はてなキーワード: ネカフェとは
無口なので小学校では1年間くらいイジメをうけていた。成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲームの攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャットを荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生がネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。遊戯王とかパワプロのホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。
今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。
学区内で2番目の高校に入った。進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。
高校最大のミスは数ヶ月で部活(運動部)の幽霊部員になったことだ。中学の卓球部でだらだらしてた俺にとっては練習がおそろしくきつかった。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。
塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部と早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌の編集者になるつもりだったのだ。しかし数学と理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。
梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFCと早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。
2年生のクラスではついにまったくのハブになった。学校祭とか体育祭が本当につらかった。昼休みはトイレにこもって2chしてた。家に帰ってネットしたり漫画読んだりする日々。俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。
塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。得意科目の偏差値もやばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。英語と現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネットや漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。
3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。夏休みは全く勉強せず。図書館に行くふりしてネカフェでまったりしてることも。家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。親には偏差値50くらいの中堅私立大も受けとけと言われた。
明治に落ちて。
入試本番。早大入試の前日に秋葉原で漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。試験が終わった後は浪人を頼み込もうと思っていた。母親は浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人はダメだと言った。国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。
早稲田。落ちた。
中堅私立しか受からなかった。
そして高校卒業。
友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。
上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。
小学生の頃から何かひとつの技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。
俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。
受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。学歴コンプレックスこじらせてるな。やっぱりネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。
なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。
やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。
役に立つスキル磨いていこう。
なかのいい友達を作ろう。
熱い恋をしよう。
大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。
ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。
俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。
成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。
小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲームの攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャットを荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生がネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。
遊戯王とかパワプロのホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。
今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。
卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。
塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。
ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。
塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。
学区内で2番目の高校に入った。
進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。
仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。
高校最大のミスは数ヶ月で部活(運動部)の幽霊部員になったことだ。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。
塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部と早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌の編集者になるつもりだったのだ。しかし数学と理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。
梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFCと早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。
俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。
塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。
得意科目の偏差値もやばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。
英語と現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。
勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネットや漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。
大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。
3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。
家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。
冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。
歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。
明治には落ちてた。
入試本番。早大入試の前日に秋葉原で漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。
母親は浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人はダメだと言った。
国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。
早稲田。落ちた。
中堅私立しか受からなかった。
そして高校卒業。
友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。
上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。
小学生の頃から何かひとつの技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。
俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。
受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。
なんだかんだあってネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。
なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。
やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。
役に立つスキル磨いていこう。
なかのいい友達を作ろう。
熱い恋をしよう。
大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。
ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。
俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。
ttp://ayacnews2nd.com/archives/51498552.html
722:2010/03/02(火) 19:18:14 ID:XeK+08v10[sage]
F5してた少年は、きっと反日とか教えられて、純粋にアタック掛けてたんだろうな。
「やった!」
「鬼畜が墜ちた!」なんて肩を叩き合って喜んだんだ。
でもシャワールームのすりガラスの前には、F5アタック明けの少年が行列してた。
その最前列には……。
「先輩! どうしてここに?」
なんでだろう……、すごく、どきどきする。
一緒に出場した、ソウルの大会のことなんか思い出してる。体温が急に上がったみたいだ。
先輩は2年前と同じように、ニコっと笑うと、手招きで僕を呼んだ。
「せん…、ぱい…」
「シャワーの順番待ち、面倒だろ? 一緒に入るか」
先輩は、僕のことなど気にしていないように、真っ白なTシャツを脱いだ。
先輩の筋肉を見ていることを、僕は知られたくなくて、
何でもない振りをしてシャワールームに入った。
「洗ってやるよ」
僕はもう、僕の反応を先輩に知られたくない、それだけしか考えられなかったのに。
「怖がるなよ。陸軍じゃこんなこと、毎日だった…
などと妄想していたので、1日楽しく過ごせました。
組織的なアタック…。上には逆らえなくて、涙をこらえてネカフェでアタックですね。命令ですね。
たまらn
恋愛の方向性についてお前らに質問していいですか。
最近不調、というかフラれ続きです。
知り合う(メアド交換)
→二人で遊ぶ前にメール続ける(間隔は一日5通とか、6行くらい~でそこそこ長文)
→二人で遊ぶ→(場合によってはまたメール)
→もう1回ないしは2回遊ぶ
→告白
知り合う(メアド交換)
→3,4通メールをしたらその日の夜or次の日くらいに、「飲もうぜ!」みたいな提案、承諾されたら「おやすみ!」ってメール切る
→好意を出す。もしくは告る。(告白しなかったら次遊ぶときには告白する)もしくは場合によってはカラオケかネカフェでギラつく。
最近の不調はこれが原因か?って思ったりもする。
元増田です。
>その日仕事を休むとネカフェに泊まる金すら無いからハロワ行ってる余裕が無い人も居るわな。
そうそう。
こういう人たちのことです。
ハロワに行ける人はまだ余裕がある階層の人たちで、派遣切りのあとが長期化して日銭稼がないとネットカフェ難民階層にとどまれなくてホームレス階層になっちまうという人はハロワどころじゃないだろうと。
そういう意味ではホームページに電話番号を載せたところで助かるのは「派遣切り+ネカフェ難民」までで、さらに深刻な「派遣切り+ホームレス」の人たちは切り捨ててるわけで。
こうなると、「仕事がなければハロワに行けばいいのに」という当たり前のことが、「パンがなければケーキを食べればいいのに」と同じくらい上から目線に見えるから不思議。
どうしようどうしよう、年を越せるかななんて不安な気持ちでいっぱいなのに、ネットカフェで増田を見ていて、えっと思った。
人材派遣とか、雇用とか、不況とか、解雇とか、そういうワードには、前からびくびくしていて、目にするたびにそういうエントリーを見ていたわけ。それで、腐った経営者のやつらとか、なんとかなんねえかな、なんで俺らみたいなのばかりこんなつらい重い、苦労、そんなのしなけりゃならないのかな、って思ってた。
でも、金はどんどん金がないっていうことが気分を暗くするし、実家に帰っても親がイライラしてるし、やだな、とか、もう、何年も、そんなことばっかり思ってたけど、でも、そういうとき、はてなの中でも、そういう社会問題を議論している人たちがいて、ああ、この人たちは、俺たちが抱えている問題について、真剣に、考えてくれているんだなあって思ってた。そう思うと、ちょっと救われるというか、俺はひとりぼっちじゃないんだな。そう思えたようなこともあったのよ。
でもそれ、錯覚だった。裏切られたよ。俺は。前から、派遣のことについて詳しくって、俺たち労働者の側に立った書き方をしてくれていると思っていたブロガーがm、実は、当の本人が、派遣会社の経営者の側だったのよ。増田を見てそれを知らされて、驚いたよ。
http://anond.hatelabo.jp/20091120233915
この投稿を見たら、2ちゃんのスレがリンクがあって、書かれていることを見たら、なんと、自分が派遣会社を経営していて、しかも、従業員を不当解雇していて、名古屋管理職ユニオンが団交して交渉したら折れた、みたいな記事があるじゃん。どういうことさ。
それで、そいつの会社について調べてたら、もっとひどいことが書かれて田。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/venture/1255528242
会社を計画倒産させて、横領して、逃げて、それで管財人が代わりの社長になったっていうはなし。そう書かれてた。これがほんとだとしたら、そのブロガーが書いていたことが、きれいごとがどうこうとかじゃなくって、自分がやっていたことの真逆なわけ。自分はぬくぬくと社長の椅子に座っていたわけ。それで、俺たちに働かせて、金を搾取していたのよ。うそだろ、これ!って思って、当の本人は、ブログとブックマークをプライベートモードにして逃げちゃった。あ、やっぱりほんとなんだって思った。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/
http://b.hatena.ne.jp/buyobuyo/
どういうことだよ、buyobuyo!!お前、おかしいじゃねえか!お前、どれだけ口が悪くっても、この人は、わかっているんだ、俺たちの味方なんだって思ってたのにさ。お前、ぜんぜん言ってたこととやってたことが違うじゃねえか。名に考えてんだよ。お前を信用した俺が馬鹿だったよ。
俺たちの味方のような顔をして、やれ法律に自分は詳しいとか、日本のひどい経営者を退場させろとか書いておいて、どういうことなんだよ!!!!!
http://anond.hatelabo.jp/20091121132340
http://anond.hatelabo.jp/20091121165113
東大出ているような立派な人でも、世間の勝ち組の側に立つ人ばかりじゃないんだな、と思っていたけど、嘘じゃねえか!お前ら、俺たちがひいひい言って働いて、疲れ切手0、たまにネカフェでさ、俺たちの苦労をわかってくれるようなことを書いていてくれる、それを読んで、うれしかったけど、それは嘘だったんだな。低学歴どもが、馬鹿が、喜んでいる、だまされて喜んでる、そう思って、ほくそ笑んで、ニヤニヤして、それで書いていたんだろ。すげえひどい趣味だな、それ。
なんか心が折れたよ。こいつのことでは、もう、すげえショック。
元増田です。
弟に再度アトピー解決スレのコピーを渡したのですが、読んでもらえず家を先ほど出て行きました。(多分ネカフェ)
で、メールで「お前といるとストレス溜まるんだよ」と言われ、思わず泣いちゃった次第です(苦笑)
あなたが親に進言してあげることは?
