スポーツでも、化学実験でも、仕事でもいい、何かが上手くいかないとする。
その原因が、努力不足だったり、勉強不足だったりしたなら、それは自分の落ち度だ。
そのことで周囲から叩かれても当然だし、できるまで努力すべきだろう。
しかし、限界まで努力をしたうえで不可能ならば、それは自分の落ち度ではない。
そのことで叩かれるのは不当だし、見切りをつけて別のことをすべきだろう。
さて、『限界まで努力した』ことを自分や他者に証明できるような証拠とはなんだろうか?
……これは倫理的にも実際の損得で考えても良くはないのだが
『病気になる』か『偶発的に事故を起こす』しかないのではないだろうか。
ひいては『落ち度のないこと』の証明はできないのではないだろうか。
なったら、なったで勝ちなのだ。
辛い状況が努力不足ではなく、能力の限界であることが証明できて、
大手を振って逃げてもよいこと、むしろ逃げるべきであることが証明できたのだから。
「そうだよな? お前ら全員、この事実を認めろよ」ではない。
俺は追い詰められるとどうしてもこの理論が頭に浮かんでしまう。
そして、『限界である証明』をして、『自分に落ち度がない証明』をした後じゃないと、
やったほうがいい・やるべきであるとされる、とても辛いことをやめられない。
高校の部活も、大学の研究室も、新卒で就職した会社も、転職先の会社も
もっとも、叩かれたくないから落ち度がない証明をしたはずなのに、何人かは『努力不足』だと叩いたが。
あとは能力不足なら存分に叩いてくれていいが、お願いだから根性や人間性の問題にしないでくれ。
ありがたいことに3社目の就職が決まってしばらく経つ。
ただ、どうしても、ふと湧き上がる、こういう考えを止めることができない。
倫理的にもアウトだし、自分も周囲も得をしないことはわかっているのにだ。
とてもじゃないが相談できる内容じゃないし、完全匿名の場所でなければネットでも書ける内容じゃない。
誰か助けてくれ、頼む。
自分に瑕疵は無い(瑕疵を抱えてはいけない)、自分は批判されたくない(批判されてはいけない)という妄執で頭がいっぱいになった病人だな。 心身に障害や疾患を抱えることは明ら...