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はてなキーワード: 精神論とは

2007-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20071004230015

こういうのは精神論でどうにかなる問題じゃねーよ。

自分自身の精神と戦うといっても、全身骨折じゃ話にならないだろ。まず身体治療してからにしろって思うだろ。そういう事だ

2007-09-17

次からちゃんと気をつけます

「次からちゃんと気をつけます」っていうセリフイライラする。

もうその話題はいいじゃないすか。終わりましょうよ、しつこいな。っていう意図がムカつく。

気をつけるという精神論ですべてをかたづけようとして、根本的な対策を練らないのがムカつく。

「次からちゃんと」って、今回気をつけてなかったとでも??

気をつけてたのに失敗したのなら、次回も失敗するだろ?

ぜんぜんまったくちっともすこしも解決してねーのに、反省もしないで会話を勝手に終了させようとするんじゃねー

2007-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20070916185847

創造力と罵倒に耐える能力は往々にして別モノなのに、

精神論に行く辺りが、夢見すぎだな。

2007-08-27

離婚すべきかどうか悩んでいる

共働きだった。いまは子供ができて嫁が育児休職中。

しばらくすると俺は単身赴任で遠くにいかなくちゃいけない。

嫁の休職期間が終わると子供保育園に入れて働くことになるけど、

単身赴任中なので片親で育てなきゃいけない。

さてここで考えるに、

・6歳くらいまでだったら今の片親分の収入でぜんぜん問題なく養育できる

・片親だと保育園に入れたりとかに母子家庭優遇がある

・扶養控除とかはどうせ片親分だけにしかかかってこない

つまり、婚姻状態を維持するメリットはあまりなくて、離婚すると明らかに優遇されるメリットがありそう。

どうする俺?

「親がそんなことで離婚してたなんて子供が知ったら悲しむだろうな」

というような精神論的な批判はきっとあるんだろう。

だがその批判がまっとうなものだとしたら、この「子供が悲しむことをすれば有利になる制度」に問題はないのかといろいろ考えてしまう。

2007-08-15

ミス防止に根性論を掲げた最悪な結果

http://d.hatena.ne.jp/yamaz/20070812

id:yamazさんの「ミスとかトラブルとか」のエントリーを受けて、涙流しながら後先考えずにエントリー

今勤めているところは、中規模工場を持つ製造業会社

本当は業種まで言えればいいんだけど、工業系でもソフトウェアでもなく、書いてしまうと特定されてしまいそうな業界なので申し訳ないんですが。

今から5年前くらい(私は2年前に入社した)に、製造業によくある話と同じで、人間が引き起こすミスとかトラブルには会社も頭を悩ませていて、それに加えてISO9001品質)のこともあって抜本的な対策を要したらしい。そこで、約5年前に当時の工場長が、ミス防止対策のためにとを掲げてしまった大看板がコレ。

ミスを減らせば給料アップ」

当時の工場長は「ミス=怠り」という考えの人で、賃金アップするといえば頑張ってミスが減ると思って安易に発言してしまった。

それから現在までに、社内で公表している不良数は大幅に減ったんだけど、給料は上げることはなかった。

といいますか、上げれる訳が無いんですけどね。

まず、ミスが減ったとはいっても、理由の大半は機械性能が向上したり、業務システムが良くなっただけで、根本的な人為的ミスの削減数は些細な数だったこと。

また、そもそも「ミスを減らしたら給料を上げる仕組」なんてものが最初から無かったわけです。

おかげで、今からミス防止対策を示したとしても、「あの時、給料を上げる言ったくせに上げなかったじゃないか」とか、「どうせまた利用されるだけだし」という不信感からか、工員は向上心がなく、人為的ミスは減るどころか逆に悪質化していく一方。

正直、お手上げです。

個人的な経験からですけど、安易に精神論を掲げる人ほど、最初から出来もしないことを言いますよね・・・・

2007-07-28

jkondo経営者脳にひいた

jkondoの日記 - 自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする

いや、そりゃー社員が限界突破して働いてくれりゃあ社長は嬉しいでしょう。すぐ休む人よりずっとね。ただ、社長ってのはけっきょく自分=会社仕事なわけで、仕事(=自分)の限界突破に挑んでも得るものがあるわけです。会社の価値が上がった!みたいな。でも普通人間はそんなことにいちいち自分を賭けられない。自分=仕事じゃないし、ましてや自分=会社じゃない。仕事人間になりたくない、他にもやりたいことがある、というのが現代サラリーマンなわけ。24時間戦ってもいいことない、ってのは90年代に学んだことじゃないの?もうみんな忘れたか?だいたいjkondoの言う通りのことをして過労死したらどうする?誰が助けてくれるの?そもそも、仕事限界突破したら年収限界突破してくれるの?