食べ物がよくないかもよ、という話をして工場の環境がうんぬん・・・と言う返事でした。
もう一度言ってみたいと思います。
あと、本人が辛く思ってないならいいんじゃないかと。
危機感がないのかもしれないが、学生時代に傷ついてきたことも考えられる。
思ってはいると思うんですが(自発的に医者に行くので)
まして私は姉根性で口うるさく言ってしまう性質なので余計に^^;
怒りすら覚えてしまう。
ちょっと嬉しかったです。私もです。
なんだか、自分が過干渉しすぎなのかなと思うようになりました。
親に言うだけで、もう本人には言わないようにしたいと思います・・・・が、辛いなあ・・・(´・ω・`)
あ、あとブクマしてくださってる方のコメントの答えですが、「いいよ」と言われたらもうその件について触れないようにしたいと思ってました。
この日は7時に起きる。
7時20分に茶の間についたら、おばさんに「早いね」といわれる。
朝ごはんを頂く。
新宿までの電車はめちゃくちゃ込んでた。でも、ラッシュはもっとすごいらしい。
10時前に下北沢に到着。ハイラインレコーズに行こうと思ってたんだけど
その日の朝に調べたら、去年に閉店してたのを知り
ふとTLに下北沢にジェットセットがあるらしいのでそこに行くことを決めた。
でも、その前に適当に駅周辺をぶらつく。ゲーセンでギタフリやる。
あとは、中古屋で漫画見たり雑誌のバックナンバー見たり、スコア見たりした。
それにしてもスタジオボイスのバックナンバーっていろんなところで見かけるなぁ・・・
しばらくしてからジェットセットに向かうものの場所がさっぱり分からなかった。
いったん近くのネカフェで調べるものの肝心の所のストリートビューが無くてしょんぼり。
そしたら、知り合いがご飯でもどうですかーってリプライ飛ばしてくださったのでお会いすることに。
駅で待ち合わせして近くのお店でご飯を食べる。
その後、もう一人自分に会いたいという人が居たので合流。
そして、ジェットセットを探すものの見つからなかったので他の中古屋を見る。
100円のワゴンを見てから、解散。
戻ってきてから近くのファミレスに行く。
親に電話する。
資格とか取りたい言ったら、資格の要らない会社に就職しなさいといわれる。
若干、凹む。
戻ってきたのが17時半くらい。
晩御飯を頂いたのが19時半。
あと、知り合いと電話した。
本音で言ったらぶん殴られるなぁ・・・
どうしてそこまで応援してくれるんだろう・・・
帰宅後、おばさんと話をする。
やっぱ、生きてく上で対人スキルは必要だよなって話をした。
自分はそんなに人付き合いが得意なタイプではないので直したいと思ってる。
だから、口のうまいトラック乗りの父についてけばいいとおばさんに言われた。
正直、父の仕事を継ぐのもありかな・・・と考えているが
両親はあまり乗り気で無い。教えれるのがめんどくさいとか。
とりあえず、いったん田舎に帰ってから両親と話をする。
■編集元:生活全般板より
768 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:29:44 ID:Sz0CHrYx
夜中にこっそり長文を貼ります。怒らないで。
父は弱い人だったのだと思う。
苦しむ母親から目をそらして、他に恋人を作って、母親が亡くなると家を出ていった。
受験も追い込みに入る3年生の秋、わたしはこうして独り暮らしを始めることになった。
わたしの通っていた高校は進学校で、ほぼ100%の生徒が大学を目指していた。
生活費は送ってもらえなかった。
どこを探しても家にはお金がなかった。
父の新しい相手は他人の奥さんだった。きっと慰謝料のために何もかも持っていったのだろう。
769 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:30:38 ID:Sz0CHrYx
わたしは母の死から立ち直れていなかった。
バイトと奨学金で自力で進学することすら思いつかない世間知らずの甘えた娘だった。
「お金を送って」と父に連絡すらしなかった。父を憎みすぎて声を聞きたくなかったから。
目先のお金がなかった。
お小遣いをかせぐバイトはあんなに楽しかったのに。
食べるものがなくて追い詰められてするバイトは苦しいだけだった。
心配してくれる友人はいた。大人の人も。
父の噂がひろがり、わたしは恥ずかしさと情けなさで、周囲の人から距離をおいた。
年が明けて、TVでセンター試験の話題が出始めたころ、心が折れた。
バイトに追われてはいたが、惰性で勉強は続けていた。それをやめた。
昔は仲良しの家族が住んでいた、もう誰もいない賃貸マンションから逃げた。
3年生の登校日はもうほとんどない。
