はてなキーワード: 然別とは
自分のせいだと自責の念にかられるよりは楽だからいいのかな。
それに尽きる。自分のせいだと思い込むと、精神的に自分を追い込んでメンヘラーになったりもするし、外界に存在したかもしれない真の原因を見落とすこともあり得る。
うまく行かなかった原因がたとえば他人の無能や悪意ならば環境を変えたり相手を告発したりすればよい。運が悪かったことなら気持ちを切り替えて次の機会を待てばよい。そういった当たり前の対策が自己啓発厨には取れないんだ。自分の成果を無能上司に握りつぶされていても、自分のスキルが足りないと思い込んだりする。それではダメだ。
「不利」だとか「確率が高くなる」ということは「落ち度がある」「悪い」とはまた全然別の話だから、君は僕の言及した人には入らないよ。
逆にそれで驚愕する気持ちが分からないんだが……
男にモテていたら、その中から誰かを選んで付き合わねばならぬわけでもあるまいし、
モテていたら「自分の好みの人がいない」と嘆いていけないわけでもあるまいよ……
逆に増田の言い分こそが「アンタ私と違ってそんなに男にモテてるんだから贅沢言うのやめなさいよ」っていう非モテの嫉妬にしか見えんのだが(言い方悪いけど)。
つーか、いくらモテていようが、「好きな人」はまた全然別問題なのは当たり前ではないの?
男の取り巻きがいるからってそんな勘繰り方はどうなんだ逆に。
寧ろ「それって周りの男はレベルが低すぎるってこと?」って言い方自体、その彼女じゃなくて、増田自身がそういう考えを持ってるってことなんじゃないのか……だってレベルが低い高いの問題じゃないかもしれないじゃん。スペックで言えば十分高いけど、でも好みじゃない、性格が合わない、っていうのは全然有り得るわけで。そこを「レベルの高さ」だけで捉えてしまう増田自身がそういう思考回路の持ち主なだけちゃうん?
そういう生命賛歌というか、エロスと生命の境目について考えることはいいと思うんだけどさ。やっぱり責任がとれて辛苦を舐めた大人向けで、子供に適用出来ることじゃないと思うよ。元増田は父親と息子の関係しか考えていないっぽいけど、自分に娘が出来たときに同じことが言えるのだろうか。
もうはるか昔のことだけど、その年頃なんていろいろあってさ、無理矢理押さえ付けられて抵抗してやっと離してもらったとか、朝登校したら股間に白いものが付けられたジャージ発見したとか、まあその手のことがいろいろとあるわけよ。なんにもなかったような顔してるけど。元増田は「女にえろいと思われることが怖かった」なんて言うくらいだから、そういう連中とはかけ離れた人間なんだろうけど、現実はそんなもん。
生物的な成熟年齢と社会的に責任をとれる年齢が一致していれば、そこで番ってしまってメデタシメデタシなのかもしれないけど、とりあえず今はそうじゃない。若い女の子が毛嫌いして警戒するくらいで丁度いいんじゃないかと思う。うまいこと出来てる。
残念ながら世の中にストレートにはいかないことは多くて、誤魔化しながらやり過ごす時間は必要なんじゃないか。若い女の子は毛嫌いして警戒する。若い男の子は牽制する。そしていつか自分の頭で考えて肯定出来るようになったら、それでいいんじゃないか。そういうことには自分で辿り付いて欲しいような気がする。自分の子供達には(いないけどね)。
いいエントリだったと思うよ。女子高生が不細工なとことか、普段はおくびにも出さない彼女とか、卑近なリアリティあって。そういうぶっちゃけトークにこんなPTAみたいなこと言って申し訳なかったけど。
あとなー。自分の男が自分に対してエロいことは肯定出来ても、見知らぬ女子高生に対してエロいことは全然別の話のような気が。男の性としてしょうがないんだってことで見逃すけど、あからさまにやったらマズいんだからねって釘くらい刺しておきたい気になるけど、歓迎してるわけではないんだよ。ま、でも、男としてはそこは連続なんだろうな。
そこまで言わないけど、って、
実質そこまで言ってるに等しいだろw
なんでこう男女のことってとかく「隙のある女が悪い」的な流れになんの?
