はてなキーワード: 然別とは
全然別の考え方があって、小学生のときから作文や絵画で細かいテクニックを詰め込み、そこを指導しても入り口でやる気をなくすだけだから、好きに書かせれば、描かせれば、いいんだという意見もある。
もちろん、その意見はモチベーションを失わせないようにしながら、いいところを誉めて伸ばしていく気の長さが教育者に必要で、当然だが日本の義務教育についてはそれはできない。しかし、テクニック指導にしても全員に合ったテクニックを教える時間はないから、おなじか。
俺が言いたいのは、増田がモチベーションを維持できた(はず、と言い訳している)方法ではモチベーションをあっさり失うやつがいるってこと。
いや、福耳氏の文章からすると、「制約条件の下での最適化」という発想を理解してもらいたかったと考えるのが自然だろう。
そもそも、そんなことを言い出せばあらゆる例示には必然性がないし、そこまでしてトリアージを回避する理由はまったくない。
俺は、例示がトリアージである必要がある、と主張しているわけではない。トリアージを例に出して行けない理由を問うている。
専門家じゃない。医者は医学の専門家ではあって、危機管理の専門家ではない。
まして、専門家の意見を信頼すべきなのは事実に関する部分であって、特定の価値判断を含む部分ではない。「トリアージを例に出すのは不謹慎」というのは、いくら当事者の意見ではあっても、あくまで一つの主観でしかない。あんたらは犯罪被害者の意見を重視するのが嫌いなんだろうからそれはわかるだろ。
hokusyu辺りにいうならともかく、俺が今まで書いてきたことのどこが高踏的な人文系用語の羅列なんだww
いや、あんたに言ってない。「あんたら」に言っている。
あんたの説明は、少なくとも俺には理解できない。だとすればあんたが説明不足なのか俺が「あたまがわるい」かどちらかだが、それをはっきりさせるために十分な説明を出してくれ、と言っている。率直に言って、あそこまで確信を込めて主張できる人間がいるからには、ある程度納得のいく根拠があるんだろうと信じたい気持ちもある。しかし、そういう説明が全く出てこず、本音で「わからない」と言ったら邪推されることへの怒りもある。
別に誰かが抗議したことだけをもって判断基準になんかしてないだろ。
「抗議されるだろう」と言ったからな。「問題がある」と書かずに「抗議される」と書くのはおかしいと思ったまで。
経営学の範囲できっちり処理できる具体例を挙げればいいんだと思うが?
だからその必然性は?俺はトリアージの例が不適切だと思ってないので、「不適切な例ではなく適切な例を挙げればよかった」と言われても何の説明にもなってない。
だいたい、一つの分野を教えるために一つの分野から出るなってどんな縦割り主義だよ。微積を教えるのに物理の例を出してはいかんとでも言うつもりか?
あと、抽象化されたモデルをそのまま抽象化されたモデルとして理解するトレーニングは(これは別の?増田も言ってたけど)大学レベルの学問としては重要だよな。数学やってんなら分かるだろうけど。
もちろんそれはそうだ。だがそれはこれとは全然別の話で、具体例の助けを借りてはならないということはあり得ないし、あるとすればそれこそ衒学的。教育という観点では、学問への関心を持続するためにも、応用や関連の広さを教えるべき。
あと、あんたはその種の決めつけが多いから敢えて言うが、人の専門を勝手に数学に限定するな。こんな話は理工系の人間なら誰でも(というと言い過ぎだが)知っている。
言い換えだなんて誰も言ってない。なぜトリアージを持ち出したかという動機の話をしている。福耳氏の抗議は一般教養としての経営学であって、だとすると「制約条件の下での最適化」のような発想を学んでほしいと考えるのも自然だし、事実、氏の記述からはそれが読み取れた。
じゃあどういう次元の話? 具体的に。
トリアージって、災害対策や救急リソースの整備など、犠牲者を出さずに済む/命を選別せずにすむあらゆるより優れた対策が及ばなかったとき、現場でギリギリに選択される、最悪だがそれを選ぶしかないという苦渋の選択肢だぞ。現場で仕方なくそういう判断が行われることを否定することが出来るわけないが、そういう判断を肯定できるはずも無いんだ。
まして経営判断みたいに常態化して考えていいようなものだとは到底思えないが。
http://anond.hatelabo.jp/20080809225119
経営学の先生がお医者さんに謝ってたのは全然別な次元の話でしょ、たしか。
さっきも書いたように、トリアージ自体は経営学的発想の例示として妥当だと思うね。
それに対して現代人はナチスのような連中とは前提を共有していないから、
恐らく経営学の授業の例となるかどうかは疑わしいと思うね。
http://anond.hatelabo.jp/20080809225820
言ってる事がわかんないかなあ。
hokusyuさんは衒学的虚栄の発露をしたいが為に、いい加減な文章こしらえたって話。
経営学は否定しきれないと書いてるじゃない。それでも否定したかったわけ。
「無理して京大入った」とか、勝手にストーリー作ってる時点であんた釣られてるよ。例の京大生はコンサル内定の勝ち組様ですよ。勝ち組様同士の高尚なるお喧嘩なんかに付き合うのやめようぜ。
それから、あんまりそうやって才能みたいなものを崇拝しない方がいい。「処理能力」と本当の頭の良さは全然違うからね。頭の回転が速い割にオリジナリティがない奴って結構いる。そういう奴は大学に「苦労もなく」入れるけどそれだけのこと。逆に世の中の超一流には、階段を苦労して一歩一歩上がっていった人間も多いものだよ。
どっちにしても、「学歴と頭の良さは全然別モノ」なんて極論に走らない方がいい。同一ではないにしても関係は絶対あるよ。あんたが言ってるとおり、「必死こいて勉強してりゃ、ある程度の人間は京大でも東大でも入れる」というのは確かにその通りなんだが、世の中の大抵の人間は「必死こいて勉強」なんてしないもんだ。そして、そういう人間が超一流に上り詰めることなんて決してあり得ないから。
完全に偏見になってしまうが、与えられた勉強なんぞ真面目にやってる奴は大体バカだと思う。
あんなもん適当にそこそこやってりゃいいんだよ。
それで無理なら、そこまでが天分で、それ以上は分不相応だ。
無理して京大に入って、俺に相応しいようないい仕事がねー!って言っても、そもそもお前はそんな「分」じゃねえと思う。
博士が不遇に扱われてる状況は、ちょっと違うと思ってるけど。
必死こいて勉強してりゃ、ある程度の人間は京大でも東大でも入れるよ。
本気で、処理能力高い奴はまた別で居るんだ。
自分の分を勘違いしてるから、就職にあぶれたりするんじゃないか。
大学入るまでに苦労したのは、とりあえず失敗したと思って一回忘れて、気楽に生きるほうが、人生楽しいんじゃないかと思うんだけどねえ。
俺、老人苦手。
老人慣れしてるヤツってスゴイ。
電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。
年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。
敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。
胃が痛くなる。
親がいなくなると、話題ゼロ。
田舎帰るの嫌い。
で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。
高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。
ところが、
去年、じいちゃんが死んだ。
正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。
ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。
それから一年。
親父がいきなり
「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」
発言。
いやいやいやいや、ないないない。
とか、とても言えない。
