2007-12-07

書きたい事がなくなってしまった。

数日前までは鬱憤、考えた事、思った事をたくさん増田に書いていたけれど、今はもう前の様に頭に確りとした意見に至る考えが浮かんで来るという事はない。

如何なる事に対しても受動的になり機械的に日常を過ごすばかりで、以前の創作に対する憧れとか、議論の時の知的興奮がない。

いろんな意味で今なら死んでも良いと思う。他人には分からる恍惚を感じつつ自分の殻に閉じこもったまま安らかに死ねるだろう。

このまま俺は減退していってしまうのだろうか。もし今死ななければ過去の自分に負ける日々が続き、アルツハイマーにでもなって自分が何者であるかも理解できなくなり未知に対する恐怖を覚えながら動けなくなり死ぬのだろうか。

InternetArchiveで数年前のお気に入りを発掘してみている。あの頃はまだ黎明期と言える分野が残っていて、技術的なものだろうがなんだろうが障害を乗り越え目標を達成する感覚が楽しかった。しかもそれをリアルではないながらも他人と共有できる。完成しきっていないコミュニティー、構築途上の場で自他共に様々な試行錯誤を繰り返し、時にはそこに高度な話題まで芽生えた。乱雑な表面とは裏腹に、いつも人間の儚い努力と秩序が見え隠れしていた。個人個人の特徴が際立っていたそれらには感情さえ移入できる。懐かしい。

今あの人達は何をしているんだろうか。個人の中での閃きはもう淘汰されてしまう楽しくないここにはやはり居ないのだろうか。あんなに生き生きとしていたのにもう音沙汰がないなんて切ない。

俺は数年前の世界に留まるよ。他人が作り上げたものの上にしか成り立たない飽食の時代には居られない。さようなら。

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