隙があれば何してもいいわけじゃないのは当たり前だろ
大体それは隙なのかどうか自体疑問だし
なんつーか、隙があったことは「一因」かもしれないけど、だからといって「悪い」わけじゃないんだよ
そこは全然別問題なんだが、未だにそこをごっちゃにしてる奴が多すぎる。論理的に考えられずに感情でポンポン物言うからそうなる。男だったら「俺ら側は悪くない」という防衛的な感情が働いて女が悪いと言い出すし
女だったら「自分はそんな隙のある女じゃないから大丈夫だ」という安心を得たいが故の感情から女が悪いと言い出す。
もういい加減成長しろよ。
anond:20071220201043及びanond:20080109183820を書いた増田です。
尊敬できない相手を好きになれるの?それ単なる同情なんでは。
周りの評判悪くても、強がりでも、気性が激しくても好きってことはあるけど、普通尊敬はあるのと違うのかな。
一緒にいたい?一緒のご飯を食べていたい?
甘えられる?彼は甘えてくれる?
おっしゃる通り、最初は同情からの始まり(anond:20071220201043参照のこと)でした。
ですが今は自分の過ちは素直に認めて反省して償おうとする潔さや、努力家であるところなど、確かに尊敬しています。
私は彼と一緒にいたいし、彼の顔を見るだけで幸せな気持ちになります。
お互い甘えたり甘えられたりしてるかについてはお互いに気遣いが入っているような気がするのですが、これは私の自信のなさからくる主観的なものかもしれません。(私自身は元々あまり相手に甘えないほうです)
直球で聞いた?彼は話してくれてない?それともそれも信じられない?
「私のこと本当に好き?贖罪の気持ちから付き合ってるのではない?」という問いは、そうたずねること自体が彼への脅迫めいたものになるような気がしてなかなか聞くことができません。
「好きだ」とか「愛してる」とかいう言葉自体はピロートークなりメールの文末なりでもらっています。
でもそういう言葉って形式美なところもありますし、別れる前日までそう言っていて突然別れを切り出してきた男性もかつているので、彼が特に信じられないというわけではなく、言葉自体をあまり信用していません。
あたしはこんなに傷ついたんだ、どうしてくれるんだよ、でもいいし、贖罪ならもうやめろよ、うざいったらありゃしない、でもいいし、ぶつかればいいのに、と思うけど、もう傷つきたくないのかもなあとも思う。
傷つきたくないというよりは、もし彼が本当に好きになってくれてるのなら、蒸し返して信用してないということを突きつけるのは失礼にあたるんじゃないかなと思ってしまうからですね。最初の事件のことについては、再び身体の関係を持つようになってからは特に話していません。その件に関しては充分な謝罪は受けたからもう水に流す、と私の方から宣言しているので。
だから彼が今でも何かにつけ謝罪の態度を示しているというわけではないんです。anond:20071221203402に書いたように感謝の意を示されることはありますが。勝手にこだわってるのは恐らく私の方だけなんです。
もうちょっと自信がもてれば、最後に1度だけ蒸し返して彼の気持ちを確認するということに踏み切れそうなのですが、その勇気が持てないのでうじうじと、外堀から判断する方法がないのかなーと悩んでました。
何かきっかけがもてるといいのですが……。
おっしゃる通り、最終的にはどこかできちんと確認するしかないと思います。
ありがとうございます。
この記事の第二段以降について。
工夫をこらしていくプロセスが必要なんだ。元増田さんも、そういうプロセスを知識として知った上で、何度か試行錯誤したら、ちゃんと彼女ができそうだと思う。
いや、それは知識として知るまでもなく自分で考えていましたよ。それが迂遠だったのかと思ったけど、案外間違いでもないんだと思った。
ただ、知っていることとできることは全然別問題。
4.「連絡先を交換し合ってもいい」関係をつくる。
5.「(自分が先導して)複数人で飯を食べに行ってもいい」関係をつくる。
5´.「複数人で遊びに行ってもいい」関係をつくる。
6.「二人で昼飯を食べてもいい」関係をつくる。
この中のどこかに「越えられない壁」があるんですよ。相手がフリーの女性である場合に限って絶対に越えられない壁というものが。逆に言うと、相手が同性だったり既婚者だったり彼氏持ちだったらここで苦労することはない。そしてその違いが生じる原因がよくわからないわけ。
