例えば妻が疲れて帰ってきた時にぶつくさ文句を言いながらも食事の支度をしようとしたとする。
「あーしんどい」と不機嫌な様子を隠さずイライラ、これでは美味いメシも不味くなる。
これに対し夫が問題意識を持って以下の改善提案を実行しようとしたとする。
・出前をとる
・夫(自分)が作る
・出前をとる→作るって言ったのに!お金がもったいない!=否定
仮にこれらの行動が客観的には正解だったとしても妻の主観で不正解となる。
機嫌と疲れ次第で正解になる時もあるが、夫は常に無意味な緊張と負担を強いられるし、その時の正解が次回も正解とは限らない。
要するに夫が良かれと思って出した代替案でも
・出前や外食→お金がかかる、濃い味付けが好みでは無い、(自炊すれば安くすむので)勿体無く思う
・夫が作る→自分の役割を取られた様な気持ち、夫の手際が信用ならない、マウントを取られた様な被害者気分
というデメリットがある。
普通の人間はデメリットとメリットを考慮して選択するのだが、残念な事に女性は行動に対する結果の責任を負いたくない類の人間が多く
にも関わらず選択の主導権を握れない事に不満を覚える性質があるので、選択をしなければいけない状況そのものに怒りを覚え
かと言ってその怒りを表面するのを恥だとも思っているので、夫に対し八つ当たりをしているだけなのだ。
この手のダブルバインドに嫌気がさした結果
・何もしない
という選択肢を取る事になる。
「何かをしても不機嫌になりフキハラされる」理不尽と比較すれば
「何もしていないので不機嫌になるのは当たり前」というある種の諦めと相手に怒らせる非を敢えて与えてやる、消極的な逃避がもっとも負担の少ない「正解」となる。
結果、「何もしない夫」が量産されるのである。
ネットでは「何もしない夫」に対し不平不満を日々愚痴ったり怒りを表明している女性が多いが
パートナーに対し不満も改善提案もロクにせず世間に向かって「自分が選んだパートナー」の悪口を吐き捨てている時点で
不平不満がどこまで真実かすら分からないし、実際は夫が妥協と諦めの果てに「何もしない」選択肢を取ったに過ぎない、というケースが多いだろう。
想像上の妻への愚痴かな