はてなキーワード: 精神論とは
有効求人倍率の推移
年 | 有効求人倍率 | 有効求人数 | 有効求職者数 | 就職件数 |
---|---|---|---|---|
1990 | 1.40 | 1,814,807 | 1,294,185 | 113,332 |
1991 | 1.40 | 1,805,631 | 1,290,153 | 106,709 |
1992 | 1.08 | 1,553,333 | 1,433,026 | 108,284 |
1993 | 0.76 | 1,275,820 | 1,669,074 | 111,747 |
1994 | 0.64 | 1,186,463 | 1,848,098 | 120,628 |
1995 | 0.63 | 1,233,449 | 1,954,365 | 126,684 |
1996 | 0.70 | 1,393,689 | 1,980,970 | 128,680 |
1997 | 0.72 | 1,493,094 | 2,070,944 | 132,306 |
1998 | 0.53 | 1,265,216 | 2,394,818 | 137,300 |
1999 | 0.48 | 1,206,889 | 2,529,993 | 144,177 |
2000 | 0.59 | 1,472,596 | 2,506,804 | 155,421 |
2001 | 0.59 | 1,534,182 | 2,597,580 | 157,206 |
2002 | 0.54 | 1,486,484 | 2,768,427 | 168,366 |
2003 | 0.64 | 1,670,065 | 2,596,839 | 176,143 |
2004 | 0.83 | 1,956,329 | 2,368,771 | 178,754 |
2005 | 0.95 | 2,163,164 | 2,271,675 | 176,954 |
2006 | 1.06 | 2,294,833 | 2,164,014 | 178,075 |
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F
四年生大学を出た場合、ピークの1999年に就職活動をした人は今31歳?32歳?、ひきこもりという現象と経済状況に相関関係があることはうなずける。
http://anond.hatelabo.jp/20080223093706
追記: ほんと、こういうものは統計数字が出てしばらくしてから見えてくるね。リアルタイムでは分りにくい。
精神論で、努力が足りない、才能が足りないと、どれだけの人が言われ傷ついたのだろう。親戚の目を気にする親から恥と言われ、どれだけの人が自信を無くしなのだろう。精神論ではどうしようもない現実があったって数字が示してるね。
そろそろ、クレーマーというものへの対応を社会全体として考える必要があるだろう。
私が思うに、クレーマーの問題性というのは大きく分けてふたつある。
第1は、消費者の視点から見た問題。
企業がクレーマー対応に支出する諸々のコストは、結局は我々一般消費者に転嫁されるほかない。
クレーマーが主観的には金銭的利益を目的としていない場合であっても、クレーム対応に要する人件費は回りまわって我々が払うことになる。
第2は、労働者の視点から見た問題。
往々にして、クレーム対応者というのは会社内の末端で、弱者である。
そして、企業の経営者や管理者は、クレーム対応者の苦労や苦悩に無理解であることが少なくない。結局のところ彼らにとっては、末端労働者の磨耗よりも、会社の外面の方が大事だからだ。
結果、「どんな苦情者も誠心誠意対応すれば分かってくれる」といった根拠のない精神論や、「クレームはサービス改善のヒントだからしっかり拝聴せよ」といった一般論としては正しいが個別には妥当しないお題目が喧伝され、これらを真に受けたクレーマーがますます増長してしまう。
実は、サービス業に限って言えば、クレーマー問題を解消する秘策がある。会員制にするのだ(TSUTAYAのように)。
そして、企業として、相手にする必要がないと判断した人物は、退会させ、訴訟を起こされない限り以後一切の接触を断てばいい。
今はケータイなどを使って簡単にID確認ができる。会員制にするコストは以前に比べ格段に下がっている。
その気になればコンビニでも会員制にできるはずだ。
言っていることは全く正論なのに、なぜここまで反論が多いのだろう。
反論が多いだけならいいのだが、その大半が「はてなはマイペースでいい」だの「はてなは非上場じゃないんだから」だの
よく考えて欲しい。
シリコンバレーに行く前は、「はてなは世界に通用する!」「世界に行くべき」という意見だったのに
シリコンバレーから撤退すれば、早これだよ。
正直負け惜しみにしか聞こえないわけだが。
一体何のためにアメリカに渡ったのか本当に理解できない。
そんな中途半端な傷の舐め合いしかできないなら、始めから渡米するなんてパフォーマンスしなくて良かったのに、とすら感じる。
何が気持ち悪いって、渡米した失敗を鑑みて反省するどころか、
京都に逃げたことに対する理由と言い訳をでっち上げることしかしようとしない一部の村人だ。
http://anond.hatelabo.jp/20080220031434の増田ですが。
ただ鬱でも、頑張ってる人も成果出してる人もたくさんいるよね。そういう風に、休むべきところまできているのに休まないような鬱の人ばかりじゃないっていうのは知っておいてね。
ここが問題にされてるんだと思うけど、俺の真意と真逆に取られてるようなので、一応説明。
俺は、元増田のエントリ(http://anond.hatelabo.jp/20080220025627)の出だし、
職場に鬱の人っています?
