はてなキーワード: AOとは
担当編集がいるとか出版社社長や有名クリエイターと会話できる仲とか
地方人ゆえに、東京にはこのレベルの18歳がゴロゴロいると勘違いしたんだな。
18歳そこそこで企業や業界の大の大人達に本気で一緒に仕事したいと思わせるような
この手の微妙な偏差値の私大ってAOや指定校推薦で埋めてるからねー。
頭の悪さといい、異常なほどの世間知らずっぷりといい。
あんまり書くと特定されちゃうかもしんないから書かないけど
ちなみにわたしは商業出版に関わるような結果出してますからねー。
けっこう有名なクリエイターの人とも話せたりして、そっちの方がめっちゃ刺激的だしー。
わざわざゴミ溜めに入って仲間作る必要なんかないし。
こっちで知り合い人のほうがぜんぜん代え難いものですし。
参加していて気になったというか、いいのか?と思った事として、筑波大学にAC受験したい子が実績ロンダリングとして参加してるようだったということ。
セキュリティ(プログラミング)に興味があって,キャンプ自体の選考に通るぐらいの能力がある人が,AO(筑波大学だとACか)入試を使って入学するのは何か悪いことなのか.もしロンダリングに使えるとしたら,本当に「セキュリティ&プログラミングキャンプに参加しました(キリッ)」って”だけ”で合格できてるのかねぇ.
キャンプの選考は能力なんか見てなくて,「筑波ACを受けます」って書いたら通るような印象を与えかねない表現は良くないと思う.キャンプと大学と,両方の関係者に失礼どころの話しじゃねーよ.
実際、筑波大学AC受験組の内輪イベントみたいな空気が漂ってる場面もあったり、高校生に対して「セキュリティキャンプ行って受験した子で落ちたの1人しかいない」などと勧誘してる場面が多々あった。
チューターの一部だろうと思うけど・・・
それは(運営側の)反省点として挙がっていて,今は意識してそういう雰囲気を出さないようにしているみたいだよ.
ただ,勧誘に関しては,ザックリ言えば「受験勉強は苦手だけど,大学(例えば筑波)でやりたいことがある」っていうバックグラウンドを共有できる人が結構居るわけで,経験者がいれば勧めたくなるってもんでしょう.そういう人種が集まりやすいイベントなわけだし.
うーん、俺はどちらかというと一律に評価しようとしている、という面で入試と同じタイプかな、と思ってる。
だから企業の側が「社会はこれまでと違います」と主張することにも違和感がある。
大学にいつでも入れるような土壌があればAOも推薦も価値はないと思う。大学内部に競争力があれば飽きた人も講義についていけない人もやめざるを得ないから、入試する意味も殆ど無くなると考えている。
アカデミックに考えると、数学科から考古学とか、言語学とか、夢が広がりまくりで、たまらんのですよ。
そういう分野に強い人間が少なすぎる気がするし。
ねー。
【橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院大教授、内田樹さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm
「学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。
確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリのごまかしである。学力がテストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。
日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験に合格したり一流企業に就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。
「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習の時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。
すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義、能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプの子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。
こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。
西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。
ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツでマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。
日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会の流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育が
という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会の流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。
現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。
ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。
そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義の仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。