その壁がどこにあるかというと、断言はできないけどおそらくは5.から5´の間。場ができあがるまでは主導権を握るけど、できあがってしまうと発言権の順位がずるずる下がっていってしまうのが原因かもしれない。複数人で遊びに行こうという話をどういうタイミングで持ち出せばいいかとか、どういう企画なら受けいれられるかとか、その辺が難しくてよくわからない。頑張って持ち出してみても、自信なさげないい方しかできないからどうしても反応が悪くて自然消滅するのがオチ。そのうち、その場から居場所がなくなって気がついたら自分だけがはみ出してたなんて展開もしばしば。
どうも、何らかの強制力によって結びついていない5人以上の集団の中でサバイバルできないみたい。
個人的には、なにか新しい場所で新しいことにチャレンジすると、新鮮な気分で出来事に向き合えるし、人間関係も一からつくれるから、そういう機会をとらえるといいんじゃないかと思う。とくにみんなが期間限定で参加する習い事の類は、全員が新しいチャレンジをするわけで、教えあったり、協力し合ったり、コミュニケーションを取り合う機会が増えるから出会いの場としても良いんじゃないかな。
それなんだけど、良い雰囲気は最初の数週間程度で終わるのが定番。なんでかというと、一人だけ上達してしまうか落ちこぼれてしまうか、そのどっちかにしかならないから。たとえば英語以外の語学を一から始めたことがあるのだけれど、俺だけがどんどん上達して、「お前はもうわかってるから発言せんでええぞ」みたいな扱いになってしまったことがある。そうするとなんとなく向こうから見たときに心理的な壁ができるみたいね。もしかすると「どうしたらそんなにうまくなるの?」と言われて「普段から勉強するしかないよ」というような答え方をしてしまうんだけど、それが向こうには突き放されたような言い方に聞こえるのかもね。
非モテ男同士の絆だけは深まるのだけどね・・・。
全然別の感じ、でも先手が有利になりますかね。大駒1枚+金とれるんで
違う状況におかれたとはいえ、同じ性格の同じ人間達に囲まれて、片や無愛想な少女を愛した主人公がその口で恥ずかしがり屋な女性を愛してるという。
いや、ま、現実なんてそんなもんですけど。私にはどうしようもなくやるせない気持ちになるんですよ。
主人公がどういう人かっていうのは、ある一定の幅で固定されてるとはいえ、
「現実なんてそんなもん」って分かったように言うけれど、そんな現実ない。
状況が違えば別の人と付き合ってたかもしれないよ。そりゃそうだよ。
マルチエンディングで、Aさんを攻略しているとき、
さっき攻略したBさんは、全然別の性格かも分からないんだよ。観測してないんだから。
実は夜な夜な覚せい剤でアップアップしてるのかもしれないじゃん。
と…そういう解釈だって可能ではあるんだよ。
大阪人って…
す……凄いな……
人間としての羞恥心とか優しさとか思いやりとか常識的にこれはないだろ的な考えは一切なくて
ただただ自分(とその家族)が得をする事だけ考えてるんだな。それもギリギリ犯罪的な行為でもって。
この間、ハイエナの家族のノンフィクション番組を見たけど、そのハイエナたちとあまりにそっくりでびっくりする。
他のハイエナがしとめた食材を、家族ぐるみでひったくっていったりしてたんだけど。
人間の世界だったら考えられない行為だけど、ハイエナならまあ獣世界だからアリなように、大阪でも、アリなんだろうなって。
一体誰の意向でこの様な事態になってしまったのだろうか。
FOX JAPANなのか、米FOX本社なのか、あるいは全然別の関係者なのか、私には想像も付かない。
小宮山雄飛氏がブログ(http://blog.so-net.ne.jp/yuhi/2007-09-11)で書かれているところによると、
FOX JAPANは今回の騒動を真剣に受け止めてくれているらしい。
そこで実際には大勢で声を揃えてみたり、声の大きい人に頼るしかなかったりする。
ザ・シンプソンズの声優入れ替え問題については、山寺宏一氏や町山智浩氏など、既に声の大きい人物からの反対意見も沢山寄せられている。
私達が最も望む形、すなわち「全員オリジナルの声優に戻して公開」だが、
それを実現可能とするほどの大きい声の持ち主は誰か?ということを考えてみると、
今回マージの声を担当することになっている、和田アキ子本人以外にはいないのではないだろうか?