親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、
一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。
いや、うん、でも、えーと。
誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。
母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。
妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。
で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京の我が家に越してきた。
母さん余所行きの笑顔。
妹、部屋から出てこない。
俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。
福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。
すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔。
そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。
母さんと気の使い合い。
たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。
家でリラックスできない。
ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。
2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。
その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、
手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。
じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、
ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、
「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。
もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。
死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」
と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。
10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、
あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。
その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。
「自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」
ユウちゃんは、俺。
ばあちゃんは90オーバー。
さすがに止めた。
家族、総出で止めた。
全然、折れない。唯一の戦前生まれ。
朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。
あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し。
その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。
話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。
敬語。目、合わせない感じ。
やや呆れ気味で、練習開始。
はっきり言って、全然乗れない。
足をペダルに乗せる段階から無理。
跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。
二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。
毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。
「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」
そればっか。
じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。
三日目にして、俺ギブアップ。
買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。
んで、気付いた。
サドル高すぎ。
翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。
「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」
拝まれる。
漕ぐとか本当、別次元。
なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。
俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。
全身筋肉痛。
空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。
10日する頃には、どうにか漕いでる。
ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃない。ドリフだ。
で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、
支えてたけど、二人で転んでしまった。
ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。
血が出てる。
死んだんじゃないかって本気で思った。
救急車呼ぼうかと思った。
ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。
俺、さすがにショック。
ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。
家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。
その日の夕飯、ばあちゃんが話す。
じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。
それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。
六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。
そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って
町のみんなに手紙を書きたかった、と。
90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。
「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」
と言う。
次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。
洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。
すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。
「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!
