はてなキーワード: 恍惚とは
最低でも3日に1回。
たぶん、毎日してほしいと思ってる。
仕事が忙しくなって一週間に一度とかになると、とても怒る。
恋人に抱かれるのは権利だなんて言われて、すがるような目で見られてしまう。
そう書くと、ビッチとか言われてしまいそうだけど、外から見ると彼女はいたってふつうで、むしろ経験が少ないようにみえる。
性格もとても素直で、気の利く優しい年上の人。
そのうち結婚するのだろうと思っている。
だから正直、拒むと別れ話を切り出されるのではと怖くなる。
それに、こうなってしまったのは、ぼくのせいなんじゃないかと思っていて、それがどうしてももやもやと残って、苦しい。
増田に、相談させてほしい。
当方はプログラマーで25歳。
プログラマーと言っても老舗の通販会社なので、いつもはそんなに忙しくなく、ときたまプロジェクトが佳境に入ると、泊まりが発生したりするぐらい。
仕事の関係で知り合って、なんだかんだで付き合うことになった。
メールを何度もやりとりして、意気投合して、飲むことになった。
ぼくはその彼女とつきあうまで、女の子と付き合ったことがなく、24歳までまったくの無経験。
なんとなくいい雰囲気になったことは何度かあった。
ただ、ぼくは好きな人の前に出ると、どうしても恥ずかしがってそれを出すまいとしてしまうところがあって、それで女の子の方から脈なしと離れられてしまう、ということの繰り返しだった。
感情を平静に保つ事だけは上手なようで、仕事ではその冷静さを買われていると思うときもある。
バーで話して、付き合うことになった。
あとで聞いたら、飲んで気が大きくなっていたらしく、彼女につれられるまま、渋谷駅のホームでキス。
もちろん初めて。
なにかくちびるとくちびるでスタンプを押すようなキスで、すごい違和感を感じた。
だけど酔っていたこともあって、なにかほんとうに流れ作業をしているような感じがした。結局、最後まで行くことができなくて、そのまま眠った。
朝になって、
「何でこんな事になっているの?」
と問い詰められて、さすがに抗議した。
次に会って、キスをしたとき、ぼくは言った。
いま思うと、これは言ってはいけなかったのかもしれないと、後悔してしまう。
「下手です。それはキスじゃない」
ショックだったはずだと思う。
カップルの何割かはそんなことを考えずにしているのだと思う。
5年も経験のある2つ年上の彼女がそんなキスをしていたのだから、数だけ多いキスが東京中に飛び交っているのだと思う。
ぼくはハリウッド映画ばかり見ていたから、そのキスをイメージしていたのかもしれない。スポーツ選手のイメージトレーニングのようにキスが脳裏に残っていて、映画のようなキスが、ほんとうのキスだと、思っていたのかもしれない。
「もっとこう、触れるようにです。やさしく撫でるようにです」
ちょっとやってみると彼女はすぐにコツをつかんだ。
くちびるの合わせ方、触れ方、歯の使い方、舌。
なんどもなんども試して、恍惚とするキスの仕方を二人で探した。
キスはお互いのくちびるでお互いのくちびるを愛撫するものだから、二人の息が合わないとうまいキスができない。いやがる相手は自分を愛撫してくれないし、相手が乗り気でないときも、たいてい上手くいかない。
だけどお互いキスをむさぼることに完全に合意をしていると、突然にそれは愛撫をむさぼるようなキスになる。
二人で映画を見ながら、キスの仕方を研究していたときもあった。
そしてやってみる。
これはいい、これはわるい。
一時期、マニアみたいな二人だったような気がする。
身体の合わせ方も同じで、いろいろに研究するうちに上手くいくようになった。
ただ、キスと違うのは、男の方が極端に冷静にならないといけないということ。
よく、男性が女性の姿に興奮をしてしまい、その興奮だけで事を終えてしまうので、女性は気持ちよくなれないという話を聞く。
これは当然のことで、その男性は性的な頭脳的な興奮で事を行っているだけで、肉体的な快楽や興奮で行為を行っていないからだ。キスと同じようにお互いを抱き締め合わなければそれは得られないのに、脳だけで行っているからだ。
気持ちがいいのは脳だけであって、身体ではない。
やはりそれはキスではない、のだと思う。
「なにか肩もみのようだった」
と初体験の感想にショックを受けていた二人も、だんだんと上手く身体を合わせられるようになると、それに夢中になった。
お互いに相手の気持ちのよいところを探し、それをむさぼり合っていく。
もう真っ逆さまにそれだけになっていくようで、都内を泊まり歩いた。
月に何泊もすれば、当然にとんでもない額が飛んでいく。
たしかにお互いに上手くなっていくのだけど、会ってやることは結局それ。
