自転車置き場の議論の典型的な例。それを喧嘩腰でやってるから、なおタチが悪い。
ノートでもトークでも、んなもんどうでもいい。もう変わってしまったんだからもういいじゃん。わざわざノートに戻すことで、誰がどう得するんだ?
で、これは日本語Wikipediaの残念な状況を端的に表してるように見える。
誰がどういう意図をもって変えたのかは知らないけど、誰かがやったことに喧嘩腰でケチを付ける人がいる。
せっかく誰かがやったことを、わざわざ多大なる口汚い喧嘩と多少の手間をかけて、無に帰そうとする人たちがいる。
そうされたときアクションを起こした人は、もう何もしないでおこうと行動をやめてしまうか、さもなくば喧嘩上等、ガンガンやったるから文句あるならかかってこいってまた挑発的な行動を起こすかどっちかになってしまう。
まぁ、中には「今回はこういう結果になってしまったけど、次こそはWikipediaに貢献できるように、みんなに喜んでもらえるように」なんて聖人もいるかもしれないけど。
「身近で瑣末なことについては、皆が口出しをしたがり議論が終わらない」現象のことを 自転車置場の議論っていうのか。 勉強になった。 ウィキペディアにものってた。