もう一回乗ってみろ!」
親父、補助輪買ってきた。
それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。
母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。
バカ家族。
そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。
それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。
90歳のはじめての自転車を撮影。
公園の端から端。
「ばあちゃん、手離すよ!行け!」
ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。
ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。
「行けっ!行けっ!」
「いいぞっ!いいぞっ!」
ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。
親父の声も、裏返ってる。
20メートルくらい、新記録を漕いだ。
すげえ。すごい。すごい!
親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。
俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、
目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。
骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。
あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。
なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。
ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。
その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。
親父、感動しすぎ。
もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。
それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。
もっと一緒に暮らしましょうよ。
もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。
もっと一緒にいたいですよ。
ずっと一緒ですよ。
を体現してるみたいに。
人間、評価されないと動きづらいのは確かですが、
評価のみで動いているのではないですよ。
そりゃ評価のみで動いているわけじゃない人もいるだろうけど
だから「評価のみで動くなよ」って理由にはならんだろ。
親子はまた全然別の話だろ……、仕事に親子並の貢献を求められても困る。
だって仕事だよ。結局は。なんだかんだ色々二次的な理由はあっても、結局は、「金のため」にやってんだ。
金に繋がる評価がないなら、やりたくないのは当たり前だしやる義務もねえよ。ボランティアじゃないんだ。
それが悪いこととか、汚いこととかは俺は思わないし。真っ当な理由だと思う。「金のため」っていうと途端に嫌がる人がいるけど。
仕事だけど、金に繋がらなくても、ちゃんと迅速に動きます、って人はそりゃ偉いよ。偉いけどそりゃその人が特別偉いだけであって、決してそれが「標準」「店員として当たり前の事」じゃないんだよ。
「お客様は神様です」ってのは、店側が言ってたこと、あくまで店側の「心がけ」とか「スローガン」に過ぎないのに
それを最近逆用して客が「俺らは神様なんだからよ、ちゃんとサービスしろや」って言ってるバカ、こういうのをモンスター客っつーのかな、そういうのが多くて嫌になる。
てか、「人としていってはいけない一線」って気になるw
そこまで言ったら何を言われたのか教えておくれよ。
でもさ、確かに酷い言葉を吐く人はいるけど、そんなことは暴力の正当化には全くならなくないか?それとこれとは全然別っていうか。酷い言葉を吐かれて腹が立ったならとりあえず出てくる選択肢としては「酷い言葉を言い返す」とか「酷い言葉を言ったことを叱る」とかじゃないの?なんでそれなしでいきなり「ムカついたから殴る」が来てしまうのさ?
