自分にとって最悪とは死ぬことだ。意識不明が長期間続くこともそうか
実際問題として、本当に最悪なのは生かさず殺さずというか、酷い苦痛を与えながら生き永らえさせられることであろうとは思うし、そういう状態で舌を噛める余裕が残されていたとしても舌噛んで死ぬ自信はないのだが、まあそういう状況にはならないだろう。なんて思ってる。
学生時代、友人たちと”押したら全人類が死亡するボタン”を押すか押さないかという話をしていた
自分は勿論押す派
中二病拗れの延長でもあったと思うが、自分自身に価値はない(無価値ではないが代替も効くし絶対的存在ではありえない)し、親兄弟、その場に居た友人たちですら、苦痛を覚えず死に至るのであればそれでよいと思ってた。今でも思ってる。
子供も生まれたが、結局全てに優先して生かしたい存在ではないし、精々、自分の犠牲とかと引き換えにするぐらい。
トロッコ問題的な状況で、自分の行動が数人と引き換えに我が子を生かす、といった状況であれば動けない、選択できないのではないか
今だってできれば幸せになって欲しい人はいるし、そのためなら多少の犠牲は払えるとも思っている、が、その閾値が限りなく低いのだろう
自分が無価値だと思うから他人も無価値だと思ってしまうのか、そもそも根底からして他の人とそーゆー観点? が違うのかが未だにわからない
ゆーて、みんなちょっと(月に数百円とか数千円とか)我慢したら救える命があるのにそういうところを見ないふりしてるのと同じで、エリアが極端に狭いだけなのかもなどとも思ったり
とにかく、そういう観点で生きてるから積極的に人に迷惑はかけたくないけれども、消極的になら悪人のふるまいをしてしまうとおもう
あんまり不自由なく暮らせてるから生まれてきてすみませんとか思わないけれど、ちょっとバランス崩れると生きてる意味がほんとうにわからんくなるだろう