のめり込み、夢中になり、溺れていく。
4ヶ月前に同棲を決めたのも、泊まり歩くお金よりも家賃が安かったからという理由でしかなく、同棲するようになって、仕事から帰ってきてすることも結局それだった。
行為の最中は夢中になっている。
終わってみると、なんて非生産的な事をしているのだろうと思ってしまう。
それがよぎると、冷静になってしまう。
これはとても空しいと。
これはなにも生み出さないと。
でも彼女は求めてくる。
足裏マッサージだって週1回ぐらいなのに、それを毎日してほしいと言う。
いくら一番お金がかからない遊びだからって、それに耽っているのは、なにか取り返しのつかない無駄をしているようにしか思えない。
たとえば旅行でもいい。
いまなら国内旅行よりも海外旅行の方が安く、信じられないぐらい安い値段で、よいホテルに泊まれる。台北3日間なら二人で6万円。都内を泊まり歩くならば、月一で海外旅行ができたはずなのだ。
同棲を始めてしまい、遊び歩く余裕もなくなり、閉じこもる日ばかりが続く。
同棲生活自体はそれほど不満でもなく、彼女ともけんかはするけれど、仲良くやっていると思う。仕事も、給料は安いけれど、そんなもんなんじゃないかと思う。
だから、せめて月1ぐらいにならないのだろうか。
どうしたらいいんだろう。
週1でも過剰だと思っているのに。
もし、出会った頃に戻れるのなら、あの言葉をいうのをやめるだろう。
下手だなんて言わなかっただろう。
上手くなる必要なんてこれっぽっちもなかった。
ほんとうのキスである必要なんてなく、キスなんてうそで充分だった。
その前に、酔った勢いで連れ込まれるのを阻止しただろう。
あなたとしたいのはそんな事じゃない。
あなたを好きになったのは、そんなところじゃないって。
泊まるのに消えていったお金で、旅行だって、食事だって、観劇だって、いろいろな企画を立て合ってあちこちを遊び回る事だってできたはずなのに。
愛し合うのは、別に結婚したあとだってよかったのに。
なんで、こうなってしまったんだろう。
なあ、増田、どうしたらいい?
性の乱れ。その言葉が使われ始めた頃はまだ眉をひそめる程度で済んでいたが、若年層の性病感染者が20%を超えるまでに蔓延し、深刻な社会問題となった頃にはもう手の打ちようがなくなっていた。性教育の時間を学校教育に組み込み、性病の危険性、コンドームの重要性などをいくら説いても効果はあがらず、女性団体などの批判を押し切って前世紀の遺物であるかのような、純潔や貞操の価値を、性教育の時間だけではなく道徳、国語の時間を使ってまで重点的に教えてみても感染者は増え続け、それどころか、学校が推し進める価値観はつまらなく、カッコわるく、ださいものであるとされたため、むしろ性に奔放であることがカッコいいという考えにハクをつけるような結果となり、逆効果であるとさえ言われた。
打つ手はなくなり、もう規制するしかないとまでなった時、ひとつの法案が施行された。今までの対策と比べると地味で、目立たず、何のためにそんなことをするのかわからない、そんな法案だった。それが国家試験「処女認定試験」の制定等を含む、通称「処女認定法」だった。当初はほとんどの女性が受験せず、それどころか多くの女性からの激しい非難に晒されていた。しかし状況はまず見合いの現場から変わり始めた。処女認定資格保有者の見合い成功率が目に見えて高くなっていた。ほとんど同じ条件の中でも保有者の成功率が非保有者の倍近くになり、今までは最高ランクと見なされていたグループの非保有者よりも、数ランク下の保有者から先に成功していった。結婚にもっとも有利とされる条件が変わっていた。すると、今まで冷ややかな目で見ていた処女の女性たちも受験し始め、合格するとまたたく間に見合いに成功していった。
それが世間に認知されていくと統計にも変化が現れ始めた。総務省の調査では3年後には早くも減少の傾向が見られ、15年後には性経験の有る未婚者の割合が半減した。処女認定資格で純潔が可視化されることにより、結婚する女性のほとんどが保有者で占められ、非保有者は結婚自体が難しくなり、できたとしても数ランク下の相手がほとんどであった。ある見合い会社の調査によると保有者と非保有者の伴侶の平均年収の差は300万円を超えていた。
そのせいもあってか、15年以上前には一番多かった学生時代の性体験者数が激減した。それまでは処女の価値などないに等しかったが、処女認定試験ができて以来、結婚相手の生涯賃金にして1億近い価値が生まれたことによる、気軽な初体験を躊躇する女性の増加が主な要因とされた。
