あのね、ニートの原因は「甘え」です。
そう、「甘え」なんです。甘えですよ、甘え。
ニートは「甘い」んです。将来のことを考えれば我慢して働いた方が間違いなくいいでしょう。
こんなのは小学生でもわかります。働けないほどの精神疾患を抱えている人ならまだしも、
それ以外の人はニートにならず働いた方がいいです。当たり前ですね。お金はあるにこしたことはないですから。
それでは、なぜニートは働けないのか?それはニートは労働に致命的なほど向いていないからです。
労働というのは、楽しい部分もありますが、それ以外の部分もたくさんありますよね。
苦しいところもたくさんありますし、投げ出したくなることもあります。
たとえ仕事の内容が自分に合っていたとしても、職場の人間関係が悪ければ
労働はひどく苦しい行為なのです。でもそうであるのなら、なぜニート以外の人達は労働を
こなすことができているのでしょうか?
一般人が労働をこなせる原因として考えられるものの一つは、高い楽観視能力です。
もっといえば、ニートは自分自身に向ける「甘さ」の総量が足りないのです。
人間を最も効率的に動かすことのできる心理学的メソッドを知っていますか?
そう、皆さんご存知の「アメとムチ」です。一般人は自分自身に対してアメとムチを
ニートが自分自身に向ける態度は「アメとムチ」ではなく「ムチとムチ」です。
仕事で一定量の成果を達成できた際に、一般人は自分へのご褒美という名の
「アメ」を用意することができます。「今日も一日仕事を頑張ったのでお酒でも飲もう」だとか、
「今月は頑張ったから好きな物を一つだけ買おう」といった行動のことですね。
仕事で一定量の成果をできた際に、ニートは「もっとやらなくてはダメ」と考える傾向にあります。
これでは「アメとムチ」ではなく「ムチとムチ」ですよね。
「ムチとムチ」の姿勢で辛い労働をこなすことができるのでしょうか?
言う間でもないですよね。最初は続きますが、中長期的にはほぼほぼ失敗に終わります。
「ムチとムチ」で生きていけるほど人間はストイックな生き物ではないのです。
それでは、どうしてニートは自分自身に向けて「アメとムチ」を使いこなすことが不得意なのでしょうか?
それはニートが今まで受け取ってきた「甘さ」の総量が絶対的に足りないからです。
(無論、受け取ってきた「甘さ」が少なくてもニートにならずに済んだ人は除きます)
「甘さ」を愛と言い換えてもかまいません。ニートは人生において受け取ってきた愛の総量が絶対的に不足しているのです。
親から愛情を注がれなかったり、愛情を感じられないような育てられてきた人は愛の総量が不足しがちです。
また、たとえ親から愛情を注がれたとしても社会から受ける愛の量が圧倒的に少なければ、やはり愛の総量が足りないという状況に陥ってしまいます。
要するに、ニートには「甘さ」が足りないのです。
自分を愛せないものが他人を愛せるわけがない、これはよく聞く言葉ですよね。
ニートにもそれが当てはまります。ニートが労働という名の苦行をこなすことができず、
ニートという名の「甘え」を良しとしてしまうのは、親や社会から優しくされなかったからです。
ニートをニートたらしめたものの根源は、「社会」であったり「生育環境」です。
親ガチャや社会適合性ガチャで悪い結果を引いてしまったせいで、ニートはニートになってしまうのです。