「生活習慣病」が自己責任論と結びついてるのって、生活習慣は個人の努力『のみ』で変えられるという考え方に端を発するのであって、
アメリカとか、多分日本でも、低所得者ほど肥満や糖尿病は多いという統計が出ているし、そこからは生活習慣は個人の努力では変えられず
変えるためには労働時間の短縮や賃上げ、社会保障の充実による将来不安やストレスの軽減といった外部的な働きかけが必要である事は明らかなのに
「生活習慣は自己責任の問題じゃない」とは言わず、「生活習慣病は生まれつきの体質のせい、要は遺伝のせい」と言いたがる人が多いのは何故だろう?
はっきり言って「遺伝」を前面に出すのって、自己責任論以上に危険だと思うんだよね…
これは生活習慣病に限らずいわゆる「発達障害」なんかでもそうだけど、
生まれつきの体質であり遺伝子のせいならばもうどうしようもないのだから排除するしかない、という結論に繋がりやすい
糖尿病になりやすいかどうかは家系で決まる、すなわち遺伝子の問題としてしまうと
「発達障害は子供を産むな」「ブスは子供を産むな」と同様に、「糖尿病家系は子供を産むな」という、遺伝子に基づく個人への差別と排除で終わってしまうのではないかと思う
また、そういった遺伝的なリスクのある家系の者はあらかじめ就職させない、生命保険の加入を断る、などという対処も考えられるだろう
それは自己責任論以上に怖いよ
努力してどうにかなると思ってもらえるだけ、自己責任論の方がまだ優しいんだよ
まあ、遺伝子を分析してそれによって遺伝子治療を進めようとかいうならいいと思うけれど
私はいわゆる「生活習慣病」には遺伝的要因と環境的要因の両方があり、環境的要因も個人の努力でどうにか出来る部分は極めて少ないのだから自己責任論はやめるべきだ、
と考えているけれど
人間はアルゴリズムの塊でしかないので自己責任もなければ人権もない。 これが22世紀の常識になっていく。