しかも、同じプロジェクト内とかに
すごい迷惑なんですよね。
をまず、どうよ?と思っていた。何故かと言うと、「職場に鬱の人がいたらいけない、迷惑だ」のように読めてしまったから。
「読めてしまったっていいじゃないか」と言われるかもしれんが、よくない。なぜなら、「鬱でも、頑張ってる人も成果出してる人もたくさんいる」のを知っているから。だから、鬱の人が職場にいる=迷惑ということは思って欲しくなかった。
それを前提として、返信。まず、http://anond.hatelabo.jp/20080220035030の増田へ。
病気なのだから「頑張れない」が当たり前。「頑張らなくて」いい。
頑張れといったつもりはまったくない。自分の置かれている環境から言って、鬱の人に頑張れなんて自分が言うわけがない。
鬱の人同士でもこうやって差別しあうって何のこと?「こうやって」が分からない。
「鬱でも成果出してる」なんてのは「インフルエンザでもきちんと仕事してる」というくらいばかげた精神論。その人に一番合ったペースで生きればいい。
ここは最初に説明した俺のレスの真意を汲んでくれれば分かってもらえると思う。つうか、もうどこから突っ込んでいいのか分からないくらい、そんなのは分かりきった話。
http://anond.hatelabo.jp/20080220040353の増田へ。
思い切って休めない奴のほうが多くないか?>うつ
判断力が鈍るのも症状の一つなんだから。
もちろんその通り。
とりあえず「休む判断出来ないウツが悪い」という流れは好ましく感じない。
休めたら休んだほうが本人だって楽なんだから。
だからそんなこと言ってねえんだよなあ。鬱の人に会ったことは数え切れないが、鬱や鬱の人が悪いと思ったことは、生まれてこの方一度もない。
小学生ってのは言いすぎだったな、謝る。
でも、「やらないほうがまし」っていうのは反対だな。
に対する答えは
いや、昨日ちょっとみてみただけだけど。
に尽きるな。
やらないほうがましってのは、めんどくさいからじゃないんだよ。精神論じゃだめってこと。前の投稿でも書いたけど、何かをやるには必ず二酸化炭素を放出してしまう。その放出した二酸化炭素に見合うだけの二酸化炭素削減があるかって話。膨大な研究費と労力をかければ収支を+に転じることができるかもしれないが、じゃぁ、同じ労力をほかの分野に向ければもっとよくなるんじゃないかってことを考えなければならない。
廃熱利用はそういう分野だよ。将来ごみ処理場を農業中心地に建てて寒冷地農業をいくらか底上げすることができるかもしれない。だけど、今あるものを何とかできるかって言うと暗い。あと、ごみ処理場を田舎に作るのはそれ以外に重い政治的問題がある。
ええと、しょうがくせい?