誰も心配もしないし探そうともしないはず。
770 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:31:39 ID:Sz0CHrYx
遠い場所まで逃げた。冬の家出はつらい。
考え事をしたいだけなのに、寒くて外にはいられない。
怪しまれないようにネカフェを転々として、お金はどんどん減っていった。
最悪の決心をした。援助交際をしよう。処女を売ろう。体を売ろう。
街に立って親切そうな人にこちらから声をかけることにした。
良さそうな人はなかなか見つからない。
ようやく優しそうな30代くらいの人に目をつけた。
声をかける前に目が合った。
「何か?」
「あの・・・」
練習したはずなのに、わたしと遊びませんか、とは言えなかった。
その人は察したらしかった。
じろじろと見られた。警察の人かも知れないと思っておびえた。
「家出?」 頷くわたし。
「お金がない?」 また頷く。
「泊まるあては?」 首を横に振る。
男の人は少し考え込んだ。そして「一緒においで」といった。
立派なマンションに着いて、少し驚いた。
エレベーターで上がり、男の人は「ただいま」といってドアを開け
わたしに「上がって」といった。
「おかえり」と若くて綺麗な女の人が出てきたときは死ぬほど驚いた。
「あら、こちらは?」
「俺もよく知らん。家出してきて困ってるらしい」
「ええ? あら、それは、えっと、あ、とにかく上がってね」
奥さんらしかった。すごく驚いて慌てていた。
771 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:32:28 ID:Sz0CHrYx
先にお風呂をすすめられた。
わたしがお風呂から出ると、奥さんはすっかり落ち着いていて
「大変だったね。すぐご飯にするから」と笑いかけてきた。
こんな展開になるとは思わなかった。どっと安心した。
事情はきかれなかった。
でも黙っていたら怪しまれるし、間が持たない。
時々、質問された。2人とも真剣にきいてくれた。
奥さんは口に手をあてて「つらいわね」と涙声でいってくれた。
旦那さんも「つらいな、それ」といって黙ってしまった。
わたしは思わず泣き出してしまい、ご夫婦はわたしが泣き止むまで
長いこと待っていてくれた。
それから覚悟を決めて、旦那さんに援助交際を持ちかけようとしたことを謝った。
信じてもらえる自信はなかったけど、今回が初めてだと必死に強調した。
怖かった、もう二度としないと言った。
奥さんは「ああ、そういうことか」と旦那さんの方をちらっと見て笑った。
「成功してたら旦那とあなたをグーで殴るとこだった」
「もうこんなこと考えるのもだめ」
優しく言われた。怒られはしなかった。
「ごめんなさい」と繰り返して、また泣いた。
772 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:33:24 ID:Sz0CHrYx
旦那さんは30歳、奥さんは24歳。新婚さんだった。
「落ち着くまで泊まっていくといい」
お言葉に甘えることになった。
「そうですか、よろしくっていわれたよ。冷たいもんだな」
旦那さんは苦笑いしてた。騒ぎになってなくてよかった。
「のんびりしててね」
何日かはそうした。
いつまでも何もしないでいると申し訳ない。
奥さんの家事を手伝わせてもらうことにした。
奥さんは優しくて明るくて、急に姉ができたような気がした。
2人並んで旦那さんに「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を言うようになった。
ご夫婦に相談に乗ってもらって、今後のことを話した。
「地元が嫌ならこっちで職探ししたら? こうなったら最後まで協力するよ」
お寺に行って母のお墓の供養のことを頼んだ。
卒業式の後、安い菓子折りを持って、近所や学校の先生や友人宅に挨拶回りした。
父には「○○で働きます。引っ越すので後始末よろしく」とだけ連絡した。
みんな旦那さんのアドバイスに従ったこと。
「それでいい。けじめは大事だよ」と旦那さんに言われた。
773 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:34:16 ID:Sz0CHrYx
「いまさら」と腹が立った。
「無視されるよりましだと考えたら」と慰められた。
アルバイトはすぐ見つかった。
最初は疲れてしまって、食事はご夫婦のお世話にばかりなっていた。
奥さんが何かと物をもってきてくれた。
2週間くらいで体が慣れて自活できるようになった。
今はある会社で経理事務をやっている。
「娘が独立したみたいだ」と旦那さんは笑った。
「妹でしょ」と奥さんも笑った。