「あれから15年か」ひとりの処女厨が今年度の統計調査を眺めて呟いた。処女認定法案を中心となって作った男だった。男は統計を眺めるのが好きだった。自分が作った法案の与えた影響を実感するのが好きだった。そしてなによりも処女が好きだった。だから恍惚の表情で統計を眺めていた。あれから15年。必死になって働いてきた。非処女の半減。やっとひと仕事終えた心地だった。数だけではない。現実においても如実に成果は現れていた。ビッチをイイ女の条件として煽る女性誌などいまやひとつもない。どの女性誌を取ってみても純潔をオシャレでいい女の必須条件として喧伝している。
芸能界もひとり、またひとりと処女認定資格の保有を宣言することで、おおっぴらに保有を宣言しないものはファンが離れ、今では若い子みな保有者ばかりとなった。認定試験の厳格さは何よりも力をいれた結果、オリンピックのドーピング検査と並び称されるほどになったので、整形による偽装はもちろん、賄賂や替え玉、資格の売買等による、非処女の保有はまずありえず、詐称に関しても罰則を設けたのでその心配もない。処女厨の望んだ世界だった。だが相変わらず童貞だった。
付き合い始めて2ヶ月。
どっちも三十路だし、 大人の恋愛をしているのかと思っていた。
淡々と週末に週一ペースで付き合ってきた。
互いの家は100kmほど離れているので仕方ないのか。
どこかガードも硬かった。
こちらもちょこちょこ粉をかけるのだけど、反応は控えめ。
攻めどころが分からず、これは難物だなあ...と感じた。
「今日は帰りたくないなあ」
男の礼儀として、これは引き留めないと。
食事後、近くの公園に連れ出すと、
近くに座っていた学生ぐらいのカップルが唖然としてこちらを凝視していた
某高級ホテルに転戦。
部屋に入った後、シャワーも浴びず、そのままベッドの上に。
疲労困憊していたオレ。肝心のモノはきちんと機能しなかった。
ひたすら愛撫を求める彼女。
30代女の性に対する貪欲さをいやというほど思い知らされた。
でも、快感を求めて体をぶつけてくる彼女の恍惚とした顔を見ながら、
食事でも買い物でもセックスでも何でも、
女の嬉しそうな表情を見るのが、男の最大の喜びなんだよなあ、
と改めて認識した。
今朝5時半に解散。
昼休みに骨身にしみているところです
演奏の上手い下手とかはよく解らないのだが、とにかく歌詞に特徴があってそれで売れているバンドといったところだろうか。
(強いて言うなら、BUMP OF CHICKENを数倍濃くしてメンヘルとスイーツ入れて一晩置いたような歌詞)
ようやく入場の順が回ってきて、いざ会場の中に入るとすでに満員状態だった。
わぁ、やっぱり売れてるバンドはファンもすごいな~としみじみ感じた。みんなアーティストがステージに昇るのを、キラキラした目で待っている。
その時点で微妙な違和感があったのだが無視してライブを楽しむことに専念した。
ライブが終了して、アンコールに入った。アンコールでは歌を歌うらしい。自分はその歌を知らなかったのでトイレに行った。
廊下で泣いている子に出会った。「彼(多分ボーカルの人)と同じ時代に生きて、彼の歌を聴けた事が本当に嬉しい。」というような事を言っていた気がする。
割と、なんていうか自己啓発的な内容の歌詞を、所謂J-ROCKに乗せて歌うバンドなのである。
「君がいないと死んじゃうけどそんなの重荷だから君は君らしく生きていていいよ、でも僕は君が好きで好きでたまらなくて振り向いてくれないならやっぱり死にたいよ、
でもそんな自分が大好きだから君も僕のこと好きでいてくれるよね?そうじゃなきゃやっぱり僕は死んじゃうよ」
みたいな歌がたくさん、ほんとに全曲そんなんじゃないかって思うくらいそういう歌が多いのだ。
既にバンドのメンバー達が再び壇上に昇ってきていたときの事である。やっぱり周りのファン達は、キラキラした目でメンバーを見ている。恍惚の表情を浮かべている人もいた。
その場にいる大多数が、さっき挙げたような歌詞に本気で共感しているのだろうと思うと、寒気がした。
バンドとは一種の宗教なのではないか、とか、本気で考えてしまった。というか宗教だ。バンドメンバーは彼らにとっては神様で教主様なのだ。
悪いが自分はそれについていけそうにない、と楽しんでいる友人を尻目にそう思った。
そして自分と周囲の温度差に気持ち悪くなって、えづいてしまった。
私は人生において、成長する一番の近道は経験することであるという信念を持って生きてきました。
そして、したいと思うことは貪欲に経験するよう努めてきました。
その中で自分が一つだけ経験したいが、経験しては駄目だと思ってきた事柄があります。
それが
「オナホール」
です。
道具を使ったオナニー。
これは非常に危険です。
気持ちよかった場合どうするのか?