別に「夜中に眠いのに無理して起き続けて仕事をする」みたいな非健康的な話をしているのではなくて

じゃあ具体的にはどんな話なんだろ?サラリーマンに何を求めてるの?疲れても休むなってこと?つらい仕事が続いても辞めるなってこと?健康的な話を聞かせて欲しい。

野球選手だって、歌手だって、写真家だってなんだってそうだと思うんですけど、プロとして通用するには何年も何年もかけてその集中の度合いを増していかないといけない。それは僕たちの仕事でも全く同じです。

野球選手だって疲れたら辞めるわけです。まあ、ボロボロになるまで働いた野球選手もいるよ、古くは権藤とか、僕の世代では与田とかさ。それでどうなった?誰が助けてくれた?歌手だって、写真家だって同じ。あるいは、仕事が面白ければ限界突破したくなるかもしれない。でも、とりあえず限界突破しろなんて言うのは精神論好きの経営者くらいです。ブログなんてやめてプレジデントにでも寄稿したら?

2007-07-27

かわいいは、正義

http://anond.hatelabo.jp/20070727115220

私は30代男だけど、「かわいい」って言われても別に悪い気はしないけどな。むしろこそばゆいくらいだ。

たとえ自分は「かわいい」って言葉に似合わないとしても、好意的に見られてるなら悪かァないし。

ただ、「自分を異性としての魅力の全然ない愛玩動物のように扱われるのは嫌だ」という人は、「かわいい」と言われるのが嫌かも。

あと「かわいい男だなんて、女の腐ったような奴は、男性失格だ」というマッチョ精神論な奴も。

2007-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20070705153046

ほぼ日医者日記に、エイズキャリアのご夫婦の告白が出ていたよ。嫁。

なんでもそうなんだけど、嘘は嘘、たとえ話はたとえ話でしかない。

コンドームつかえば移らないってのは科学事実であり、

アフリカ某国では「処女とやればエイズが治る」という嘘が

まかりとおってひどい惨状になってる。

これ見ただけで事実ひろめるほうが絶対役立つのがわかる。

ヤリチンヤリマンだとかの精神論じゃどうにもならんのは、

それ以前に避妊さえまともにできない連中もうじゃうじゃ日本には居る点みてもわかる。

避妊に失敗してもエイズ感染予防に失敗するよりは悲惨でないという考えがDQNにあるわけじゃ、

絶対ないぞ)

処女とやれば直る」でヤラレてるアカンボに近い処女

お前さんの定義ならヤリマンということになるわな。

2007-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20070615124102

なるほど。

まーこれは労働者側の話だが、そうでなくともよく、「やりがいのある仕事を与えられる」とか「若いうちから大きな仕事を任せられる」とか「充実した仕事内容です」と言った精神論的な謳い文句で採用者を募集をしている会社があるが、私はこういった会社が大嫌いだ。

要するに「こき使うぞ」と言うことであるが、もはや何とでも言えるわけである。具体性の無い表現は信頼できない。

そんな事よりも、仕事内容、労働時間、給与等の具体的かつ正直なデータを提示してほしい。それだけで良い。

2007-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20070601163438

機能的評価のみ(やる事やってるかどうか)というのは、それ自体としては精神論よりまだマシだと思うよ。

問題は、その「やる事」が一ヶ月残業時間100時間オーバーでないと実際に完遂できないような内容だったり、定量的な評価が出来ない種類の仕事について恣意的に「やってるかどうか」の判断を加えたり(「これじゃあやってるうちに入らないね」)、本人の力ではどうにもならない仕事周りの阻害要因を無視してただ結果だけを求めたり、そういうことがしばしば起こってしまうことだと思う。

2007-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20070526011619

その人、たいていのことは実は既に実行済みなんじゃないかな?

