最初に思ったのが、キャラがオーバーに表現されてるけどキャッチーで面白いというタイプの女芸人がいないこと。
一番しっくりくる例だとぺこぱの時を戻そうの人は明らかに「馬鹿にしてくれ」的キャラ付けなのに何故か自信満々というスタンスのギャップが面白い。で、ひな壇とかでもちゃんとそのキャラを一貫していて変にかっこよくみられたいという欲求がない。最近人気の粗品もダメ男感のあるイジられキャラ的親しみやすさで人気がある。
たぶんお笑いの本質の中に、観客から演者への見下しっていうのはあると思うんだよな。
常識の範疇で理解できないことを可笑しいと思うわけで、それをやりすぎて不快にならないラインをうまく模索している芸人が露出増えてるなと感じる。
逆に銀シャリみたいな漫才タイプは完全に理論で詰めてるから自虐的に売る必要はない。ただキャッチーさがなくなるから芸人としてのキャラは薄くなる。
同じく漫才やコントを詰めてて、でも自虐的なキャッチーさもあるサンドウィッチマンの方が伊達と富澤という人間の記憶が残りやすい。
表題の話に戻ってきて、女芸人でぺこぱっぽいキャラで思いつくのがアンゴラ村長だけど、あれは「笑いとして」自分を下げることがない。
「美人がなんか変なことをしている」というキャラで売っていて、自分が女芸人の中ではそれなりに美人であることを捨てていない。ひな壇とかバラエティを見てても笑いとして自分を下げる器用さがなかったのかなと感じる。
他にも女芸人でよくあるのが「男女ネタ」だと思う。女同士のいがみあいをネタにしたり、彼氏と彼女のすれ違いを表現したり。こ
これっていうのは結局あるあるネタを脚色しているだけであって、それを演じてる芸人本体にキャラがない。ちょっとお高いところから世の中をこういう風にみてるんですよーという評論家感が嫌味。
長くひな壇とかバラエティに出て来れた女芸人ってやっぱり安心してイジれるキャラがある気がする。
大久保さんは一時期エロいおばさんというキャラをブラさなかったのでどこでも使いやすかったし、今は病んじゃったけどハリセンボンは真っ当に男の漫才をしていて露出機会が多かったし、芸人として好感を持てた。
(o´・ω・`o)「もういい…それ以上はやめておけ…貧相なオマエの自己紹介が捗るだけだぞ…」