「誰も悪くない」、です。
この言葉は、耳を通り透けて抜けていく。
こと言葉が、耳を抜けていく。
意味がない。
だから耳を、抜けていく。
なぜ意味がないのか。
何故か。
考えてみた。
…知っているから。
(記憶を辿る)
…なので、意味がない。
私は、そう思う。
私は、そういう立場でいる。
私の頭の中ではそう結論付けられている。
他の人はどう思ってもいいけども。
私は、そう思っている。
そこまで考えてくれたのは嬉しいのだが、
ちょっとまって欲しい。
「誰も悪くない」
もうちょっと、
言葉通りに、
考えて欲しい。
「誰も」「悪くない」
そう、
誰も、
悪く、
ないのだ。
これってすごいこと…
…って言うと思った?
逆。
すごくないのよ。
「誰も悪くない」って凄くないのよ。
普通のことって言っても、
ご飯を食べる、
夜に寝る、
そういうこと、じゃなくて、
じゃなくて、
じゃなくて、
違うってことでえ、
あの、
そういうことが「ある」ことを
「普通」って言うのなら、
そういう普通と同じ…
同じって言いたいんだけれども、
けれども、
実はそうじゃない
違うんだよ、
違うんだ、
紛らわしい言い方だけどごめんね
そうじゃなくってえ、
違ってえ
えーと、
何だ、
どう言えば良いのか、
語彙力
語彙力の無さ
なんかこう、
イメージ的には
こう、
グウウワアン、
って感じのやつが「普通」って感じで
今私が言いたいヤツ
語彙力よ
足りなくてごめん
それはなんか
・シュドト・
ってな感じ
いや、
はい、
わからない
わからないのは当然
でも、
なんか、
伝えたかった、
わからなくても
伝えたかった、
それは別の話
「誰も悪くない」という句
句でいいのか?
この言葉の塊
これが、
最近、
って思って
そんなに大事にしなくても
って思って
そう、そうなのよ、
そんなに大事にしない
そう、それで良いんじゃないかな
そんな程度でいいのかなーって
あ、
でも、無下にしてはだめ
ほんとうに聞き捨てて良い言葉と一緒にしてはだめ
「ごめん、何言っているか分かんないよね」という言葉は、如何にも相手に赦しを懇願しているように聞こえ、時によっては相手を侮辱しているかのようにも聞こえることもあり、得てして使い勝手の悪い常套句であると思われがちだが、単なるコミュニケーションツールとしてはある程度使いやすい常套句であり、そもそも「ごめん、何言っているか分かんないよね」という言葉自体は、総じて数多の人間はしっかり理解できるわけであって、それはつまり意味の分からない、むづかしい話をした際に、少しわかりやすい話をするため、それによって多少の共感を得るために使用することでコミュニケーションを円滑に行う、といった効果を得るものだと、大体の人間は無自覚的に察しているのだから、それはあまり邪険にすることは無いんじゃないかな、とは思いたいが、実際の自分はそんな感情に持ち込めているかどうか不安なので、まずは我がふりを直して臨みたいと思う、こんな土曜日の昼に思ったことである。明日の日曜何しよかな
あの……今日日曜日です あぁ……昨日の日記が今日 まぁ……