現代日本のインターネットで行われる色々な議論を見ると、「そんな余裕はない」がほぼ万能にして無敵の反論になってきている気がする。
人に優しくしましょう、助け合いましょう、気を使いましょう、共同体を維持しましょう、セーフティネットを拡充しましょうetc。
小学校レベルから政治談議レベルまで何を話しても、「助け合いは重要なのは認めるがそれは余裕のある人がやってくれ、自分には日々を生きることで気持ちも物もいっぱいいっぱいだから身を削って他人を助けることはできない」で終わる。
たとえばお金の話。
消費の活性化が必要、企業も家庭も金を溜め込まずバンバン給料払ってバンバン物買って回そうetc。
これも「マクロでは消費が大事なのはわかるが、今のウチの状態で金払いを良くしたらマクロが改善するまでに破綻して飢えて死ぬ、もうちょい余裕のある人から消費を始めてくれ」。
子供の泣き声を大目に見ようってのも、毎日消耗してそんな心の余裕はない。
五年後の世の中をよくするための活動を訴えられても、今日の社会が不安定だからそんな余裕はない。
甘いもの食べすぎない方がいいよってレベルでも、バカ食いしてストレス解消しないと今夜手首を切っちまうから食うべきとなる。
他人からの説教だけじゃなく、自分の中の「あー、これしてたらヤバいんだけどな」という理性からの声にも「でも目先のメリットを取らねば死ぬ!」が9割方勝ってる人多いでしょ、たぶん。
この状態の何がやばいって、「長期的、理論的に良い方法が分かってる人でも、その上で刹那的選択を堂々とできてしまう」ってこと。
どれだけまじめに説得とか説明されても、「あんたが言ってるのは正しいけど、正しさを選ぶ余裕がない!」で終わる。
これもう、話し合いが成立しなくなってきてる気がするんだけど、大丈夫なのかな。
でもそこを否定しちゃうと「政治的正しさのために今日飢えて死ね」って言うしかなくなるし
そりゃまあそうだし、「余裕がない」がかなり問答無用な説得力を持つこと自体はいいんだけど、だからこそ乱用してはいけないはずだったと思うんだよね。
だから子供のころの道徳教育って重要なんだろうな
痴漢とか知らねえから女性専用車両は無くせ差別だから、ってことやな 女性専用車両増田元気かなあ
ちょっとずつでも改善には動いてるんじゃない? マウンティングとか暴言とかパワハラが人間関係を汚して人々の心の余裕を無くすのも、だんだん認知されてきた。 自分が励ましや共感...