自分はその気持ち良さに逆らうことができるのか?
もし、本物の女性より気持ちよかったらどうする?
人間弱いもので、一度気持ちよさをしってしまうと、今まで満足していた気持ち良さに不満を持ってしまうことが多々あります。
彼女とHをしながら、あれ?これオナホールのほうが気持ちいいんじゃ?と気づいてしまうと萎えてしまうのではないか??
知ってしまうことで狂い出す歯車。
彼女と三ヶ月前に別れ、仕事の多忙を言い訳にし、次の出会いを探すこともなく、ただ平凡なオナニーライフを続けてきました。
30歳も過ぎると若かりし頃のオナニーに対する喜びは薄れ、ただの惰性のオナニーになります。
女性とのセックスもできず、オナニーも惰性でするだけ、私の性生活に虚無感が襲ってきました。
そこで、ふと頭に浮かんだ単語が
「オナホール」
オナホールは使わないと決めた自分の意志、決断、アイデンティティはどうするのか?
自分の誓いをこんなに簡単にやぶってしまってよいのか?
しかし、目的があるからこそ誓いを立てることができるのであり、今の私には目的がありませんでした。
となれば悩む必要はありません。
決断は早く、悩む時間があるのであれば経験してから後悔をし、二度と同じ後悔をしないようにすればよいだけです。
しかも、事柄はオナニーであり、これは現時点では私一人の問題であり、問題が勃発したとしても私一人で解決することができる問題なのです。
早速、アダルトショップに行き、オナホールとエロ本を購入してきました。
の二種類を購入。
家に帰り早速初体験です。
これはっ!!
しかし、このしまり!!
この粘膜の感触、粘膜のまとわりついてくるこの感覚。
締め付けてくるこの絶妙な圧力。
母さんこれ名器です。
生物特有の暖かさ。
女性のあえぐ顔を見ながら腰を動かす征服感。
もちろん上記の女性とのHの時に得られる特有の生命的感動はありません。
しかし、勘違いしてはならないのは、これはあくまでオナニーであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
結論としては、オナホールを経験したことにより、もう少し彼女はいらないかなと思った自分がいる。
そしてこれからの誓い。
オナホールは2週間に1回までとする。
同じように性生活に虚無感を感じている30代独り身の男性にに向けて。
以上
大雨の日はみんな家でHするよね? マンションなんてほとんどカーテン閉まってるじゃん。あれ全部Hしてるんだよ。閉まってないところはエロゲーしてるんだよ。
幸運にも私には彼氏がいるので家でいっちゃいっちゃしてました。抱きつきーの。
初めてデートした日……初めて手を繋いだ日……初めてハグした日……彼は一貫して「こんなの初めて」ってロボットのように同じ言葉を口にしてました。
だから当然Hも「もう女なんて抱き飽きたよ」なんて言うわけなくて……ディープキスして息苦しかったのかむはぁむはぁ言いながら「初めてなんだ、俺」ってなんだか申し訳なさそうに言ってた。
自分のできることを全部してあげた。そしたら……。
何かのスイッチが入って白亜紀・ジュラ紀を通り越して発情期に突入!