お湯が沸くからタービンをくるくる回すってんじゃ、家庭用の電力買取設備で扱う程度の電力しか生み出せない。精神論的にはそれでもOKだろうが、その分複雑化する設備の故障率やらメンテを考えたら、まるで割りにあわない。やらないほうがましシンプル・イズ・ベスト。
ちなみに、「割に合わなくても二酸化炭素削減云々」ってのは無し。経済的に割に合わないことは、よほどのウルトラCをかまさない限り、二酸化炭素排出量は増えるから。
(プリウスですら、非標準部品を作るので他の自動車より製造時排出量が増えている。それを上回るウルトラCだったってこと)
太陽電池だって、クリーンと言われつつ生涯発電電力が製造時投入電力を超えるまでずいぶん時間がかかった。エコってのは簡単じゃない。
一定の効率で、つまり、建設費やら維持費やらを差っぴいても割が合う効率で発電するには、ぬるい熱量じゃだめってこと。
そんなクソ精神論知るか。外出てねーから引き込もりなんだよアホ。
初めにいっておくと、自分はかれこれ2年近く抗うつ剤を処方されている。そして、今の精神状態を保っていられるのも、薬の効果に因るところが大きいよう思う。しかしながら今になっても、「うつ」というものが一体何なのか、と考えたときに明確な答えはわからない。自分の経験からいえば、とにかくしんどくて死にたいという思いが四六時中頭から離れず、仕事や勉強はおろか、食事・睡眠といった根幹的な行動すら不能になり、生活が全く立ち行かなくなってしまった状態が長期に渡っているとき、だと思うが、結局は人それぞれのことだろうし、第三者が判断するのも難しい。
とはいうものの、ふと「うつ」という言葉を目にしたとき、同情するよりも、何か不快な感情が沸いてくるのは自分だけではないと思う。それは「うつ」という言葉に"やる気がでないのはうつのせいだ。だからきつい言葉を浴びせないでくれ…"という意味合いが含まれているのを感じ取ってしまうからだ。だから、圧倒的なネガティヴさによって精神が腐食され、それが周囲に伝播する前に、病院へいって治療を受ける必要がある。自分も以前は、また今でもそのような気持ちを少し引きずっているので、誰かと接するのには注意を払わなければいけない。恣意的な悪意はなくとも、相手をネガティヴの渦に巻き込んでしまうからだ。
さらに思うことは、人生における一時期の停滞を簡単に「うつ」と理解してしまっていいのだろうか?ということだ。それまでバリバリと働いていた社会人なら、一呼吸おいてリフレッシュすればまた復帰できるかもしれないが、思春期から青年期にかけては、誰しもが成長途上で様々な問題に直面し、ある程度乗り越えていかなければいけない。その過程で落ち込むことはたくさんあるだろうし、うつっぽい状態に陥ることも珍しくないはずだが、それを「うつ」という視点からのみ解決するのは適していると言い難いように思う。また、一時的に退避した状態から元に戻るのは、大変に困難なことだ。しかし、世の中には想像するよりはるかに理不尽な状況があるだろうし、自殺に追い込まれる状態になることだけは、絶対に防がなければいけない。
結局のところ、自分にとっての「うつ」というのはあくまで副次的なものにすぎないのであって、精神論で解決できるものではない、ということだ。「うつ」だから行動できない、といういいわけはもうしたくない。ベタなことだが、できないことを悩むヒマがあったら、"今"できることをひたすらにやるしかない。そして、働いて生きていくしかない、という現実を受け入れなければいけない。体がどうにも動かない状態なら無理だが、今の自分は動ける。だから今、何かをやりたい。
ちょいと聞いてくれよ。
今日、dankogaiのエントリがGoogleReaderに飛び込んできたわけですよ。「赤木智弘たちに足りないもの」。
そしたらなんか精神論を振りまいていて、文章の意味がわかんないんです、これが。
で、よく見たらなんか下のほうに「嗤うな、笑え。」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。内容のない文章馬鹿かと。
dankogaiよ、いつも他人を嗤ってセコくアクセス稼いでんのに「この前は団塊批判したし、今度は若者の批判をして
バランスとっとくか、これでまた書評屋としての印象度アップだな。ウヒヒヒ。」って政治屋やってんじゃねーよ、ボケが。
「笑い」だよ、笑い。(嗤)
