はてなキーワード: アナーキズムとは
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-488C-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E8%8B%B1%E7%94%9F/dp/408720488X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1255857512&sr=1-1
いつの時代にも青春に特有の不安や「自分探し」があるのではないか。世間でいうほど絶対的貧困状態に置かれた若者は多くない(フリーターは被扶養者であることが多い)。かつての新左翼も政治運動としてはナンセンスで、全共闘はマルクス主義というよりアナーキズムに近かった。60年安保も、学生のエリート意識による「集団的なストレス発散」だった。
こういう若者の不安を食い物にする連中はいつの時代にもいるもので、著者が企画した対談で『蟹工船』ブームを起こした雨宮処凜やモリタクなどの「貧困ビジネス」は、ちょっとした成長産業だ。しかしかつての新左翼や原理などと同様、こういうカルトは何も解決しない。ただ新左翼は日本の高度成長の最中にそれを批判する見当違いのお遊びにすぎなかったが、いまロスジェネの直面しているのは日本社会の本物の病だ。
ところが雨宮・モリタク的な貧困ビジネスは、彼らに迎合して再分配によって問題が解決するかのような幻想を振りまく。NHKの「クローズアップ現代」で「“助けて”と言えない30代」という番組が今年最高の視聴率を記録したそうだが、メディアにとっても貧困や自分探しはおいしいビジネスだ。しかし若者を孤立させているのが「新自由主義」による「自己責任」論だとかいうのは、お門違いもいいところだ。それはかつて新左翼が「日帝」とか「独占資本」などの藁人形を相手に闘ったのと同じである。
思えば「アプレゲール」が実存主義を語り、全共闘が疎外論を語ったのも、自分探しのバリエーションだったのかもしれない。最近は哲学ネタもつきたので、社会学がお手軽な不安の理論武装になっているようだ。こうした意匠は時代とともに変わるもので、経済成長で解決するわけではない。雨宮的なアジテーションは、『しがみつかない生き方』みたいな人生論と大差ないのだろう。本書がこの点を指摘したのはおもしろいが、中身は二次資料の切り貼りで読む価値はない。
グルジアのグルジア人優遇政策に対し、いつでも逃げられるように、南オセチア州のオセチア人は、ロシアのパスポートを入手していた。ロシアのパスポートを持っているということは、ロシアの国民であるという事になる。南オセチアは、二重国籍者の自治州となっていたわけで、ロシアはロシア国民を守る義務があるし、グルジアはグルジア国民を守る義務があるというわけで、二重国籍者達を、両方の国家が守ろうとして、戦争になってしまった。
最初に砲火を開いたのはグルジア軍であり、ロシア軍の反撃は、当然となる。
この騒動の原因は、グルジア側にある。グルジアのグルジア人優遇政策によって、オセチア人が冷遇された事から始まっている。正式に国籍を持ち、国民である以上、平等に扱わなければならなかったのに、それが出来なかったという点で、グルジアの人々には、近代国家の資格が無い。どこかの強国に支配してもらった方が良いだろう。
南オセチアの人々がロシアのパスポートを入手し、二重国籍者になってしまった事も、問題をややこしくしている。
日本でも、外国人参政権とか、多重国籍の容認とか主張している政党があるが、多重国籍者というのは、どっちつかずの蝙蝠みたいなモノで、どちらの社会にも、溶け込む気が無いということになる。
国家を否定し、市民だけで社会を運用すればうまくいくという考え方は、Anarchism(無政府主義)の主張である。軍隊を無くせば戦争が無くなるというのであれば、警察を無くせば犯罪が無くなり、消防署を無くせば火事が無くなり、医者を無くせば病気が無くなるのであろうか。
