はてなキーワード: 世界に一つだけの花とは
はてなの店先に並んだ いろんなブログを見ていた 人それぞれ好みはあるけど どれもみんなステキだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで はてブの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのにボンクラブックマーカーは どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにそれなのに 意地悪になりたがる?
そうさ僕らは 世界に一人だけのブロガー 一人一人違うネタを持つ その話題を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
小さい話題や大きな話題 一つとして同じものはないから アルファブロガーにならなくてもいい もともと特別なThird Blogger
考え方は面白いと思うな。
「負けないで」とか「TOMMOROW」が流行った頃って、バブル破裂した後なんだよね。
世間ががんばろうってなってた時期で、はっぱ隊の「YATTA!」とかも記憶にある人多いんじゃないかな。
そのあと、0年代とか言われ始めるわけだけど。
このころになると、「世界に一つだけの花」みたいな流れになっていく。
失われた10年なんて時期に、自身を否定されたような状態になってる人へ向けて「君は大切なんだよ」ってメッセージに変わっていく。
で、今なんだけど・・・
今は、ラブソングが多いね。
これはそう思う。
これが反映してる世相はなんだろうとか、思わないでもないけれど、すでに「夢物語」を求めるステージに移ってしまったのかもね。
ちなみに追記すると、バブル絶頂期はとにかく「金」を匂わせる歌が多かった。
人は自分が有能であることの証明は容易に行なうが、無能であるという証明は難しい。
今現在の人間は過去の可能性の発露である、君は君の可能性の発露を今生きている。
まあ大雑把に言えば、生きるということは生物が保持している遺伝情報の最適化であるのである。
要するに自分に発露しうる可能性がこれ以上無いという証明は、そのまま死刑宣告であるからである。
故に、我々は価値観の多様化という安全弁を設けた、世界に一つだけの花であり一人ひとり違う種を持っていいのだよ、君は君のままでいいのだよ。
こういった価値観の多様化は1と2の間に無限の値をとる哲学であり、理性的に両者の差異を自覚しにくくすることに成功したのである。
しかし、この哲学は多くの1を土台にしたものであることは2である我々には本質的には理解されていなかった。
我々は結局2であることを自覚することもなく1である人々の犠牲の上に漫然と社会を運営していたのである。
ここでの1とは発展途上国を指す。
物質面で言うならば、それはつまり国際競争力であり技術力である。
この世界では金が無ければ物は手に入らないのである。
つまり物資を得ようとするなら方法は二つだ、安いものを高く売って差益を得るか、武力で奪うかの二択である。
我々は価値観の多様化という一種の欺瞞によって、この美しい世界の理屈を間違ったまま認識した。
世界の様相は全く変わっていないのに、我々は自ら産み出した新しい認識によって世界の構造が変わっていったかのように振る舞い、誤って学習した。
古代→中世→近代→現代という古典的歴史認識は我々を誤った結論に導き、これを信じる宗教を育んでいる。
しかし、現実はどうであろうか?
1と2は決定的な違いがあり、1という数字はどれだけ優秀な観察眼をもってしても2より少ないのである。
特異な君はそれだけでは無価値である。
たったこれだけの当たり前の現実すら歪んだ我々の視点からは認識できない「タブー」となっている。
かつてタブーだったものは何か?
古代→中世→近代→現代という古典的歴史認識とは全く別の意味で世界は多様な価値観に満ちている。
そこには1と2という単純な違いがあるだけである。
野生的直感が勝利する時代が来ているのだ。
野生的直感は1と2を理性によらず選別することができる。
人権の時代は終わった。
万物に平等な人権などはなから存在しえないのだ。これからは(というか世界はいつもそうだが)人間は生きているだけで価値があるわけではないのである。
中国を見よ、インドを見よ、あるいは道を踏み外しかけているがアメリカでもいいだろう、人権なぞ存在しなくとも国が発展すればそれで良いのだ。
彼らは我々がやったのと同じように、安価な労働力と確かな技術力で他国の経済を壊滅させ己の利益を得ているのである。
一般的に生物は自らより多くの子をなす、生き残るにはそれらと戦う、生きるという本質は奪うことであり、それしか無いのである。
弱ったもの、劣ったもの、本質的に無気力なもの、無産者、これらを不要なものとして切り捨てる時がきた。
我々は2であらねばならない、あまねく万物は生きるために2であろうとしそのために死力を尽くして戦っているのでありそれが正しい姿だ。
不能者を抱えて弱りきった我々の国家は野生的にあくまで合理的に、不要なものを捨て去り社会を形成する必要がある。
いや、国家の枠が無かったとしても我々が生きるために無能なものはいらないのである。というより、そのような余裕のある国家ではなくなったのだ。
この新しい野生的で至極当然な価値観は若い世代に確実に浸透している。
さっき帰りにスマップの「世界に一つだけの花」をなにげなく口ずさんでてきがついた
こりゃひどい欺瞞のうただ
「花屋の店先に並んだいろんな花」だって?
伸びすぎて切られることも、成長不良でつぼみを付けないなんてこともなく
時期外れになることもなく、出荷の時期にちゃんと花を咲かせて
とにかく「こいつは売り物になる」って目をかけられて
ちゃんと値段をつけてもらって、店先に並べてもらってる
そりゃ「どれもみんな きれい」だろうよ
あたりまえだ
それが「きれい」じゃないなんてことはありえねえじゃねえか
「きれい」だから流通して小売されてんだ
そりゃ「バケツの中 誇らしげに しゃんと胸を張っている」だろうさ
こいつらはちゃんと選ばれて選別されて選花されて生き残ってきたんだから
その陰にどんだけの花をつけなかったり、虫に食われたり、病気で立ち枯れたり、
ましてやちゃんと咲いたのに買い手がつかなくて流通に乗せられなくて
打ち捨てられた草花があったのか
「世界に一つだけの花」ってうたではそういうドブの光景は決して見えない
欺瞞だらけのうただ
なにが「ナンバーワンにならなくてもいい」だ
オンリーワンにすらなれねえやつがどんだけいんだかわかってんのか?
ってことでこの歌がはじめてすごく好きになった
芸能界ってすばらしいねえ
いやーいい歌だw