お猿さんは「ウキーウキー」。うちの彼氏は「はぁはぁ、やばい、超気持ちいい」。
もう会うたびにパンパンパンパンパンパンパンパン。終わったと思ったらまたパンパン。
私が「疲れたよ」「またぁ?」って言っても「だって気持ちいいんだもん」ってパンパン。
そのうち彼氏とした回数 > それ以前の合計になりそうだぜ。
正直、私はまったりのんびりほんわかしたいんだけど彼氏は一分でも早くズボンを脱ぎたいみたい。
性欲が強いんだろうな。精子の量も多目な気がするし。今まで我慢してきて限界まで膨らんだ風船を私が爆発させちゃったのさ。
でもそんなに上手くないし……でも私が拒むと世界のどこかにいる性豪お姉さんのところにお世話になりに行きそう。
喜んでくれるのは嬉しいけど考えものよね。誰かどう考えたらいいか教えてください……。
552 名前:550[sage] 投稿日:2008/10/14(火) 15:00:53 ID:LImVJlD10
生と死の狭間に己を笑い恍惚として自ら忘るる
されば夜明けの嘆きを鐘に神曲の幕よいざ上がれ
黄金の兜の覇王は万里を征し愛馬と共に川底へ沈む
孤赤児は蚯蚓の血を母の乳とし三夜して腹より腐る
生命よこの賛歌を聞け笑い疲れた怨嗟を重ねて
生命よこの祈りを聞け怒りおののく喜びを枕に
百年の生は炎と剣の連環が幾重にも飾り立てよう
七日の生は闇と静寂に守られ無垢に光り輝くだろう
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
生と死の選択を己に課す命題として自ら問う
されば嘲笑の歓喜する渦に喜劇の幕よいざ上がれ
嵐の夜に吼え立てる犬は愚かな盗賊と果敢に戦う
温かい巣で親鳥を待つ雛は蛇の腹を寝床に安らぐ
せせらぎを聞く蛙の卵は子供が拾って踏みつぶす
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
姫は唄い、諸人を祝い、
そして地獄へ蹴り落した。
今まで気に留めてなかったけど、近所の本屋のエロ本コーナーがおおっぴら過ぎる。
友人と一緒に行って初めて気がついた。
普通の雑誌やら本やらが並んでるところに、なんか隠すこともなく普通にエロ漫画コーナーとかがある。ど真ん中。隣は音楽雑誌コーナー。子供も女性も誰もが利用するようなコーナーの隣にエロ本コーナー。
本屋の真ん中の道をただ歩いてるだけで、おっぱい露出してなんかエロい液体出してるキャラがフツーに目に入ってくる。
自分はエロ漫画とか読む方なんで、あんまり意識してなかったけど、よく考えるとこれって微妙じゃね?
子供も普通にいるのにどうなん?てかエロ雑誌、表紙だけでも自重すべきじゃね?乳首とかモロなんすけど…あれ普通に一般雑誌と同じところに置くのって大丈夫なのか?ただでさえポルノ云々うるさいご時勢なのに大丈夫なのか?
レンタルコミックコーナーとかだと、「18」って書いてあるカーテンの裏にちゃんと18禁の漫画が分けられてるんだけどさ。
ああいう風にすべきじゃね?
あと、BLのエロ本もさ。普通に少女漫画のコーナー歩いてるだけで、少年と眼鏡白衣の青年が絡み合って恍惚としてる表紙とか見ちゃうんだけど。あれも18禁コーナーに隔離すべきじゃね?それと個人的には、同人のアンソロジーとかももっと普通の漫画と隔離してほしい。エロじゃなくても自分の知ってるメジャー漫画のキャラがホモ化してる表紙とか見るとちょっとげんなりするんだけど……少女漫画コーナーとほんと同化しちゃってて、避けきれん。まあ少女漫画そんなに見ないからいいんだけど…
そのBLエロ本コーナーのすぐ近くに、子供の遊び場があるんだよね…いや本当どうなん?っていう。
もうちょっとゾーニングっつーのか、そういうの考えた方がいいんじゃないんかね。
今までそう気にしてなかったけど、これ、エロとか嫌な人にとっては結構不快なんじゃないの?