過去のAnarchist達は、既存の組織を破壊し、社会が上手く回らなくなったところで、今度は自分達が組織を形成して、社会の中枢を握り、独占するという行動を取っていた。要するに、アナーキズムの実体は、既得権益層を追い出して自分達がそれに成り上がりたいという運動でしかない。
社会における運動というのは、基本的に、利益を追求する為の運動であるが、全体の利益を追求せずに、個々の利益を追い求める人ばかりになると、社会は低迷を始める。その低迷の中で利益を確保しようとし、出身民族優遇のような個別の利益を求めると、オセチア動乱のように外患誘致にまで至るのである。
移民や外国人労働者という内乱要因を、わざわざ導入したがるのは、それが正しい事だと信じているのであろうか。だとしたら、死ななきゃ治らない病気にかかっていると診断せざるを得ない。
はてブ経由で胸くそ悪い記事を読んだのでクソみたいな理想論だが書く。
「国」や「ルール」っていうものが無前提に存在してるわけじゃない。一人一人が参加して国やルールを一緒に作っていくわけだ。
大体頭禿げ上がるほど苦労して働いた金なのに税の使い道が気にならないのか。
この記事では結局最後まで自分は蚊帳の外でしかないじゃないか。
例えばこのような例↓
この筆者自身、自分は州の予算の事はよく分かってないし、他の住民もそうではないだろうか、と仰ってるし、アメリカの人達が全員こうだというわけではないだろうが、少なくとも自治の精神から税金の事を考えているのがうかがえる。
西原理恵子のようなアナーキズムに迫るのはまずそこを通過してからでも遅くない。
ずっとずっと前(30~40年前とか)は、オタクは左翼的だったんじゃない。アングラとか、アナーキズムとか。
選択して右翼的なわけではなく、時代の精神にまきこまれているだけでしょ。当人たちは自己選択しているつもりかもしれないけど。
「俺は事情通だぜ」ってほくそえむことのできるような裏情報の性格が変わって、
以前は左翼的な情報だったけど、今は右翼的・国粋主義的な情報だ、ってことでしょ。
それを無自覚に享受しているだけ。いきがってさ。
あとさ、ネット上のオタクの「ウヨク」って、国家に忠誠を尽くす、って気持ちはそもそもないでしょう?
自分が高い位置にいると思い込みたいがために、近隣諸国を貶めたり、強者を誹謗したり、弱者を叩いているだけであって。
そういう人たちの多くには、右翼・左翼という概念自体がそもそも通用しないんじゃないかな。
そこまでたどり着いていないというかね。
http://anond.hatelabo.jp/20080208214501の増田です。
日本映画は60年代が面白かった。ロックは60年代が面白かった。歌謡曲は70年代が面白かった。プロ野球は王長嶋時代が面白かった。漫画はジャンプ黄金期が面白かった。ゲームはファミコンやスーパーファミコンが面白かった。
これは自分はちょっと違うと思ってて(そういう見方もあるのは判るけど、そればかりとも思っていないというか)、
それらのその時期ってのはいわゆる開拓期だと思うのね。まだまだ誰も踏み入れてない世界がだだっ広く用意されていて、そこをキャッホーイって感じでガンガン拡げていける時代。
業界としても熱い時期だし、目新しい分世間にも注目されるし、それによって質の高いものも供給されるし、確かに黄金期でもあると思う。
でも、その後に待っている円熟期だったり、そこで生まれるある種のアナーキズムというか、偉大な先人達が一通りやり尽くした後に、それをどうひっくり返して遊んでやるかって世界も自分は好きなのよね。
もう普通に開拓するのは無理だから、世界全体をメタに捉えてやる感じというか。
だから、あんまり何かの話題になったときに、所謂その辺の黄金期を絶対として今の○○はつまんない、あの頃の△△が最高だったんだ、的な事を言う人が自分は好きじゃない。
今でもその世界で必死に頑張ってる人たちも居るのに、それを知ろうともしないで昔の綺麗な思い出だけであんまり簡単に否定してくれるなよ、というか。
まあ多分、自分がそういう風に思うのは、自分が物心ついたときには既に色んなものが一周していた世代だからなんだろうなとは思うんですけど。