はてなキーワード: クリンゴン語とは
昨日も僕の卓越した知性にふさわしい生産的な一日だった。
朝食は、通常通りダース・ベイダーの顔型ワッフル。フォースの暗黒面を体現する完璧な朝の儀式だ。
午前中、ブラックホール情報パラドックスの研究で重要な進展があった。量子もつれと事象の地平線の相互作用に関する新仮説を構築。この理論が正しければ、ノーベル賞は確実だろう。スティーブン・ホーキング博士も天国で喝采を送っているに違いない。
昼食時、隣人がビッグバンバーガーを持参。彼女の知性は相変わらずクリンゴン語の文法構造ほども複雑ではないが、その親切さは評価に値する。
午後は3人の友人たちととマルチバース理論について議論。彼らの理解力の欠如は、ワープ航法の複雑さをトリブルに説明するようなものだった。しかし、僕の天才的な説明により、最終的に彼らも理解に至った。
夜には、コミックコレクションの再編成を実施。バットマンvsプレデターの限定版を発見。これは、ミッドガルドの神々ではなく、僕の完璧な整理システムのおかげだ。
現実とは違う、ファンタジーだったりスチームパンクだったりする架空の世界を舞台にしたフィクション作品における言葉に気を取られることがある。
当然だけれども、どんな言葉にも由来があり歴史がある。しかしその「歴史」自体を共有していない世界においてもその言葉が存在し、当たり前のように登場人物達が発している事の違和感は、一度覚えてしまうとと簡単には拭えない。
たとえば「ベルセルク」のような(中世ヨーロッパに酷似しているとはいえ)架空の世界で「馬の耳に念仏」とか「釈迦に説法」などという言い回しを(ギャグ調のシーン以外で)使えるだろうか。「念仏」も「釈迦」も「説法」も仏教由来の言葉であり、それはつまり「ベルセルク」の世界に仏教(もしくはそれに類するもの)がある事を暗示するわけで、さらに言い換えれば主人公達が生きている世界とは別の文化圏がある事を示す。現在あの作品は世界が終末を迎えようかといわんばかりの状況のはずだが、それとは無関係に存続している文化圏があるという事を想起させてしまうと、途端に今の状況は陳腐化してしまう。
さらに想像力をふくらませていけば、ごくありふれた単語すらも「この作品の世界観とは矛盾していないだろうか」と疑念にとらわれて埒があかなくなってしまう。英語圏ではない国とわかりきっているのに全登場人物が全編英語で喋る、ハリウッド映画のように割り切るしかないのだろう。もしくは「指輪物語」のトールキンのように、もしくは「スタートレック」のクリンゴン語のように、別の言語を自力で作り上げてしまうか。