周りの人は思いつくこと言って、それでだめなら精神論持ち出すことって多いからね。

睡眠って努力でどうにかなる問題じゃないんだよ。

おかげさま?でおいらも過眠症で会社辞めることになったけど、ほんとに不可抗力

従業員が一万人の会社社長が面と向かって大事な話してて、

寝たら「社会的に死ぬ」(ついでに上司も管理責任で巻き添え)ってときでも

まぶたを開いていられないんだよ。

眠い、つまらない。

想像つく? 

まぶた開いてれば若造でも最低年収800万もらえる楽勝な会社なのにねちゃうんだよ?

2007-05-23

宗教→神の話になる不思議

大体、仏教神道が少し入っているのが、日本人の形式的儀式的な宗教の中心なのに、なぜか宗教の話がことごとくのように神の話になるとか、それが面白かったり。

歴史の流れではあるけれど、悟りとか禅とか念仏とか、どちらかというと自身の精神との対話から、親兄弟や祖先につながる仏教が中心とされながら、でも、実際のところは山や森に神秘を感じ、占いやら風水やら神事やら、その場所にある「何か」を対象にしてしまう。そういった典型的アニミズムでありながら、「宗教」というと、仏教人生観・精神論ではなく、その場の「何か」であるアニミズム的神でもなく、なぜか西洋の絶対的善や存在である神の話になっちゃう。

なんだろ。「宗教」ってのは非日常であり特別なもので、そこらのお寺や森や川にはない物、なのだろうか。

政教分離とか言っても、大きな新規公共工事では例外なく神主さんを呼んで地鎮祭をやってても、何も問題にならないし、たぶん、納車した公用車とか、自治体システムに安全祈願とかやってそうだし、お守りもありがち。でも、十字架を大々的に付けたらなんか文句が出そうな気がする今日この頃

http://anond.hatelabo.jp/20070523123947

2007-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20070422220952

理論を無視した感情論じゃあ旧日本軍の万歳突撃みたいなものだよ。

理論だけじゃ意味がないのは確かだけれど、理論によって裏打ちされるような状況を生み出せば、行動も誘発出来る可能性が極めて高くなるのだし、考えることにはかなりの価値があるよ。

たとえば、ありえない仮定だけれど、強姦魔を止めたらその強姦魔の全財産を進呈とか、名誉欲が深い人には名誉市民として市庁舎に肖像画を飾るとか、そういった何らかの利益があれば行動しやすくなる。また、知りながら助けなかった者も同罪であり同様に処罰されるというような法制の社会であれば、皆必死に行動するよね。法でなくても、助けないやつなんて非国民だし差別されても仕方無いって道徳観があれば、やっぱり助けようとするよね。

上の例はかなり極端だし実現不可能だとしても、こんな感じで理論的に考えて助けるのが良いと考えられる状況を生み出せれば、行動が伴う確率は大幅にアップする。精神論だけで考えるより、遙かに良いはず。

2007-04-16

小姑精神

国防婦人会のような「精神論無駄叩き」こそが、社会経済的には害である。

無駄があってこその創造活動である。

http://anond.hatelabo.jp/20070416002538

2007-03-17

堀江

http://anond.hatelabo.jp/20070316155229

今日経団連機関紙 日経社説はめっさワロタ

法令順守」とは「法令に触れなければよい」という意味ではない。判決から引用すれば「企業経営者には高い倫理観と順法精神が求められ、廉直かつ公正な、透明性のある経営が要請されているのである」。

(略)

 連結基準があいまい投資事業組合を使った利益のかさ上げは、判決で「投資事業組合は脱法目的で組成された」と判断され、犯罪行為になった。違法行為ではなくても、先に挙げたライブドア流の株式分割ニッポン放送の買収騒動の端緒となった立会外取引は「廉直かつ公正な経営」とはかけ離れた行いだ。

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20070316MS3M1600E16032007.html

 ふだん自由競争とか経済成長とかを煽って「一億総投資家」みたいなことを言っておきながら、法的グレーゾーンにかかる範囲で自由に活動した結果がお偉いさんのメガネに叶わないと、とたんに実定法や金融工学の方程式などでは明文化できない倫理とか道徳とか精神論とかを持ち出したがる。ダブスタもいいとこ。