他の三人を除外した理由は、私にとって和田アキ子の存在が「ボス」の様に見えるからに他ならない。
彼女が「芸能界のボス」的に振る舞い、周りからもそう扱われ方をしているのは、ネタなのか本気なのか、
正直私には分からないが、少なくとも今回の三人の内、彼女に逆らえるような人がいるとは思っていない。
でも、もし彼女が世間の声を反映させて、自ら降板を宣言することになれば、他の三人は右へ倣え、ということになるのではないだろうか。すげー憶測だが。
和田アキ子側は、今回の声優挑戦を「大きなチャンス」であり、逃すべきではない、と考えているかもしれない。
しかし、逆に考えてみてはどうだろうか。
和田アキ子が自ら降りるなんて侠気を見せれば、今回声優入れ替え問題に反対している人達を、彼女は味方につけることができるかもしれないのだ。
私自身も正直、彼女のことをあまり好きではないのだが、もしその様な事になれば…彼女のことを少し見直してしまうかもしれないだろう。
(http://d.hatena.ne.jp/SERIZO/20070908/1189263061)
によれば、和田アキ子本人にも「シンプソンズを盛り上げたい」という気持ちがあるようなので、私はその部分に期待したい。
ちなみに私の心の中の和田アキ子のイメージ像が「一度受けた仕事を降りるなんてプロとしてできるかアホ!」と言っているのだが、そこら辺は是非とも臨機応変にお願いしたい。
ただ、事態は私の想像しているよりも、もっと複雑なのかも知れないが…
一応教育関係者ぽい書き込みみたいなんで一言言っておくか。
「ゆとり教育」と「週休二日制」が本来全然別の流れから導入されたことくらいは知ってるよね? だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。10の時間で10教えるのと8の時間で8教えるんじゃ、同じっしょ。
もちろん、確かに当初から「ゆとり」教育は、住宅ローンの「ゆとり償還」と同じ問題が指摘されてはいた。ものすごくざっくり説明すれば、つまり従来小学校で10、中学校で10、高校で10教えて大学受験で30要求していたのを、小学校8、中学校8、高校14やるつーのがゆとり教育の計画。もともと無理のある計画だよな。そこは同意する。
それでも、10の時間があるなら、小学校と中学校では2のゆとりが生まれる。そのゆとりを使って「学ぶ力」を作り出すから高校で14は決して不可能ではないはず……だからおk?って導入しようとしたら週休二日が入り込みおまけに総合学習が入り込んで、実際にはゆとりどころか過密な教育になったというのが流れです。今の小中生は決して暇ではないよ。まあ詰め込み受験世代ほどではないにせよ、でも今の(自然も地域共同体も失った)社会で再び詰め込み受験世代教育環境に戻すと、それこそいじめや自殺は半端ないことになる。
まあ、そういう中で、それでも小、中は(本来「ゆとりで8」のところ)を『がんばって』8を実現してるけど、高校はそうはいかない。10の時間で14という計画が無茶なところへ持って時間まで8に削減だから、いくら「学ぶ力」を持った生徒ががんばっても10か11がせいぜい。つまりそこまで過密なスケジュールをこなしてきて、なおかつ生徒の力は確実に1割減の27。それでも大学入試は変わらず30要求するという現実の前で多くの現実的な生徒は試験科目の少ない私立、推薦入試に流れ、ますます「数学のできない大学生」やら「生物を知らない医学部生」が増えるという仕組み。
いろんな意味で「幼児から大人まで」の教育プランが統制とれてないよね。文科省が批判されるとすれば、そこの統制を取らなくてはいけなかったという点。(まあ無理だったからこうなったわけだけどね)その辺のリーダーシップの弱さがこの政策を完全にだめにしてしまったという。
ただね、「ゆとり」教育の方向性は決して間違ってないよ。政治状況につぶされた政策だというだけで、必要な方向だし政策であったことは事実。問題は、文科省が十分なリーダーシップをとれなかったせいで、関わった人々が好き勝手な方向に政策を(ミス)リードするのを許してしまったこと。
もしこういうこと全部ひっくるめた「世代」の名称として…つまり「ゆとり世代」が受けた受難の時間やその結果を「ゆとり」と称するなら別にとめないけど、いやしくも教育関係者であるなら、それと「ゆとり教育政策」そのものとを混同すべきではないと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070808173638
最初から始まってないよ、誰の人生も。いや、人生は始まってるか、産まれたんだから。だけど生きてる価値のある人間なんてのはこの世の中に只一人としていない。その人がいなければどうにもならないなどという人間はいない。ある人がいなくなったら、その人が関わった社会が変化あるいは崩壊するか、誰かが代わりをするだけのことだ。それにも何の意味も無い。極端な話、日本人全員が死んだって、世界にとって何の意味も無い。地球人全員が死んだって、地球にとって何の意味も無い。
