「面白さ」に対する考えに性差があるとか世の中の男さんはもっと工夫してくれとか言ってるが別に男女の性質の違いでは無い気がする。
会話で事実を述べるだけの人と、会話に見せかけて自分が接待を受けたいタイプ(女に多い)の相性が悪いってだけじゃないか?
こちらの望むコミュニケーションをして欲しい、と言うのは確かに女に多いかもれないが(いわゆる“察して”)、これって自分の話を聞いてくれる可愛い女を求めてコンカフェ?ガルバ?とか行く男も心理は近いと思う。性差ではなく割と多くの人が持っている欲か何か。
映画の話をしようとか政治の話はしないでとか、特定のテーマを話して欲しい/して欲しくないと言う内容の指定はまだ分かるが、その時の自分の感情を交えて欲しいみたいな「話し方の注文」をしているのは意味が分からない。
まず全ての会話は広げるべきという発想が私には理解できないのだが、もしそう思うのならそれを望んでいる側が話を掘り下げる工夫をすれば良い。
「○○を食べた」と言われて雰囲気や料理の特徴が知りたいのなら「どんなお店だった?」「何が一番美味しかった?」と返せばいいし、そうすればお望みの広がりのある会話になると思う。
私自身事実しか話せないタイプなので、似たような人と話していて流石に一言二言で終わらせてはいけなそうな時はこういう風に広げている。
あいつは話が“おもんない”みたいなことを言う友人が居るが何をそんなに他人に期待しているのだろう、と思う。会話ってパフォーマンスじゃなくて、もっと自然発生的なコミュニケーションなのでそれに質を求めるくらいなら他の人にすれば?
別に、共通の趣味とかコミュニティとかこの人のこういう所は尊敬できるとかそういったものがあれば別に良くないか?
これは最初に書くべきだったのかも知れないが、私は自閉傾向があり(知的障害や境界知能を伴わないASD)そもそも他人との会話やコミュニケーションの質にあまり興味が無い。
割と普通の人々は話が“おもんない”(=自分の望む感情や話題の共有ではない場合)ことをストレスとして捉えるようだが、私は殆ど気にならない。
あの時話が広がらなかった、というのを後から思い出して気に病むことがまずない。
コミュニケーションの質に興味が無い時点で私の方に問題があるような気もするが、普通の人々も何気ない会話をもっと何気ないものとして捉えるか会話の相性が良い人とだけ親密になればいいだけだと思う。