 ホリエモンと日興の違いを見ていたら、いろんなものを自由競争に任せたがるお偉いさんが本当に言いたいメッセージは、どうやら

「市場を信頼せよ」

ではなくて

「オレたちを信頼せよ(たとえ結果がどうなっても)」

らしいということがハッキリしてきた。

2007-03-10

格差はなくならないよ。

格差は競争社会必然だから。

完全に無くそうとするなら完全管理型の共産主義国家にするか。

エネルギー革命とか技術革新とかで労働が無価値(働かなくても回る世界)になるか。

そんな国は現状どこにも存在しない。

格差は存在するという前提でその格差の範囲を一定のレベルで制御するのが現実的。

 

で何処まで格差を許容するのか、その為に何が必要で、掛かるコストは幾らかってのが格差問題の本質なんだけども

美しい国」とか精神論で満足してる政治家がその辺まで議論を昇華させられるのかが一番の問題。

2007-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20070205162927

ここで

教育ってのはさ、誰でも経験してることだから、阿呆でも馬鹿でもつい語れると思わせちゃうんだよな」

ってのに激しく頷いた。何で教育論をぶちたがる大人の方々はあんなに多い上に、殆どが的外れなことしか言わないのだろう?

教育にも他の多くの仕事とまったく同じように、精神論以上にメソッドが重要なはずなんだけど。

特にこれ。何十回聞いたか分からないこのフレーズ

学力の世界順位が低下してる。頭の悪い子どもが増えてる」

義務教育高校レベルではまだまだ日本は世界上位群。

ただしこれが、義務教育レベル教育がどれほど中年になっても身について残っているかをチェックするテストとなれば話は変わる。

子ども学力は世界の中で上位に入るけど、中年のテスト結果はもう散々。酷い。

学力の世界順位が低下してる」と嘆くおっさんおばさんを見たら、

天に唾するとはこういう行為のことを言うのだと思ってあげてください。

2007-01-04

電波床屋談義:文系政治限界

■「安倍さんには芸がない。日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生日経インタビュー)‥‥女史この他にも名言を大連発!

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20070104113125/index.html

美しい国」というスローガンは,抽象的で困るな。なんとでも好きなように解釈できる言葉だ。安倍首相のホントの狙いは「美しい日本を守るために既得権者を守りましょう」ということではないか。もしくは「美しい日本を守るために現状をいじらず何もしないで寝ている総理がいい総理なのです」ということか。


 単に重箱の隅をつついているような内容はどうでも良いのだけれども、「『美しい国』というスローガンは失敗」というのは同感。要するに、「美しい国だから国を愛して欲しい(愛国心を持って欲しい)」とか、そういう意味も含んでるんでしょう、よく分からないけど。でもさ、「恋愛精神病の一種(by涼宮ハルヒ)」な訳ですよ。打倒恋愛至上主義(by本田透)な訳ですよ。それならば、『親しみの国、日本』を目指した方が良くね?夫婦愛も、「恋愛」から「親しみ」に変わるのが科学常識になっている訳じゃないですか。愛にロマンを感じるのは自由ですが、情緒性より、実効性圧力(by草薙素子)を重視して欲しい訳です、一般庶民としては。安倍さんには、実直的理念が向いていると思うし、『美しい国』なんていうどれくらいの人間が共感するのか分からない高邁な理念よりも、私としては、もっと日本という国に「親しみ」を持ちたいし、みんなにも持ってもらいたい。日本に親しみを持って欲しいことに対して、反対する人はまずいないんじゃないですかね?

もう一つ。

日本経団連ビジョン「希望の国、日本

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_3032.html

御手洗ビジョンというわけですが、なんだか美しい作文が並んでいて、精神論が多くて、いまいちよく見えない感じがします。


 どのくらいの人がちゃんと読んでいるのか分かりませんけど、私も5分くらい流し読みしました。が、まあ、そこそこ妥当な机上の空論が書いてあるんでしょうね、といった感じ。でも、スローガンの『希望の国、日本』は失敗だと思います。まあ、経団連年寄りのセンスなんて期待するな、ということなんでしょうが。『希望の国』という言語センスは情緒性に富む文学な表現としてすばらしいのかも知れません。でも、実態は、「さっぱり分からねえ(by孫悟空)」な訳です。