そもそも「自分でなければならない理由」や「自分の存在理由」を求めること自体が間違い。そんなものはなくたって生きているし死んで行く。自分の恋人に「自分じゃなくてもいいんじゃないか」などと疑念を抱くことも、それ自体が間違い。当然、自分じゃなくてもいいに決まってる。別れたら当然別な誰かと寄り添って生きて行くだろう。この世の人間全てに、意味などない。「あなたがいたから今の私がある」などと言う人間がいたとして、その人間がいる意味自体、今その状態であること自体に意味がないのだから、「あなた」にも当然意味はない。
求めるな。全てのものに意味はない。
自分がどのように生きたいのか、どのように社会に関わりたいのか、どのように環境を変えたいのか、そういった自分の意志に従って生きればよいだけのことだ。やりたいことは苦労してでも挫折を乗り越えてでもやるべきだ。やりたくないことはどんな状態に陥ったとしてもやるべきではない。ただし、自分で行った言動の結果には責任を持つ―結果は受け入れること。それさえ守ればそれでいい。
もう数年携帯変えてなくて、なんとなくポイントたまったし変えようかと、色々見てみたんだけどさ。
進歩してるようでしてないっつーか。
正直どうでもいいような機能が妙に高性能になってて、なんだかな……
本当は皆、そんな機能別に望んでもいなかったけど、どの社もえらく頑張って宣伝しまくって「すごい機能だぜ!」っていいまくって、それを見てるうちになんとなーく皆も「あー、いい機能なのかも」「新しいのに変えよう」って思ってなんとなく変えてるって感じの……。別にこれ以上進化する必要(全然別のベクトルでなら必要だろうけど)がそんなにないのに、無理して拡張機能つけてる感じがするつーか……
しかも料金体系がなんかメンドクサイことになってるしよ。家族じゃなくて一人でも割引、とか言い出したら本来の値段の意味ってあんのか?
なんの現地からなのか、なんの報道についてなのかわかっていなかったが、
「では現地からの声を聞かせてもらいましょう。ピョンさん」
「はい」
「感想をお聞かせいただけますか?」
「カンソウ?」
「・・・ん?」
「ピョンさん?」
「感想・・・」
「・・・」沈黙がつづく
「感想ナイヨ」
えぇぇぇえええーーーーー!!!!??
どんなコメンテーターだよ!!!!!!
パーソナリティーが慌てて、電話の調子が悪いようですとかいって、曲に行った。
おっと、
ピョンさん出てきた。
なんか全然別人だ!!!wwwwwwww
さっきの人は多分日本語もわからず普通に出させられた民間北朝鮮人だとおもわれる。
いや、ほんとに笑った。
http://anond.hatelabo.jp/20070709234748
ちょっと釣られてみよう。釣りじゃないのかもしれないけど。
社会の秩序と規範を守るってのは大人であることの証明の一つなんだよね。
ほら、人がたくさんいてお金やものや情報が大量に流れる社会にルールが無かったら今君が享受しているその環境、
例えば学校には行けないし、健康や人権と言ったものもないんだよ。
極端なことを言えば君が小さい頃に他人に食べられたりしなかったのはそこに社会があったから。
で、地毛が茶色っぽいのを黒くしなきゃいけない理由、もしくは黒くすることを進められる理由は
単に社会規範を守れる人間ですよーっていうアピールってだけ。別に髪じゃなくたって何でもかまわない。
社会人だったらスーツを着る場合だってあるし、食事中のテーブルマナーだったり、ファッションだったり言葉遣いだったり芸術だったり
まあありとあらゆる種類のルールがあるわけだけど、それらのルールを守る効能の一つは社会に生きる人間としての自覚があるというアピールです。
別にその子の人格を否定しようなんざこれっぽっちも思ってないっていうか、正直どうでもいいと思うよ。
ただこれは割と対策がとりやすい髪の毛の色だから、黒く染めたら? って言われるわけです。
特にもともと規範でガチガチの学校において、「大会」という名目で社会性を匂わせるルールを考えたときに他に妥当なのを思いつかなかっただけだろね。
これはその先生の独創性が無いっていうか、何となくってのが正直なところだろうね。
もしここで、日本人の民族として特徴である黒髪がー、とか言い始めたら全然別の話になるんだけど。
話を戻して、もしその友達が茶髪でなくアルビノだったり、心身に疾患があったりする場合、多少極端にいえば障害者だったりする場合にはこんなルールはあてはまらない。
その場合はもちろん「普通の人」とは少し区別されて扱われる可能性が高いです。
それ全然貞操観念薄くないじゃん。
10年も経って今も尚、刺として残ってる位重く受け止めてるんだから、全然別の問題だよ。
ちゃんとカウンセリング行って刺を削ってきた方がいいよ…まわりはともかく自分まで傷ついてんじゃん。