それで客逃しちゃうと本末転倒だしさ……
なんとかならんのかね。
結構昔見て、画像は無いんですが
妾として夜の慰み者になるんだけど、その初夜を迎える日の夜に
仕事から帰ってきた長男と出合って二人とも恋に落ち、妾の話を
聞いた長男が次男に詰め寄るんだけど、結局殴られて気絶して
その姿を見せつけながら少女が次男に犯されて、長男が目が覚めた時
調度ふたりが同時に絶頂を迎えて中出しされて、感じてしまったことを
隠し切れずに恍惚の表情を浮かべる少女を目の前に長男は無意識に
勃起してしまい、それを侮蔑の目でみていた次男がチャックを破壊し
「兄貴ィ最高だぜぇ!兄貴はずっと俺だけのもんだぁああ!!おにいちゃぁああん!」
と絶叫しながら共に絶頂し、気をやった次男の頭を長男がやさしく撫で
「お兄ちゃんはどこへもいかないよ。ずっとお前と一緒さ。」
と優しく微笑み、少女に合図をすると少女が用意していたガソリンを部屋に撒き
屋敷ごと二人を焼き払うというエロ漫画の詳細を誰か教えてください。
これはプログラマーであることと関係はないので、もしプログラマーであれば、やはりプログラマーの生き甲斐みたいなことを具体的に聞きたいです。
俺はサポート屋だからプログラマーの生きがいについては具体的に知らないね。どうせ知的な労働と言うだけでは満足できないんだろ。それに何か答えたとしても、人から「君の仕事の生きがいはこれだ」と言われて恍惚感に浸れるのか?増田の生きがいって、その程度のものなのか?
あと、日々やることをやっていくといことが大事だということはわかりますし、人間そう簡単に淡々とできないのでそれが難しいこともわかるんですが、これだけだとなぜ「もっとも尊い」のかよくわかりません。淡々とできない事情があっても「もっとも尊い」と言い聞かせて我慢してやり過ごした方が良いということ??
それを我慢してやり過ごすことだと思っているうちは、まったく理解してないってこと。ああ、納得できないなら深く考えないほうが良いよ。最も尊いものは金だって言ってる奴はたくさんにるから、どうせ追っかけるならそいつらの後ろのほうがいいんじゃない?俺は、増田が自分の仕事にどう対峙していいか、深く悩んでいるようだからこういう「煩悩を掃き清める」的な考え方も分かるんじゃないかって思っただけ。
言い方は悪いが、増田の悩みは「俺って特別だよな、コンピューター・エンジニアの俺って、この仕事独特の何かがあるよね、ね」という中二病の域を出ていないんじゃないか?俺はIC関係のサポートを長くやっているが、「コンピュータ・エンジニアならではのニヒリズム」なんてのは見たこと無いよ。仕事がきつくて体をおかしくしたことは何度もあるが。
自分の仕事や、職種の面白さ、深さも社会に出て10年くらいたってやっと分かってきた。ただし、自分がわかってきたものが説明して万人に理解してもらえるとは思わん。結局は勉強。勉強し続けると、新しい扉が開くことがある。その扉がどこにあるか、どこに続いているかは、勉強している間は分からん。
http://anond.hatelabo.jp/20080320073242
もう一人の人も書いてるけど、セックスってのはコミュニケーションだと思う。そして、どんな種類のコミュニケーション能力も、受信能力と発信能力で1セットだってことを知ると、それは気持ちいいセックスへの近道になる思う。元増田の話には、この受信能力の話が抜けてる気がする。性器のサイズや形に相性があるとか、男の持続力とかってのは、セックスするうえで、ひとつの課題だけど、それ以上のものじゃないよ。それは、コミュニケーション上の課題であって、コミュニケーションで乗り越えるものなんだ。
性器の形や持続力を気にする前に、お互いに相手がどうされると気持ちが良いのか、実際に聞いたり、相手の反応を試したりして、自分たちだけのセックスのコミュニケーション方法を探るほうが大事だと思う。肌への触れかた、キスの仕方、性感帯の愛撫の仕方、挿入の仕方、体位、一回のセックスの中での序破急のつけ方etc、そういうのは、おもに発信力の問題じゃないかと思うかもしれないけど、ちがう。受信力が鍵なんだ。そういうセックスのノウハウは、すべて、相手の気持ちを言葉や反応から理解して、相手がどうすれば気持ち良いのかを、お互いに試した末に、徐々に改良されてくもんだからね。AV男優のテクなんて、そのためのヒントにしかならない。
たとえば、はじめてだったら、脱がしたり、おっぱいを優しく触ったりしながら「○○は、どんなことされるのが好きなの?」とか聞いてみたらいいし、とりあえず、女の子の性感帯になりそうなところは、全部丁寧に愛撫してあげてもいい。そうして何度かセックスするうちに、その女の子のどこが性感帯なのか、どのくらいの強さでどんな角度からいじると気持ちいいのか分かってくる。女の子も恥ずかしがらず、「あ、それ気持ち良い」とか「ちょっと強すぎる」とか言った方がいい。マッサージみたいなもんだと思えばいい。「あ、そこそこ、もうちょい左」みたいな。そうやっていくうちに、お互いのアレとソレがどんな体位でどんな角度なら気持ち良いのかとか、今日は何分くらい持ちそうだから、どんな展開のセックスにしようかっていう問題にも答えが出せるようになる。
