母親とずっと反りが合わなかった。
母親は田舎のちょっとした良家で長女として生まれ、地元では3,4番手の県立高校から短大を経て、公務員になったらしい。
経歴からも察するに、ずっと”正しい”とされるルートを歩んできた人だったのだろう。
それは本人が望んでそのような道を選んできたのか、はたまた親の矯正ゆえだったのかは分からない。
母親は(おそらく)25,6で結婚して、約3年スパンで3人の子供を産んだ。僕は1人目の男、長男だった。
父親がろくでもない人間だったので、世帯年収は低かったのだろう。共働きだったが、困窮はしないものの裕福とは程遠い生活レベルだった。
夫婦(自分から見た両親)の関係性が終わっていたこともあり(後に離婚)、家族で過ごした思い出がまったくない。
一方で自分は、30も間近というのに貯金ほぼゼロの独身根無し草生活だ。
こんなふうに真逆の生き方となったことからも分かるように、母親と自分は根本的なスタンスが異なっていた。
物心ついたころから、母親が自分に押し付けてくる世間一般的な正しさが苦しかった。
世の中にはもっと絶望的な家庭が存在することは分かったうえで、当時の自分には母親とコミュニケーションしなくてはいけない実家は地獄だった。
今となれば、母親は子どもたちを育てるために懸命に働いてくれていたんだろうと分かる。
母親が自分の趣味にお金を使っているところを見た覚えがないし、友人と遊んだり連絡を取ったりしている様子もなかった気がする。
そうやって自分の人生を捨て、母親としての人生を選択し全うしたのに、息子と没交渉になっている現状。
自分が親になるような年齢になり、その過程で同僚や友人を観測していくなかで、親になることは自分の人生がゼロになるわけじゃないことが分かってきた。