そういうことをしてしまう人は、もともと「キレたら何はともあれまず殴ってしまう(あるいはしまいそうになる)」という危ない人なんであって、酷い言葉を言われたとかいうのは本質的な問題じゃないと思うけどなー。きっかけではあったんだろうけど。
何はともあれ何を言われたのか知りたいな。
殴りたくなるとかいうほどの一言って、ちょっと思いつかないんだよな。知りたい。
「痴漢になる」のと「痴漢扱いされる」のは全然別だからな。逮捕や裁判は後者の話。「痴漢冤罪」「痴漢捏造」でググって半年ROMってくれ。
電車で近くに乗り合わせただけで何もしてないんだから痴漢になる訳がない。逮捕されるわけがない。裁判になるわけがない。有罪になるわけがない。職を失うわけがない。家庭が崩壊するわけがない。誰もが最初はそう思ってたんだよ。
まして、「転んだのを助ける」のはただ居合わせただけじゃなくて明確にその人に興味を示して何らかの動作(話し掛ける、手を差し伸べる等)を行なうわけだからな。リスクを感じたらスルーするのは当然。どんな女か分からないのにふらふら近づいてく方が危なっかしい。
今の悩みはやらなきゃいけないことが沢山あるのに、この件で何も手に付かないことでしょうか…
まあ、どんな別れでもそうでしょう。
片思いしてきた増田の気持ちに対して、「ただの友達」と思ってきた彼女はどう応えればいいんか分からなかったんだろう。自分はこの人に好意があるのか。恋人として対応できるのか。そもそも自分にとって、増田って何物なんだろう。キスしたことで、頭の中が混乱してきたんじゃないの。
俺にもそういうきっかけとなる出来事はあった。「向こうからの反応が乏しい」というのも同じ。彼女はそれから微妙に目線をそらし始めた。たぶん理屈じゃない。感情がダメとなったら、論理で攻めてもスルーされるだけ。
→別れました。もともと8年前から知っていて、彼女の個人的悩みの相談を受けていたし、相手もオレの過去の女関係も知っていた。いろいろ知りすぎていたし、だからなんとかやっていけるんじゃないかな、性格や趣味も似ているし……と思ってくれたみたいだけど、友達としての期間が長すぎた。知りすぎていたからこそ"トキメキ"が湧かず、思い切り距離を縮めるような"プラスアルファー"もなかったみたい。
こちらは「3、4ヶ月付き合えば情でも湧いてくれるかな」と待つつもりだったけど、向こうが僕とどう付き合えばいいのか分からなくなったらしく、早々に別れ話を切り出された。友達以上恋人未満の中途半端さが耐えられなかったらしい。2週間ほど会わなかった時期があったんだけど、そこで「あまり寂しくなかった」と感じたというのが致命傷となった。元カノ場合、恋愛経験ゼロということもあり、僕になにを求めればいいのか分からずにパニックとなったということもある。
相手は、「友達としてまた会いましょう」「明日からもがんばろう」とか後でメールを送ってくれました。そもそも僕の告白自体をなかったことにしたいみたい。ただ、こちらはそこまでドライにはなれず、連絡がとりにくいのも事実。没交渉のままです。今後も友人として付き合うなら、告白はなかつたことにすると割り切るのも必要かもしれません。
→これだけはケースバイケース。友達と恋人とはアプローチの仕方が違うし、手練手管があるからといってなんとかなるわけでもない。
結局、相手が増田になにを求めていたのか次第。「増田と付き合うことは、彼女にとってどんな意味があるのか」それを増田が自己分析して、次に会うときに対応できるなら、なんとかなるのかもしれない。
ただ、なんともならないと相手の感情が先に出ているなら、修復は難しい。自分の場合、喫茶店で突然別れ話を切り出された後、一週間後に別なところで会った。だが、もう回復不能であった。意外に、女の子はあっさりしているなと思ったけど、相手としては、永年、恋人未満だったわけであり、それを友達に戻すのは簡単なんでしょう。
「君は笑顔が一番素敵だと言うことを」と別な増田で書いたのがあなたなのなら、それを奪うことだけはしてはいけない。自分は、彼女の冷淡さに切れかかって、言葉のナイフで切り刻んでやろうかと一瞬頭を過ぎったけど、それだけは留めておいた。俺もその子の笑顔が好きだったから。最後は、握手をして別れた。
増田の恋路がどうなるのかは分からない。俺はダメだったけど、あなたと彼女がもう一度関係を結べることを願いたい。できれば、また報告して欲しい
マスコットがキモいからと見た目のかわいい別のマスコットを創り出すという
その別のマスコット候補の選定は着々と進んでいる
そのうち名前も公募するのかな?
でもなんかアレだよね
俺は、マスコットだってみんなで育てていけばいいんだと思うんだよ
マスコットだからと言って、名前まで決められたものを見た目で全否定するのってなんかすごくイヤだ
みんなで寄ってたかって醜いマスコットを殺そうとしているように感じるんだよ
ある種のおぞましさを感じるんだ
なんというか、教育上ものすごくよろしくないような気がするんだよ
「子どもが怖いと泣くんです」って、なぜ見た目で判断しちゃダメだよって言えないんだい?