具体的に言うと、13ページから。

希望の国」の国柄は以下に説明する3点に要約できる。

1.精神面を含めより豊かな生活

2.開かれた社会、公正な競争に支えられた社会

3.世界から親しみをもたれる社会


2は、「公平だからみんなにチャンスがある」みたいなニュアンスにおいて、『希望の国』となんとなく関係ありそうな気はするんですが、1と3は『希望の国』とどういうつながりがあるのよ?無理矢理結びつけてんじゃないの?みたいな感じ。本当に『希望の国』を要約したのかよ?みたいな。

というか、情緒性とか文学性とか邪魔なんですよ。

私だったら、もう少し分かりやすく、『可能性の国、日本』とでもしますよ。まあ、ニュアンス的にはほとんど一緒ような感じですが、日本希望を感じない理由というのは、日本の可能性のなさに閉塞感を感じ、絶望しているからでしょう?winny裁判のように、テクノロジーの可能性を否定されたり、怪しげなネット財閥が潰されたりするから、「既得権益には勝てない、働いたら負けだ」という絶望を生むんでしょう?労働者の鼻面に「希望」という幻想ニンジンをぶら下げて、死ぬまでこき使い、労働者の流動性は認めても、社会階層を事実上固定させようと経団連が考えていると誰もが邪推するとか私は思いますが。実力主義をうたいながら、下克上を認めないシステムな訳ですね。で、日本では暴力革命は起こらないと踏んでいる。

違うというなら、「あなた達には、こういう可能性がある。今のところ、大体、成功率は50%くらいだ。しかし、その可能性を上げるための法案が提出される予定がある。また、そのことを説明する文書をサイトに載せた。そこには、経団連ポータルサイトリンクから行ける」みたいな現実的な提案や客観的な話を聞きたい訳ですよ。政治的な都合で、無理矢理整合性を合わせたような話はどうでも良いんですよ。

つまり、「我々にはどういう可能性がどれくらいあるのか。どこにベット(賭ける)すべきなのか。その可能性を広げるためにどういうことをやるべきなのか」が知りたい訳ですよ。リストラされて浮浪者になったオジサンにしても、30過ぎて焦っている女性にしても、同級生の少ない子供達にしても。大体、「希望」って、主観的なものですが、必要なのは、客観的な数値でしょう。『可能性の国、日本』というキーワードからトップダウン式に考えていけば、優秀な人ばかりでしょうから、日本にはどのくらい可能性があるのか、ある程度、客観性のある数字を出して、国民の目から見てもそれなりに説得力のあり、それなりに希望の持てるビジョンを具体的に示していけると思うんですが、甘いでしょうか。


・・・いずれにしても、偉い人が年寄り文系しかいないから、情緒的で美麗美句のゴニョゴニョした、中身があるのかないのか分からない政治的に調整されたような文章になるとしか思えないんですが。権威なんてどうでもいいから、私のような馬鹿にでも分かる(納得できる)スローガンを分かりやすく提示して欲しいですよ(もちろん、「分かりやすさの罠」もあるし、その辺はある程度割り切る必要があると思いますが)。小泉さんは、私のような馬鹿でも分かることしか言わなかったから、人気が出た訳でしょうし。中二病じゃあるまいし、背伸びする必要はないと思います。もちろん、政治はそれほど単純なものではないんでしょうが、訳の分からないものを出されても、訳が分からないとしか答えようがありません。

以上、電波床屋談義終わり。

2006-12-28

続・科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由

前回、

追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!

と、定義してしまった場合の科学脆弱性について書いたのですが、コメント欄や、トラックバックの反応を見れば解る様に到底容認出来ない!って思う人がどうしても出ちゃうんですね。

私個人的には、この定義が一番すっきりして好きなんですけど、この定義では、進化論心理学歴史の分野なんかもニセ科学なっちゃって困る人がいっぱい出るわけですよ。(相対性理論は違う…)