「俺が12歳のときにできた娘」と旦那さんがいった。
年齢でいえばそうなる。
まだ先は長いけど。
774 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:35:09 ID:Sz0CHrYx
どうしてこんなに親切にしてくれたのか聞いたことがある。
「誰でも助けるかというとそうじゃないが。でも放っとけない」
ご夫婦のこともいろいろときいた。
わたしほどじゃないけど、お2人ともあまり良い家庭環境ではなかったこと。
それで意気投合して温かい家庭を作ろうと、奥さんが卒業してすぐに結婚したこと。
「そうは見えません。奥さんはずっと幸せに育ったお嬢様みたい」というと
「あら嬉しいことを」と奥さんは笑った。
「俺のおかげだな」と旦那さんがいった。
「でもね、きみには悪いけど、俺たち、きみ以上にきみのお父さんを
嫌いかもしれないよ」と言われた。
「子供捨てるような親はね、大嫌いなんだ」と旦那さんがいった。
奥さんが頷いて、わたしの方を見て「ごめんね」といった。
775 おさかなくわえた名無しさん :2009/07/14(火) 01:36:11 ID:Sz0CHrYx
仲良しのご夫婦を見るのが好きだから。
自分の両親も昔はこうだったと思うとつらくなる。
でも、このお2人のおかげで将来は自分も温かい家庭を持ちたいと思うことができる。
わたしには母がいた。亡くなってしまったけど優しかった母。
優しかった父はどこかに消えてしまった。
かわりに6歳年上のお姉さんができた。
12歳年上のお父さんもできた。
以上です。
金曜土曜とまずかった。
土曜、昼の受付終了ギリギリに低血糖とか自律神経失調症とか疑って内科に。
鬱疑いで神経科を薦められる。
なんか土曜午後でもやってる神経科にアポとってもらえるも、動けずまた来週の土曜に行くことにしてもらった。
そのまま0時くらいまで寝たり起きたり。
起きるっていっても布団の中でケイタイいじったりだけど。
そのあと3時くらいまで起きて、布団の中でケイタイいじったり牛乳飲んだり、日曜の15時くらいまで寝て、3日ぶりくらいに風呂と歯磨きして、家を出て、ネカフェに入ったらこの時間までグダグダで、ああやばい、帰って寝なきゃ。
誰一人、相談できる人間はいない。
俺には、そんな資格もない。
鬱モードを鬱陶しいと思って適当にあしらっていたこと反省した。
それ以後、人の悩みはまじめに聞くように努力したつもりではいた。
でも、やっぱり、自分のことの一割も相手のことを思ってなかったと思う。
こんな俺が、他人に気遣われる資格なんてない。
がんばって回復するから、増田で吐き出すことだけ許してください。
あまり歓迎されていないGoogle Search Wikiだけど意外にも便利なことに気がついた。
個人的にはブックマークはこの機能で十分かもしれない。
よくあると思われる勘違いとして、「そんなに同じ単語で何度も検索しない。」
という意見があると思うけどどうやら同じ単語じゃなくても有効になるようだ。
Search Wikiの上矢印をクリックして、白ごはん.comを最上位においておくと
次にたとえば「和食」で検索しても白ごはん.comが最上位に出るようになる。
賛否あるかも知れないけれどなかなか便利だと思う。
がんがん登録していけば最終的にはどんな単語で検索しても
いくつかはお気に入りサイトが推薦されるようになるんじゃないかな。
もう一つは検索結果の追加機能。
これは、全く関係のない結果を追加できる所が面白い。
たとえばインドに旅行する前に現地で使うかもしれないAjax IMEを
「india」の検索結果に登録しておく事ができる。
同様にインドで使いたい他のサイトも「india」と関連づけておけば
現地のネカフェでGoogleにログインして「india」で検索するだけで
利用したいサイトの一覧が手に入る。
実際の検索では「india」一語で検索する事なんてないだろうから邪魔にもならないはず。
まぁソーシャルブックマークでタグつけといても一緒なんだけどね。
24歳女。
学費を払えず卒業、家賃も光熱費も払えずネカフェ難民生活をここ1年ずっと続けている。。
両親はいない。
父親は離別、母親はいるが再婚しており新しい父親と同居が耐えられないので家には戻れない。
派遣社員はしていたが期限切れ。
アルバイトを始めたがすずめの涙。
仕送りも若干してもらっているが都内で家を借りられるほどの余裕はないので今こんな状態。
派遣をしてた時は会社に宿泊していたが毎日続くとさすがに不審がられた。
今のバイト先で泊めてもらえることも多いがそう毎日は無理。
ネカフェは時間制なので、ファミレスで朝まで寝たりすることも多い。