そんなこと言ったらマスコットが悲しむよって言えないんだい?
マスコットだって生きている
そういう情緒教育が理想なんじゃなかったのかい?
そこで行われていたこととなんら変わらないような気がするんだ
もちろん選考過程が問題だからとマスコット自体を殺す必要も無いよね
それは全然別の問題だし
幼い子を持つ親として、小さな命に対する倫理的な視点と子どもに対する教育的な視点でもって感じたことを率直に書いてみた
・・・って、やっぱり自分は考えすぎというか感情移入しすぎか??
別に自分はせんとくんがめちゃめちゃ好きってことは無いよ
ややや。それ、「嫉妬」じゃなくないか。
まず、もう頑張って給与面でも同等になったっていうんなら嫉妬する意味はない気がする。
相手は順風満帆で来たのにたいしてあなたはそういう大変な目にあいながらそこから這い上がってきて、順風満帆のエリート(って言わないか今時)と同じくらいになったんしょ。それ凄いことだよ。さりげに。つーか寧ろ夫の方が嫉妬心抱くってんなら分かるけどさ。エリートコース歩んできた自分が、中退して借金返してとかやってた人に追いつかれているという恐怖。そもそもなんだかんだで夫の方が妻より給与高いとこのほうが多いわけだしそれを普通とする観点からすると既にあなたたちは普通じゃないわけで。それも夫そんなエリートじみた人だったら余計、ふつうは妻の方が給与低くて当たり前みたいなところがあるのに(いい悪いじゃなく現実として)、追いついちゃったんしょ?どこに嫉妬する理由が?
あと、給与同じなのに一人マリオカート一人家事、ってそれ嫉妬と全然別問題で解決すべき問題でしょ。それは単なる夫の傲慢と甘えじゃん。(てか給与に関係なくフルタイムで共働きの時点で問題なのだが。そもそも妻側のあなたのほうがえらく忙しいみたいだから寧ろ夫が家事ほとんどやってもいいくらいな気が。マリオカートやってるくらいなら)夫はあなたに家事を甘えることで生活が成立してるけど、あなたは自分で家事するわ借金などの底から這い上がって夫と同等の給与になったわで、誇りこそすれ嫉妬する理由なんて無いよ。夫の一言に傷ついたというけど、あなたはそもそもその言葉に当てはまる人じゃない。傷つかなくていい。っていうと変な言い方だが。やってもダメな人じゃなくてやってできる人だよあなたは。というか、妻にその言葉が当てはまらないと思ったからこそ夫は「同じ上の位置にあるもの」ということで安心してその言葉を放ったのではないかと思う。東大生同士が「つか勉強したけどFランクに入る奴って何なんだろうな?w」とかその位置にいるがゆえに安心して侮蔑語で盛り上がってる感じなんだろう、その夫の感覚としては。まあそれにしたってんなこと言うのはとても「いい人」とは言えないし、趣味悪いというか、なんか哀れな人間だが。
(ここからやや想像モード)つうか今まではあなたを見下せていたけど、あなたが同等にまできちゃって見下す理由がなくなっちゃって、だから代わりに「ダメなもんは何やってもダメだよな」と違う人たちを見下すことでその代替としているのかもしれないし
あるいはだからこそマリオカートとかわざとやって「余裕な俺」を演出して「忙しい妻とは違う俺」ってとこに縋ってなんとか事故を保とうとしているのかもしれない。これは経験上の話でしかないが。
てかもうお前の方が上だから自信を持て!!