なんか誰も知らねーようなSFから引用してるし。火星人に育てられた地球人か。おめでてーな。
よーしパパたくさん笑っちゃうぞ??、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、いいエントリ教えてやるからちょっと「赤木智弘たちに足りないもの」をブックマークするのは待っとけ。
いいか、人生戦略ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。書評野郎は、すっこんでろ。
で、やっと読み終えたかと思ったら、コメント欄で「「嗤う」より笑わねばならないと思います。」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が「嗤うな、笑え。」だ。
お前は本当に若者に手を差し伸べてやりたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、他人の穴を探して嗤って優越感に浸りたいだけちゃうんかと。
氷河期世代の俺から言わせてもらえば今、氷河期世代の間での最新流行はやっぱり、
「無学歴、無職歴、無実力のニートが年収500万円の正社員になる方法」。これ最強。
今まで労働問題に関わってきた学者全ての発言よりも最強、世界のどこに行っても向こう100年にわたって通用する
ほどの超実用的スーパーエントリ。文科省は教科書検定して高校生の国語の教科書全てに掲載しろってこった。
睡眠障害として治療する場合は、体内時計の調整を中心に加療するようです。
手軽に実行できるのは朝起きたら光浴びることとか(ブライトライトという商品もある)。
他にもガッテンでいくつか方法が紹介されてました。
http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2006q2/20060426.html
精神論ではなく生活習慣などをコツコツ見直していくことが大事かと。
ええ、俺逆だと思う。
寧ろ日本の先生って(いや、海外どうなってるか知らんけどね)、そういう風に「もっと気楽に描けばいいんだよ」とか「自分の気持ちを表現すればいいんだよ」とか多分先生本人もよくわかってない曖昧な精神論しかいわないじゃん。
芸術だからって、そうやって精神論で逃げるんじゃなくてさ。もっとバリバリテクニック教えればいいと思うんだよね。
どういう風に描いたら、うまく見えるか。どういう風に色を塗ったら、うまく見えるか。
例えば友達同士の顔を描こう、なんてあるけど、あれでも具体的なアドバイスする先生っていないじゃん。「よく見て描きましょうね」とかしか言わない。よく見てって、じゃあどこをどうよく見ればいいのか、何をどう反映させればいいのか。そういうのを細かく教えたほうがいいんじゃないかと。目は人間の顔の大体半分に位置しているとか、そういうバランスを抑えると、グっと上手く見えるぞ、とか、ねんどとかの工作でも、こういうヘラの使い方すると、うまくみえるぞ、とか。
「自由にのびのびやれ」なんていわれたって、子供は逆に困惑するだけだよ。「子供に自由にのびのびやらせることこそ善」的な価値観が最近多いけどそれってどうなんだろうと。寧ろ「こうすれば上手くなる」という具体的なテクニック、分かりやすい指針を教える事で、子供達はやる気がでるんでないか。教えてもらった技術で描くとよりうまくなる→じゃあもっと先生にうまくなる方法聞く→うまくなる、って感じで。子供達は自由にのびのび描くなんて事そもそも望んでない。のびのびなんていうならそもそも彼らは美術の授業なんて受けたくないんだから。それより好きな物をどう上手く描くか、大人でもびっくりするくらい写実的にうまくかけるか、その方が興味あるだろう。そういう「凄い絵」をかければみんなが驚くし、褒められるし。もっとうまくなりたいと思って先生に聞いても、「もっと気持ちをこめて」とか曖昧なことしか言われないんじゃ、そりゃ皆やる気なくすって。そんで基本的な技術教えられないから、漫画とかに特別興味を持った子でもなけりゃ大抵絵が下手なまま育つ。「絵はなんか芸術的で難しくて俺には描けない」そう思い込んで育っちゃうんだよ。自由にとか気ままにとか精神論だけ言ったところで全然上手く描けないからそうなる。
自由にやれとか気楽に描けとか、聞こえはいいけど、それって先生が教える責務投げ出してるだけじゃん?
