ちょっと自分語りと抗精神病薬を飲んで価値観が変わった話をさせてくれ。
たとえば夏休みの課題。締め切りを超えても出したらまだマシで、出さないことすら多々あった。
小中高とずっとそうで、その度に惨めな思いをしてきた。でも変われないままだった。そうして大学も留年の末中退した。
それから20代のうちは、人並みに働けていたように思う。
いま思えばあの頃は人生で最も「人並み」に生きていた、奇跡的な期間だった。
アラサーになって欠勤が目立ちはじめたものの、ギリギリなんとかなっていた。
いま30代半ばになって、成果物を期限までに出せない状況が、いよいよ看過できなくなってきた。
アリピプラゾールという薬を処方してもらい、1〜2mg飲むように言われた。
このときの変化を言葉にするならば「じっとしていられなくなる、体を動かすのが苦じゃなくなる」かな。
アカシジアというのだろうか、じっとしていらなくなることを不快に感じることもあったが、耐えられないほどではなかった。
それが関係してなのか、スマホで時間を潰すことを続けらなくなった。これはやめたかったので実に嬉しかった。
また体を動かすのが苦じゃなくなったことにより、隙間時間に筋トレを始められすらした。総じてみると体験は悪くなかったのだ。
だが服用を数週間続けてみて、得られる効果が減ってきたように感じた。
それを診察で伝えた結果、量を増やして6mgのものに切り替えることになった。
しばらく服薬すると、無価値観と自己否定感を、強く自覚するようになった。
成果物を期限に出せない人間の価値は低い。気力と時間を投下して複雑なものを理解して、成果物を出す人間の価値は高い。
価値が高い人間になろうと奮起するには、いまの自分には何かが決定的に欠けていた。
以前はたいした根拠もなく、自分はできるんだとかやれるんだとか思っていたが、そういう自分を信じる気持ちが一切なくなってしまった。
むしろ間違えたら迷惑かけたらどうしようとばかり考えてしまい、余計な憂慮ばかりが増え、手の動かす速度が鈍くなっていく。
そうしていくと希死念慮が急速に自分の中で育っていく。むしろこれまでが鈍感すぎたのかもしれない。
大学生にもなったのに人並みに振る舞えず留年や中退した時点で、自分を見限るに足る要素は揃っていたように思う。
提出物を出さず、惨めな思いを幾度となくしてきたのに、自分を変えることができずずっといままでヘラヘラしていたのだ。
服薬によってヘラヘラ誤魔化していた部分が暴かれて、いままでずっと変わらず無価値な人間なままだったという事実を再認識したのだ。
仕事も趣味も人並みにできず、このあと何十年と続く人生迷惑かけてばかりならば、いっそいま自死したほうが良くないかという考えが拭えない。
服薬して感じたこの無価値観と自己否定感と希死念慮は、いままで体験してきたものとは異なる類のものだった。
仮に自分の人生が今後好転したとしても、良くも悪くも忘れることができない感覚となる気がする。
すべきことを「なんとなく」したくなくて、できない
しゃぶれよ
よく分からんが薬合ってないのでは 先生に相談するといいよ