これは最後のステップだよ。あなたがあなた自身に「頑張った、おまえは出来るやつだ」と認めてあげること。唯一あなたにできていないことがあるとすればそれだ。あとちゃんと家事は夫にもやらせること。そうじゃないとますますそいつ調子のってくよ。その夫はあなたが思うような「いい人」ではない。てかエリートにありがちすぎて笑えるけど、自分はリベラルのつもりで無意識レベルで人を見下しまくっているような感じの人だよ。まあもう多分小さい頃からそうだったんだろうから「見下し」が癖のようなレベルにまで定着しちゃってて、それはときどきしか表面に現れてこないから、本人も(そんなに深く関わらない)他人も、あまり気付かないことだろうけど。でも深く関わるとこうして、気がついてしまう。それ、指摘しちゃっていいんじゃん?「そうやって人を見下して楽しい?」「人を見下してないと平静でいられないの?<あくまで厭味じゃなくて単なる疑問なんだけど風を装って」とか言え。その夫が嫌いな芸能人を挙げて「あの人に似てるよね。精神面で」とか言ったれ。そのくらい図々しくならんと、その「無意識に人を見下す」エリートタイプの夫とはやってけんよ。一見優しくてその実超傲慢っていうタイプだから。いいとこだけ上手く使って、悪いとこはスルーしたり見下し返したり素直に非難してやったりしないと、一方的にそれに「いい人だから」とか我慢してるとあなたがぶっ壊れる。あなたか、夫かどちらがぶっ壊れるかとなったら、夫を破壊する気で挑め。
一年くらい前からwebサイトの受託制作のバイトをするようになったんです。それまでは親からの仕送りで生活してたんですけど、そうもいかなくなり、web制作は自分の関心と金稼ぐにぴったりだったもんで。
一年やって思ったのは、自分はプログラミングみたいなことが相当好きだということ。正確に言うと僕はプログラマーじゃなくて、いわゆるコーダーで、htmlとcssを書いているわけだが、好きなだけあって上達も早い。デザインとコーディングの分業をしてる会社じゃないんだけど、最近はもっぱらコーディングを任される。社内で一番キレイでわかりやすいコーディングを書ける自信がある。うまくコーディングがいかなかったときは、疲れていても、帰りの電車の中でどうすればエレガントにできるかって考えてしまう。そのくらい好き。web制作だからhtmlとcssだけわかればいいということはもちろんなくて、javascriptやphpやperlなんかも関わるので、今後は覚えていきたい気持ちも満々。全然飽きる気も、手が止まる気もしない。
だから今後もこの道で飯を食ってくとは思うんだけど、コードを書く面白さにちょっとひっかかりがある。それは美しくわかりやすいコードを書く情熱が、自分が生きること、この世界で生きることと、どうつながっているかわからないということ。
具体的に言うと、文章やら絵やら演劇やらの表現活動って、その人の生と直結してる感じがするじゃん。政治活動とかデモとかも自分が生きることと世界とつながってる感じがするじゃん。でも、美しいコードを書くこととが、生とどうつながってるのかがよくわからない。
つなげる必要なんてないかもしんないけど、こんな愚問を増田にわざわざ書いているように、生きる意味とかどうしたらもっと生きやすくなるのかしょっちゅう考えてしまうわけ。それでいろいろジタバタしてきて、今も相変わらずしてるわけだけど、その中でコードを書くことが最もしっくりする。落ち着くというか。純粋に情熱を傾けられるとか。
別に24時間コードを書いてるわけじゃないし、コードを書く以外にもいろいろやってるわけだし、最終的にはwebという目に見える形になるわけだから、そういうことを通じて、自分の表現みたいなことをしてけばいいのかもしんないけど、コードそれ自体に情熱を傾けてるなら、そのコードに直接自分の葛藤とかを表現できないのかなって意味不明な欲がでてくるわけ。自己実現欲求みたいなものがコードで解消できないのかって思うわけ。
補足すると、これに似たようなことに数学が上げられる。僕は高校まで数学が好きで、数学科行くことも考えたんだけど、ばりばりの中二病で(今もそう変わらないけど)、環境問題に対してヒステリックな関心を持っていたから、数学は面白いけれど、環境問題だ!って、そういう学部を受けました(落ちましたけど)。数学は好きだけど生きることとどうつながってるのかよくわからないという疑問から、数学史とか科学哲学系の本とか読んで、何となくは、数学的な思索と社会背景とか思想の潮流とつながってるんだと知りました。けれど、いざ、コードを書く問題を前にすると、当時と同じような疑問は依然としてあります。
