」
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編集「詳細プロットです。基本アレンジはなしでお願いしたいとのことです」
P(え……変えるつもりだったんだよな)
P「……いや、脚本家が台本にする上でアレンジはどうしても発生するんですよ。ご理解ください」
編集「はい、一切の変更を許さないということではないです。よろしくお願いします」
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P「そういえば脚本家の人、指摘のWordがきつくて読めないって言ってるんですよね。ここだけの話なんですが」
編集「なるほど」
漫画家「ええ……もう一切信じられない」
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編集「漫画家が描き下ろした8~10話はそのままにしてください、とのことです」
編集「長過ぎるセリフのカットはしょうがないですが、セリフを少し変えるなどの創作はNGです」
P「あの、ドラマの台本は脚本家と漫画家がやりとりして作っていくものなんですよ。言ったじゃないですか」
編集「それでも、9、10話に関してはロボット的な脚本起こしでお願いします」
P「いや」
編集「できないんですか?であれば脚本家を外してください。さもなくば、配信や二次使用を許可しません」
P(うっ、そこを突かれると厳しい)
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脚本家「そんなことになってんの?はじめて聞いたんですが」
脚本家「もう10話まで脚本書いたんですけど……ショックすぎて言葉も出ない……」
脚本家「……しょうがないですね……クレジットもなしでいいです」
P「ありがとうございます! クレジットはちょっと考えさせてください」
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脚本家「1週間考えたんですが、やっぱりクレジットは入れてください」
P「はい、もちろん。"原作・脚本 (漫画家の名前)" "脚本 (脚本家の名前)"で出しますね」
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編集「ということらしいんですが、クレジットだけ脚本家の名前を入れてもいいですか?」
漫画家「ダメに決まってます。脚本家の方が9、10話に関わったかのように誤解されたくないです」
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脚本家「最大限譲歩してるんですよ!?約束が守られないなら8話までの脚本を引き上げます。弁護士とも相談します」
P「ええ……」
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P「あ、まだ契約してない……」
テレビ局法務「えっ、じゃあ脚本家の方が差し止めることは可能ですね……」
P「弱った……」
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P「どうにかお許しいただけませんか……」
脚本家「そもそも最初は、オリジナルの部分は一緒に作らせてもらうという話だったんですよ?」
脚本家「10話には自分のアイデアも入ってる。これは著作物じゃないですか?」
脚本家「クレジットはテレビ局が決めるもの。漫画家が放送差し止めを振りかざして変えられるのはおかしい」(※漫画家とも契約未締結なので、漫画家は放送差し止めする権利がある)
脚本家「9、10話には"監修"として私をクレジットしてください。それもダメならせめて"協力"で。これ以上は絶対譲りません」
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P「もう間に合わない……9話は脚本家へのクレジットなし、10話はオールスタッフクレジットで"脚本(1~8話)"として放送しちゃおう」
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脚本家(説明する必要があるね……インスタグラムに事情を書こう)
脚本家「漫画家の方が最後の脚本をどうしても書きたいとのことで~」
P(書いてほしくなかったな……契約書には秘密保持があるんだけど、まだ契約できてないので何も言えない……)
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視聴者「8話までは面白かったけど、9、10話はいまいちだったな。漫画家が出しゃばったからだろうな」
漫画家(8話までも私がめちゃくちゃ修正したんですけど!? 脚本家の手柄になるのは納得できない。私もブログを書こう)
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あとは報道等で知れ渡っている通り。