色々なタイプの子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。
しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプの子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。
ICU 620人 350人(56.5%) 270人(43.5%) 1校
上智 2160人 1322人(61.2%) 838人(38.8%) 0校
慶応 6145人 3920人(63.8%) 2225人(36.2%) 5校
早稲田 8880人 5880人(66.2%) 2000人(33.8%) 5校
法政 5850人 3965人(67.2%) 1920人(32.8%) 3校
中央 5410人 3694人(68.3%) 1716人(31.7%) 3校
立教 3685人 2575人(69.5%) 1110人(30.5%) 2校
明治 6205人 4421人(71.2%) 1784人(28.8%) 3校
青学 3132人 2285人(73.0%) 847人(27.0%) 1校
そしてさらに新たな問題が最近になって浮上してきている。それは、AO入試(学力試験の代わりに書類審査、
建前上は、一発勝負の受験の弊害を排したり、多様な学生を集めるためのものだが、有効に機能しているとは思えない。
推薦組、とくにAO入試組の低学力が、各大学で問題になっているのだ。
私の知る限りでも、早慶レベルの学校に、それより偏差値が10以上下の大学の付属校から成績不良で大学に上がれなかった
生徒が推薦やAOで数人入学している。基本的にAO入試というのは、アメリカで行われている試験制度を採り入れたものと
いうことになっているが、アメリカの場合は、SATと呼ばれる統一学力テストの点数も評価したうえでのセレクションが原則だ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/174705/より抜粋
2009年の大学の実力で読売新聞が収集した一般入試、推薦入試の
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/07/post_461.html
たとえば中京大学は、
AO10名、指定校732名、公募623名、付属・系列218名。
一般入試への占める割合が、51.34%
かなり激しい偏差値操作です。
ちなみに名城が59.29%で中京と比べればかなり割合が増える。
推薦入試枠がなければ、名城と中京の偏差値が入れ替わるかもしれません。
ちなみに総合大学で、割合が高いのは、
このへんの大学は、推薦枠を広げれば偏差値を上昇させることができる大学。
(あえてしないのは、在学生の質が落ちるからだと思われる。)
悲しいことに私立大学の偏差値でトップにたつ慶応、早稲田大学は一部しか公表せず。
一般5割、推薦4割、AO帰国1割って感じ。
今は一般入試の枠を減らしてセンター利用枠に替えているので純粋な三教科型の一般枠はもっと減ってるはず。
http://www.waseda.jp/kyomubu/hyouka/2005houkoku/2005_03_01_01.pdf
一般入試 611名 51.6%
内部推薦 250名 21.1%
指定校推薦 213名 18.0%
AO入試 109名 9.2%
帰国入試 1名 0.1%
政経法商なんて一般募集は半分以下にして、一部はセンター利用で東大一橋落ち拾うようにしてるけど残りは全部推薦AOにまわした。
1990年 1060名 1100名 1000名 840名 1000名 540名 480名 420名
1992年 920名 950名 ↓ 900名 970名 650名 ↓ 380名
1994年 ↓ 900名 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
1998年 ↓ ↓ 900名 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
2001年 800名 750名 800名 820名 960名 590名 410名 355名
2004年 500名 350名 500名 640名 700名 500名 450名 330名
2007年 450名 300名 ↓ 440名 700名 500名 500名 330名
2008年 450名 300名 460名 440名 700名 500名 500名 360名
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増減 -610名 -800名 -540名 -400名 -300名 -40名 +20名 -60名
90年比 (58%減) (73%減) (54%減) (48%減) (30%減) (7%減) (4%増) (14%減)
早稲田の学生の半分が一般入試を経ないで入ってくる現状だとこれからは
っていう風な区別の方がより重要になってくるんじゃない?w
というか学部間の学生の差が、昔以上にかなり均質になっているのは間違いない
(ttp://www.admissions.keio.ac.jp/exam/ippan.html参照)
試験科目数別の定員
3教科~ 1270名 ←一般私大
1、2教科 2650名 ←Fラン入試www
0科目 2235名 ←推薦馬鹿w内部w裏口www
慶應法 一般460(36.5%) センター100(7.9%) /A030(2.4%)/指定校160(12.7%)付属420(33.3%)
慶應経済 一般750(62.5%) /付属450(37.5%)
慶應文 一般580(72.5%) /公募推薦120(15%)/ 付属100(12.5%)
慶應商 一般700(70.0%) /指定校150(15%) 付属150(15%)
慶應理工 一般650(61.9%) / 指定校195(18.6%) 付属190(17.6%)
慶應SFC 一般550(61.1%) /AO200(22.2%)/ 付属150(16.6%)