何も知らないのに自由にやれるわけがない。自由に描くのは、基礎を知っているからこそだよ。基礎を知っているからこそ、その基礎から外れることが出来る。ピカソだって基本が出来てるからこそあんな絵を描くことができたんであって。生まれてきて何も知らないままピカソがあんな絵を描いたわけじゃない。
作文なんかも、「なんでもいいから自由に書け」って言われた方が皆書けない。ある程度のテーマや、どんな風に起承転結させていけばいいか、そういった事を教えていかないと。寧ろ最初はテンプレに沿ったものを書かせる。そんで徐々にそのテンプレを外していく。そうしないと書けないし、うまくならんっしょ。
天才でもそれは同じだと思う。まあ、本当に最初から独自の描き方書き方ができる(そういう奴らも、結局それまでのインプットが凄かったんだろうが)稀に見ぬ天才もいるだろうが、そんなもん割合的に小さいんだからそっちに沿わせていたら他の奴ら全部潰れちまう。そう言う天才は別で拾って育てるべきだろうけど。
「テクニック」っていうとなんとなく「小手先のそれ」ってイメージが強いのか、日本人は嫌うけど。テクニックこそ重要だし、どんな子にも教えられるもの。それこそ教育だと思う。芸術に限った事じゃなく、どんなことでも学生のうちは基礎の技術と知識をガンガンインプットさせるべき。精神論なんかその後で十分だよ。
「たとえ自滅するとしても、自分たちのことは自分たちで決める」
これは何より精神論として有効だと思うな。
自滅の危険性を意識し、同時にその可能性に向き合った上で、愚民が知恵を出し合い、
時間はかかるが意見の調整をする。
そういう気概が民主主義そのものだろう。国民投票バンザイだよ。
そうやって国の在り方を微調整しているうちに、ぶれない軸が自然に出てきたら
それだけが憲法に残っていくはずだよ。愚民に、賭けてみようよ。
…というような甘言にも要注意だけど、甘言にも、一度はダマされてみるものだと思うよ。
今のマスコミはよくないよ、愚民がいちどに賢くなれるかのような幻想をふりまいてしまっているよ。
愚民は少しずつしか賢くなれないよ。3歩進んで2歩下がることしかできないよ。
いや、この程度で潰れるなら育てる価値ないんじゃないのかなぁ
あーそれ言うかなと思ったけどさ
貴重なんだよ。こういう前向きな意見はさ。
先にあるのがなんであれ、とにかく進もうとする意は俺は買ってやりたい。
というか買ってやらないと、買ってやらないから、日本人ってこういう性質になったんだわな。
そんな貴重な芽を、あっさり潰さないで欲しい。
この程度で潰れるなら云々、という言い分を言う奴はよくいうけど
そういう精神と、やり遂げる能力って関係ないと思うんだよね。日本人はやたらに精神論が好きだけど。
ちょっと言われただけで萎えちゃうような奴でも凄い才能を持っていたりするわけ。
どんな悪人だろうが才能や能力はまた別問題だったりするように。
勿論言われたって潰れないほうがいいだろうけど、だからといって潰れるから、どうせダメだって理論は、余りに大雑把過ぎるし、普通におかしい。たいした論理的根拠もない、非難する側だけに有利な一方的な理屈。余りにただ批判するだけの側に対して有利すぎる論理。言う奴は楽だろうさ、ただ非難していればいいんだから。それで相手が気にしなければ誰からも責められることはないし、責められたとしても「これで潰れるくらいならどうせ」といえばいい。魔女裁判のようなその仕組み。どの道非難する側はなにも損しない仕組みになっている。そんな「逃げ」を打つくらいなら言うなといいたい。それで芽が潰れる可能性があるかもしれない、自分が何かを壊しているのかもしれないという責任を追う覚悟もないなら言うなといいたい。それこそのその程度の覚悟もできないなら言う価値ないんじゃないかなあ。
どの道俺は、そうやってただ水を差して逃げを打ちながら非難する何の生産性も無い奴より、たとえ間違っているかもしれなくても、将来をよくしたいと動く奴の方がはるかに凄いだろうと思う。しかし前者のタイプがいままで後者を出る杭を叩くように駆逐してきたのが「日本」。ある意味典型的日本人の反応ではあると思うがね。とにかくなんでも否定から入る。将来をよくしようなんて考える気は本当はなくて、ただいつまでも皆で嫌なぬるま湯のなかでブツクサ文句を言っていたい気色の悪い人種。そんなんだから今このような事態に日本はなってしまっているんだ。君はその典型だよ。目立つ奴、動く奴を、自分は動きもしないくせに簡単に非難するな。非難するなら何か自分は大切な将来への第一歩を壊そうとしているかもしれない事を覚悟してからにすべきだ。