あとはね。セックスはセックスそのものをしてる時間だけがセックスじゃないと俺は思うよ。自分の好きな人といつも気持ちいいセックスをするには、セックスっていう行為以外の時間のほうが大事なくらいだと思う。たとえば、セックスの予感があるデートをするなら、どこで待ち合わせするのか、今日はどんなルートを巡って、どこで昼ご飯を食べ、どこで遊んで、どこで休憩して、どこで夕飯食べて、最後にホテルに行くのか、事前に彼女が喜んでくれると思うプランを考えたり、実際にデートする間に、様子を見てアドリブを利かせたりする。そうやって、二人とも笑ったり、感動したり、美味しい飯を食べたりして、気分よくいられれば、デートの〆のセックスも、盛り上がった気分で突入できる。気持ち良いセックスになる可能性は高い。その日のデートを通して、冗談も本気も、お互いになんでも話せる関係がつくれれば、セックスのときのコミュニケーションもスムーズだ。
こうやって、コミュニケーションを深めて、お互いにシンクロするような、最高にうまくいったセックスはやばい。頭の中がまっ白になるっていうのは比喩じゃない。明らかに脳から、なにかとんでもなく気持ち良い物質がドクドク出てて、終わった後も二人とも全身が恍惚感で満たされた状態になる。こういうセックスは、体調とか気分とか、その他の色んなものが関係して、いつもできるわけじゃないんだけど、ちゃんとお互いの気持ちを受信しあって、セックスを重ねてると、数回に一回くらいは経験するようになる。
気持ち悪いほどネチネチした文章だなあ。プレゼンでも一番やっかいな人っぽいな(笑)
理論詰めで全く動けない、動かさない感じ。そんな聞き方ではなく、もっと核をついた質問ができるようになれば
面白い議論になってたと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080116020453
考え方がトレーダー的で学問として金融を捕らえる人からは反発を生みそうだが、俺は結構好きだな。
金融工学を学ぶからそれを利用して儲けるとは話しが別なんだよな。金融工学自体がまだベイビーだからこれからまだまだ発展する学問、
学者が書いてる「ウォール街のランダムウォーカー」のように刷られる度に内容が変わって行く。結局トレーダー的にマーケットを見ていくと
行動心理学にいきつく。マーケットの未来は分からないが、動きに対してどのように自分が動くかという事になる。
システムトレードも、そのシステムを動かすのは人の心理だ。結局行きつく所は感情論にもなるんだよなあ。
>日経平均が1万円台を回復したときは恍惚のあまりイキそうになったなあ。
当時自分も株をわんさか買ってたから気持ちは分かるなあ、小泉内閣の勢いに乗って世界から日本に金が集まってるのを毎日感じられた。
こんなこと言うとスイーツって馬鹿にされそうだけど、やっぱりオッサンよりも若い男の方が良い。
年上好きを公言してる女性は、そう言うことで自分を大人に見られたいとか、
年下が好きって言うのが恥ずかしかったりで我慢しているんだと思う。
本能的に顔の良い男に魅力を感じるのと一緒で、若い男に魅力を感じるのは当然。遺伝子がそちらを「優秀」って捉えてる。
例えば、男が自分に向かって笑顔で話しかけたとして、その男が若かったら「爽やか」「可愛い」って
かなりの好印象になるだろうけど、オッサンが笑顔で話しかけてもせいぜい「愛想が良い」くらいに留まる。
下手したら気持ち悪い(生理的なことを言っているので「気持ち悪いと思うな」みたいな反発はやめてください)。
この反応の差は、優秀と劣等の差に違いない。DNAに若いことは優秀だって組み込まれてるんだ。
(男も若い女の子が好きなんだから「年相応云々」みたいな一方的な批判は受け付けないよ)
何でこんなことを書こうと思ったかと言うと、最近ある集まりで10代の子と知り合ったから。
他は20代後半とかの集まりで、一人だけぽつんと若いその子が混じっていて、
馴染めない感じだったから話しかけてあげたら、一転嬉しそうな顔になったのが可愛かった。
色々話したけど、私はお酒飲んでたからあんまり覚えてない(笑)。
帰る時に駅まで一緒に歩いて、私は酔いで足下ふらついたフリして、その子に抱きついた。
もう若い男に抱きついてるってだけで、心の底から喜びっていうか、下品な言い方すると興奮した。
「やったれ」って感じでアスファルトに押し倒してベロチュー。
唇合わせた時に、唾液がじゅって噴出するのがわかって、舌を絡ませたらいくらでも出てくる。
唇を離した瞬間に見えた、その子の心なしか頬を赤らめたような、恍惚の表情が、めっちゃ良かった!