そこで、トラックバック先にもある『反証可能性』と言うものをニセ科学との判別に使えばよいというのを哲学の偉い人が言ったわけですが

実はこれもそうとう厄介な代物でして

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

反証可能性の判定の困難さ

ある仮説が反証可能性を持つかどうかを判定することは難しい。次のような実験を考えてみよう。降霊会を開いて霊を呼び出す実験が失敗した。心霊現象に否定的な学者は、少なくとも今回用いた方法(条件)によって霊を呼び出せるという仮説が反証されたと考える。これに対して、心霊現象に肯定的な学者が「霊の実在を疑う者がいたための失敗」と反論する。ここで、もし心霊現象に肯定的な学者が「霊の存在を疑う者が降霊会場に立ち入らず、遠隔のビデオカメラによって撮影するならば、降霊は成功する」と付け加えるならば、この降霊理論は全体として反証可能性を持つものになる。つまり、メイン実験が失敗した後で主張者がそれに補助仮説を付け加えたとしても、その補助仮説が反証可能である限り科学的検証の場に立つことができる。反証可能性が否定されるのは、例えば、「心霊現象は科学的に分析できない」と主張するような場合である。したがって、安易に「この仮説には反証可能性がない」「これはアドホックな補助仮説である」と断定するのは危険である。

上記の『反証可能性の判定の困難さ』を読んでもらえれば解るように、ニセ科学のような学会とは違うフィールドで議論したい方に納得してもらうのは相当難しい考え方なんですよね。

時間を置いてしまいましたが、これが私の考える科学ニセ科学を糾弾することの難しさを簡潔に纏めて説明したものです。

◆後書き

さて、前回の文章を読めばわかると思いますが、私はインテリジェント・デザイン否定派でございます。

そんなものを科学と認めてしまえば

僕、ゼロが分母の割り算の答えがわかったよ!

 …答えは『神のみぞ知る』だ!

 

みたいなことを言い出す生徒が出てきても不思議ではありません。

私に進化論に代わる理論を求められる方も居られるようなのですが、科学とは別に対案を出さなければ語る資格の無い場ではないのです。解らないものは解らない、納得できないものは納得できないと言ってしまえば良いのです。

別に生きていく上で解らなきゃ困ることもそんなありませんしね。

あー、他にナチス優生論絡みで、突然変異奇形は大事にすべきだ。というネタとか

相対性理論でも否定されずに生き残ったボーアの理論について書こうと思っていたのですが、ちょっとやる気がなくなったので気になる人は調べてみたりあれこれ推論してみたりしてください。(伏線未消化宣言)

その代わり、最後に私から皆さんにぜひ読んで欲しいお勧めの文章があります(コメント欄含)。

道徳しつけの根拠を自然科学に求めるべきではない

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987

もう読まれた方も多いとは思いますが、科学道徳精神論を絡める必要は無いと思うのです。

2006-11-17

いじめっ子を後悔させる7つのテクニック

企画アイデアが浮かばない時とか、英単語が覚えられない時とか、新しい環境での人間関係に馴染めない時とか、お金がないけどモテたい時とかは、それぞれ一見関係のなさそうなものを繋げて考えろとか、対義語とセット記憶しろとか、とりあえず挨拶だけしろとか、一週間着回しのできる服20とか、実に具体的なテクニックが様々な書籍雑誌で紹介されている。それなのに、いじめられた時にどうすればいいかという話になると、逃げずに戦えとか、強くなれとかいう一切役に立たない精神論、あるいは親や先生に相談しろとかいう何十年と繰り返されてきた型通りの返事ばかりが答えに挙がるのはなぜだろう。

youkoseki.com | 日記 | 2006/11/16 (木)

小学生雑誌を買わないしネットも見ないから」ではないだろうか。人の目を引くような見出しやちょっとしたライフハック情報は、雑誌ネットブラウジングするような、大量の情報に囲まれている人間を対象として、そういった人間の興味を何とかして惹こうとする動機がある場合に生み出される(雑誌ウェブサイトなど)。小学生を対象とするそういった記事を提供しても小学生雑誌を買わないしネットも見ないので、金銭的メリット(もしくは名声)がないからではないだろうか。

でもネットに関して言えば、最近小学生ネットを見るようになってきているし、「2週間でいじめられっ子を脱するための10のメソッド」とか「登校拒否になったときのためのリンク集」などの記事を載せるサイトがあったら、やりようによってはアクセスを稼げるんじゃないか。小学生クレジットカードを持ってないのでネットで物を買えないから広告がつきにくいというのがネックかもしれないが。

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