慶應医 一般66(60%) / 付属39(39%) /帰国1(1%)
見れば分かる通り、慶応法とか試験通らないで入ってくる奴が半分以上で酷い。
指定校は基本、成績にばらつきがあって、真面目だが、一般では入れるとは思えない印象。
付属は多すぎて、特に一般では難関の学部に限って、付属枠が大きいため、多少
馬鹿でも希望の学部にいけてしまうらしい(法や経済は極めつけ)
ちなみに・・・
ttp://www.admissions.keio.ac.jp/topics/info_20070731.html
世界史Bの出題範囲は1500年以降を中心とし、日本史Bは1600年以降を中心とする
2009年度入試からは、筑波大学(社会・国際学群)および、一橋大学で廃止。
筑波大学と九州大学は、2000年度に、国立大学初のAO入試を導入した大学であるが、
「AO入試組」の学力不足・入学後の学業不振を理由に、見直しを決定。
「2005、2006年度に一般入試とAO入試で入学した学生の成績を比較したところ、
授業が進むに従い、AO入試で入学した学生の成績に低下が見られた」
「AO入試で入学した学生の成績がほかよりも低い傾向にあった」
「センター試験を課す学部では目立った差がなく、基礎学力の不足が原因と判断、廃止を決めた」
「(AO入試では)しっかりした学力を身に付けているかどうか判断できない」
優性を誤解してる人が後を絶たないなあ、、、。
双方の親から異なる遺伝子を受け継いだ場合、多くの場合、どちらか一方の遺伝子に含まれた情報の形質が現れ、もう片方の形質は現れない。現れてくる方の情報を持った遺伝子型を優性であるといい、現れてこない方の遺伝子型を劣性であるという。なお、漢字の印象からしばしば誤解されるが、遺伝子型でいう優性とはそれが優秀であるという意味ではない。単に表現型として外に表れる力が弱い、というだけである。それが表に出ない仕組みは、先の例で言えば、背が高くなるという方の遺伝子には「背を高くしろ」という命令が”書かれている”のに対して、背が低くなる方にはそれが“書かれていない”と考えると分かりやすい。
wikipwdiaより。
遺伝子は二つ一組でできてるのは知ってるよね。ABO式血液型で言えば、AとBは優性、Oは劣性。でもOだとなんか劣ってるってことは一切ない。
ただ父からAを受け継ぎ、母からOを受け継いだ子供はAO型となり、このときOの性質は表に出ない。遺伝子としては所有してるけど、体の特徴に現れない。
でも体の特徴に現れないだけで、持ってはいるから、子孫にはちゃんと受け継がれる。この子がO型のおにゃのこと結婚したな場合、そのさらに子供に自分がOを与え、およめさんもOを与えるから子供はO型になる。劣性遺伝子もそうやって受け継がれていくんだよ。
基本的にはないがAOや推薦等
学力試験の選抜による学力の保証がない入試方法による入学者に対しては
学力を測るって意味合いも含めて課題が出されるケースがあるよ。
あと、入学まで以降勉強が必要ないからと勉強しなくなるのを防ぐ意味合いも含めたり。
色々と反応はあるけど大元の益田の言ってる事はあながちまちがいでもないよな
常識は必要だし課題なんて早く終わらせるに越したことはないし大学生活は金があるに越した事はない。(バイトいい経験になるし)
あえて反論するなら資格の話?
自分は別に資格なんてなくても社会人になるまでなら別に困ることはないと思ってた口なので
http://d.hatena.ne.jp/hapwish/20081214
1、どうせ暇だし規則正しい生活をする。
できれば朝早く起きて運動をする。程よく筋肉があったほうがモテるし。
一番守ってほしいのはこれ。朝早く起きれば一日がすごく長く感じるはず。午前中の貴重な時間をつぶさないためにも
絶対に守ってほしい。ニコ動は朝でも見れる。
あと、大学も1限からあるわけだから高校と同じようなリズムを保つべき。というのもある。
絶対にだ。というか、今やれ。はい。これ読んだら明日からやれ。
終わったらすぐに「やりました!」ってコメントしなさい。
たいした課題は出てないだろ?(どうせレポート4000字+α位)
早めに終わらせたらどれだけ楽なことか。今、ニコ動なんて見るな。終わってから見る。ストイックにやれ。
新学期直前は授業どれとるか考えたり、サークル選びに忙しくなるから。言っておくが、授業選択とサークルは超重要だぞ。
いわゆる『楽しい大学生活』か、『引きこもり生活』かはこの2つに掛かっている。
それに春休みは一般組が受験終わって「カラオケいこうぜ!」なんて誘ってくるから忙しい。早めに終わらせるんだ。
3、どうせ暇だし新書を最低15冊読む。(できればその他含めて50冊)
課題は一日1、2時間で良いだろ?朝6時におきれば課題はお昼までには終わる。×10日もあれば余裕で課題終了。
そしたら午後はニコ動でいいから。どうせ友達は受験勉強してるし、学校はいかなくて良いし。ラッキーじゃん。
そしたら、寝る前で良いから新書を読め。自分が面白そうだと思ったやつでいい。
わかりやすく言うと1週間1冊でいい。そりゃ「1日1冊」とか言いたいけど、本好き以外無理だからね。
新書マニアとか教養を身につけるために今までも読んできたやつは小説でいい。「容疑者Xの献身」とかでいい。
もちろんもっと新書を読んでもいい。
4、どうせ暇だしアルバイトする。
とりあえずアルバイトしろ。もうさすがに年賀状配達の募集は終わっているが年末年始はどこもかしこも忙しいんだよ。
募集してるところはたくさんある。電話かけるのは確かに緊張するけど、勇気を出せ。
大学生はとにかくお金が掛かるから今のうちに貯金しないと悲惨だから。
家で引きこもりがちなこの休みをバイトをすることで否応にも外に出るきっかけを作る。
「勉強しなくちゃ」なんて考える暇があるんだったらさっさとするかバイト行け。
お勧めは「簿記」。マイクロソフトオフィスでも危険物取扱でもいいしTOFELやTOEICでも英検でもいい。
面白そうな資格があればぜひとっておきたい。大学生になったら意外と忙しいから。
今でも「大学生は人生の夏休み」とかほざいてた奴には腹が立ってしょうがない。どこが夏休みだと。