この経験から私はオッサンと若い子の違いを痛感し、若い子って良いなぁって思ったのです。
書きたい事がなくなってしまった。
数日前までは鬱憤、考えた事、思った事をたくさん増田に書いていたけれど、今はもう前の様に頭に確りとした意見に至る考えが浮かんで来るという事はない。
如何なる事に対しても受動的になり機械的に日常を過ごすばかりで、以前の創作に対する憧れとか、議論の時の知的興奮がない。
いろんな意味で今なら死んでも良いと思う。他人には分からる恍惚を感じつつ自分の殻に閉じこもったまま安らかに死ねるだろう。
このまま俺は減退していってしまうのだろうか。もし今死ななければ過去の自分に負ける日々が続き、アルツハイマーにでもなって自分が何者であるかも理解できなくなり未知に対する恐怖を覚えながら動けなくなり死ぬのだろうか。
InternetArchiveで数年前のお気に入りを発掘してみている。あの頃はまだ黎明期と言える分野が残っていて、技術的なものだろうがなんだろうが障害を乗り越え目標を達成する感覚が楽しかった。しかもそれをリアルではないながらも他人と共有できる。完成しきっていないコミュニティー、構築途上の場で自他共に様々な試行錯誤を繰り返し、時にはそこに高度な話題まで芽生えた。乱雑な表面とは裏腹に、いつも人間の儚い努力と秩序が見え隠れしていた。個人個人の特徴が際立っていたそれらには感情さえ移入できる。懐かしい。
今あの人達は何をしているんだろうか。個人の中での閃きはもう淘汰されてしまう楽しくないここにはやはり居ないのだろうか。あんなに生き生きとしていたのにもう音沙汰がないなんて切ない。
俺は数年前の世界に留まるよ。他人が作り上げたものの上にしか成り立たない飽食の時代には居られない。さようなら。
夜型の増田達はそろそろ活動的になってくる時間だろうか。
私もかつては多くのエンジニアと同じ様に夜型であった。
大学にいた頃などは完全に昼夜逆転の生活を送っていたものだった。
慢性的に寝不足であることもあり、頭がぼんやりしている時間が大半であった。
しかし、真夜中、誰もいない研究室でプログラミングをしているときだけは、アドレナリンが噴出し、脳内麻薬が染み渡った。
エンジニアの諸兄ならば、あの恍惚の時間を理解することができると思う。
世界と完全な隔絶を果たせるあの時間は一度経験すると忘れられないものだ。
しかし私は今や完全なる朝型人間である。毎朝(?)4時頃に起床する。何故か?
朝もまた、夜と同じぐらい素晴らしいのだ。
夜型の諸兄らも、彩度の低い青い光に包まれた街を見たことがあるだろう。
特有の透明感溢れる空気に触れたことがあるだろう。
世界から切り離されるのではなく、世界から祝福されながらコードを打ち込んだことは?
私はその時間に魅了されたのである。
この文章を読んで、諸兄らが、その世界の一端でも経験したいと思ってくれれば幸いである。
ドカタが数珠繋ぎにアナルにチンポを捻じ込んで、よいせよいせと綱引きをしている。
夏によく見る光景、この辺りの風物である。
ぼくはそれをキンキンに冷えたコーラを飲みながら遠くから眺めていた、何百人もの男がアナルにチンポを捻じ込んで、よいせよいせと綱を引いている。汗だくで、こちらまでぷんと匂いが香ってきそうなほどだ。
男たちは手ぬぐいで自分の汗をぬぐうとギューと搾る。それと同時にアナルも締め付けられたようで、こちらに声は聞こえぬがうっという声もあげたようだった。
このドカタの恍惚にも似た表情が、僕を熱くさせていた。この夏の暑さに負けんじと、病弱な僕でさえ思わせられた。
そんな風に思っていたところ、綱引きの列から離れた一人の男が体を拭いながらこちらへやってきた。
「ふぅ、熱い熱い。」
まさかぼくが立派なドカタになる日が来るなんて、まだこのときは知る由もなかった。
ドカタ一章-終-