小学校から帰ってきた息子と話をしていて、自分が小学校のときに同調圧力に負けそうになったことを思い出した。
たしか小学校1年生の時の算数の授業で、「みかんとりんごを2つ買ったらいくらになりますか?」といった問題だったと思う。
自分はみかんとりんご二つ分の値段を計算して答えたら、みんなと答えが違う。
先生が「増田くんと同じ答えの人いる?」と聞くと、誰も手を上げない。
別の子に当てて答えさせたら、その子と同じ答えだという人がクラスの全員だった。
明らかに、クラスの全員が、増田バカなんじゃね?という空気を出していた。
その子は「みかんを2つ、りんごを2つ足したら、この値になります」と答えた。クラスのみんなが頷く。
先生はその後で自分を指して、「増田くんはどう思いますか?」と聞いた。
僕が間違っています、という返事が喉元まで上がってきていて、早く楽になりたいという気持ちがよぎった。
でも、絶対におかしい、と思ったので「みかんを1つ、りんごを2つ足しました」と答えた。
最初に答えた子が「いや、みかんとりんごを2つなんだから、みかんを1つはおかしいと思います。」と言った。
クラスのみんなが、なんでこんな簡単な問題で時間を使ってるんだ、早く次に行こうよという顔をしている。
勇気を振り絞って「両方とも2つだった場合は、問題文には、みかんとりんごを2つずつ買ったら、って書いてあると思います。」と答えた。
授業のベルが鳴り、先生は「次の時間までみんな考えてみるように」といって授業が終わった。
大人になってから、社会心理学について書かれた本で同調圧力の実験が書かれていた。
自分は専門ではないので、詳細は忘れたが、すごく簡単な問い(たとえば,現在のアメリカ大統領は誰ですか?)に対して、
自分以外の被験者は全員サクラで、次々に「はい、ヒラリークリントンです」「私もヒラリークリントンだと思います」と答えていき、
自分の番になったとき、「(トランプだとわかっているのに)ヒラリークリントンです」と答えてしまう人がかなりの割合でいるという話だった。
この実験は本当に恐ろしいことを表している。
小一のときのクラスのみんながサクラであるわけがないが、僕は心の底から自分の信念を曲げて、
「僕が間違ってました」と言いそうになった。あの気持ちが、きちんと学問として定義され、実験として実証されているということに驚いた。
僕は今、社会心理学とは無縁の分野で、東大で教鞭をとっているが、いまだに同調圧力にどのように対抗すればよいのか、
空気を読まずに答えればいいと言われるかもしれないが、まずは人間がとても弱いことを認めることが重要ではないかと思っている。
授業では、社会心理学とは無縁であるにもかかわらず、このエピソードを紹介し、
うんち
「東大で」の一語で全て台無しになっている