本当に愚問かもしんなけれど、プログラマーのみなさんはそこらへんをどう考えているか聞きたいです。数学でもいいです。
反応嬉しいです。ただ僕へのアドバイスより、みなさん自身が、プログラミングってすごく面白いけど、この世界とどうつながってるの?、自分が生きることとどう関係があるんだろって疑問を持ったことがあるなら、どういうふうに抱えているのか、その気持ちをどういうふうに解消しているのか、どういうふうに処理しているのか、聞きたいのです。プログラミングに生きる葛藤みたいなのを直接投影させるというのはそもそも間違ってるかもしれません。そういう気持ちは、全然別のことをやったり、友人と話したり、ブログに吐き出したりするのが関の山でしょう。でもプログラミングが好きで情熱を傾けてる人なら、プログラミングを通した自己表現、自己実現みたいなことを考えたことがあると思うで、聞いてみたかったのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080505020148で、
誰もが「芸術家」として生きられると思うのがそもそもの間違いなんだよな。
という意見が書かれてましたが、「芸術家」かどうか関係なく、プログラマーはまずは人間ですから、質や程度の差こそあれ、自己表現欲求や生きる葛藤みたいなのを抱えると思います。繰り返しますが、そこらへんの思いと自分のプログラミングが結びつけている人がいるなら、どう結び付けてるのか、結びつけないのならどう結び付けていないのか聞きたいです。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080504230316で書きましたが、「プログラミングなんてしょせんコンピューターの中の世界にすぎないでしょ」(実際はこれだけ人の生活に影響与えているんだからそんなことないはずなんですけど、僕はそういう思いが拭い去れない)っていうプログラマー故の虚無感、ニヒリズムがあれば、どういうものか聞いてみたいです。もちろん、それをどう処理しているのかも聞きたいです。
※ここまで書いて、収集の付かない無理難題を言ってるなぁとつくづく思いますが、何か少しでも反応するものがあれば、反応していただくと嬉しいです
「世界とどうつながってんの?」っていうおっきな問いを掲げていたわけなんですが、どうしてそういう問いが出てくるかと考えてみますと、僕がコーディングしてるサイトって、コーディングが始まる段階まで僕がほとんど関わっていないし、クライアントがどういうつもりでサイトを作りたいのか、どうしてこういうふうにフィックスしたのか、その経過を知らない場合が多い。もちろんラフデザインや原稿見ればクライアントがどういうところかわかるわけだが、だいたいは制作するサイトの内容に意識を持ってくと、疑問が出てきたり、気に食わないって思ったり、場合によってはこんなこと言ってる奴は「死ね」とか思うわけ。でも「死ね」と思って、放り投げたり、その段階でクライアントやディレクターに文句なんて、言えない。軋轢怖いし、進行を止めちゃうし、生活がかかってるし。そもそも言う発想さえない。でも内容無視でも、コーディングそのものに十分な魅力があって、いかに良いコーディングするかというところで十分に面白い。逆に、内容に関わると、葛藤が増えてコーディングに集中できないという面もでてくる。コーディングって内容関係なしに自己完結できてしまう魅力がある。自己完結と言っても、正確に言うと、自分一人じゃなくてコーダーならコーダーの世界の中での完結だけど。クライアントの意思と切り離れたところという意味で完結できてしまうということか。でもそこの魅力だけで突き進むと、当然、自分のやってることが自分だけで閉じてる感覚になってくるわけ。面白いことは面白いけど、こんなんでいいの?って疑問がでてくるわけ。で、結果、自己実現したいとか虚無感とか抽象的なわりにおっきくて重い思いを抱えちゃうのかな。
だから結論を言えば、web制作に携わるなら、もっと制作全体に携わるようにしてけばいいんだよなって思います
ただ、まだグルグル考えちゃうことがあって、閉じた世界にとどまらないで全体性を獲得していこうって発想には、閉じた世界にとどまることへの嫌悪感から来ていると思う。甘美さもすごくわかるよ。ロマンチックだし。でも閉じてないで全体性を獲得していこうって言われたら言われたで、「人間こうあるべし」みたいな説教っぽいというか胡散臭さがつきまとう。いずれにせよおさまりが悪いです。
だからなのかか僕は「おたく」に対してずっと愛憎があります。