というのは至極当たり前なのに、具体論(例えば、タバコや飲酒)になると、容易に他人の自由を奪おうとする人間が多すぎて怖い。
むしろそれが、理性で自由を押さえ付ける理性的行動であるかのような受け止められ方をしていて、感情ある人間としては恐怖を感じる。
ここ数年のインターネットは、他人の自由を理屈的かつカジュアルに奪うことが密かな快楽みたいで、本当は自分が不快だからというだけなのに、
なにかしらの社会的理由で上手く糊塗して他人の自由を気軽に奪って、その見えない他人を傷つけることに喜びを感じる人が多い気がする。
もちろん、その本人は、自分が不快に感じる特定の自由だけを拒否してるつもりなんだろうけど、それが自由からの逃避というムーブメントとなり、
国家権力が介入するようになったら、他人の自由を奪うんじゃなかった…と嘆いても遅いと思う。某作家がそういう小説を描いたのもわかる気がする。
それが多数派となるだけでも社会的圧力が怖いのに、多数派が法的規制として要望し、国家権力がその自由に介入してきたら…と考えないのだろうか?
だから、自分が不快を感じたからといって、気軽に他人の行動を制限するような発言はすべきでない…とは言わない(それでは元の木阿弥だ)が、
カウンターとして自分の自由が奪われる覚悟や、社会が困難(例えば、公園で遊べない問題とか)を抱える覚悟を持って発言すべきだと思う。
これは差別問題やいじめ問題と同じことだが、他人の気持ち、つまり、それを奪われる一人の人間の気持ちも考えた方がいい。
あなたの奪う自由は、あなたの大切にする自由と、自由を社会が容認するかという意味で地続きなのだから。
私も、「飲酒って全面規制してもいいよね」というカジュアルな増田に付いた下記のトップブコメに強く共感する。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181113220755
🐈じゃ増田くんのデスクで💩したろ
そうやって迷惑を掛け合える関係って大事だよね。
依存性と健康被害で言えば煙草・酒と砂糖・塩・油脂はどっちも変わらないんじゃねーかなー?
お気持ち放火にせよ国家権力にせよ、自分の思い通り気に食わないものを殴ってくれる分には構わない(そしてそうじゃないから、さも我々は権力の暴走を危惧していますみたいな面し...
核不拡散条約 はい論破
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自由を奪う本人は、この自由はOK!この自由はNO!みたく、賢く選択してるつもりなんだろうけど、 世の中で、自由は規制されて当然って雰囲気が醸成されれば、たしかに一網打尽だよな...
だいぶ理性的に考えてるな こういう文章が書けるように努力せんと 自分はもう、ネットで出てくるそういう言論はもう見えないようにしてる ブロック、ミュート、非表示 どんなにその...