私は高校中退資格なし、顔も頭も悪いどこにでもいる24歳の底辺だ。
かろうじて滑り込んだ今の職場になんとかしがみついていたら妙に待遇が良く、しかし生活リズムの合わない職場に嫌気が差し、最近は身の程を弁えない転職欲なんかも湧いてきた。
私の周りにいる同世代の人間は職場の同僚、職場外の友人を問わずして私よりワンランクだけマシな人間たちだ。
たとえば私と違ってなんらかの資格を持っていたり。高校を卒業していたり。そんな感じの人たちだ。
これについて私はちょっと意外だった。こういうのは『もっと頭の良い人やる気に満ちた人たちがやるもの』だと思い込んでいたからだ。
スキルを磨こう! とか、俺の実力ならもっと稼げる! とか、やりたいことがある! などなど……そういう前向きなものだと思っていた。
しかし私の周りの人たちは違う。
夢も希望も無いけれど、とりあえず今の仕事が嫌だから転職を目指している。アテがあるわけじゃないけど、なんとか転職できないかなと頑張って探してる。
自分で転職について考えたとき、結局は答えが出せずに「私のような人間がやるべきじゃないな」なんて思っていたけれど、周りの人たちと話すうちに実はそんなことないんじゃないか? と思い始めている。
私を含め周りの人たちは学歴もそうだが、外見や運動能力に関してもあまり良いとは言えない。
それでも美容や身だしなみに気を遣ってみたり、運動してみたり。自分でも「それって意味あるの?」みたいなことを思いながらも、とりあえずやってみている。
私はブサイクだけど、それでもちょっとでもマシに見えたらいいな。ちょっとでもマシに見えたら外を歩く時も背筋を伸ばせるかなと思いながらやっている。
きっと転職なんかもその一環なんだと思う。
大それた夢を描いても叶いっこないと最初から諦めて。言われるがまま安定を目指して。途中でちょっとだけ道を逸れたりしながら何かを大きく失敗するわけでもなく、なんとなく生きてなんとなく大人になってしまった世代が今の25前後の世代だと思っていて。
いざ大人になって社会人として過ごして数年が経ち。ある程度仕事に慣れたり、自分で自由になる金ができたとき、自分というものの空っぽさに驚く。
今は空前のSNSブームで、誰もが自分を発信できる時代になっている。でも、頭も悪く、夢も希望も無い僕らには発信したい自分すら見つからなくて、でもいい大人に片足を突っ込んでいる時期で。何者にもなれず取り残されそうな気持ちになりながら、それでも自分の中に生まれた本当にちょっとした欲求。嫌な職場を離れたい、ちょっと筋肉を増やしたいとか「今よりちょっとだけマシになりたい」って気持ちでみんな悩んで苦しんで、これからの人生を生きていくんだと思う。
明確なゴールがない分満足できれば終わるけど、満足できなきゃ終わりがない。延々と少し足りない飢餓感に苛まれる。自分は誰だと問いかけ続ける。色んな職場を渡り歩きながら、自分に合う資格を探しながら。
それでも、苦しみながら動いた分、きっと明日の僕らは今日よりちょっとだけマシになっている。自分ではわからなくても、ちょっとだけマシになっていると信じて生きていきたいなと思った。
お前結局流されてるだけじゃねーかそれ。 今を変えたいんじゃなくて、今じゃないどこかに行きたいだけ。 どこに行きたいかも明確じゃないのに、どうやって今を変えるんだよ。 確か...