話題になった「ちょうどいいブス」に関連した話。
俺は俺自身をコミュニケーションが下手だと思ってるし自覚をしている。でも人に愛想を振りまける程度にはコミュニケーションができる自信がある。顔見知りなどにはなりたくないが店員さんには丁寧にあいさつができる。自分から話したくないけど人の話には「なるほど」「そうなのね」といかにも聞いてますよ~と相手に思わせられる(だろう)相槌を打てる。さらには自分から話すこともできる。本当は話したくないけど、ない話をしぼって相手の話の隙間を埋める。俺は自分を出さず相手を肯定するので、コミュニケーション相手には「ちょうどいいコミュ障」なのだと思う。
そんな生き方をしていると所謂リア充からお呼びがかかる、下手だけどそれなりに話せるし愛想がよいから。コミュニケーション強者を相手にするのはやっぱり疲れたが、これは別に良かった。一度は誘ってくれるリア充でも継続的には遊ぶ仲にならなかったからだ。俺の積極性のなさとか不器用さとかやはり彼らの感覚には合わないだろうし、俺も彼らの感覚と合わない。離れて当然だし望ましいことだ。
ところが大きな問題になったのがリア充からひどく気に入られてしまったことだ(高校と大学で合わせて2人)。 そのくせそいつは俺のコミュ障を見抜いたうえで勝手に目に余らせている。俺を遊びに連れて行こうとしたり誰かと合わせてようとしたりスポーツをさせようとしたり酒を飲ませようとして俺を人と関われる人間に無理矢理育成しようとするのだった。なんとも余計なお世話だった。そいつからしたらコミュ障のためにリア充が手を差し伸べるという"良いこと"をやってるだけだと思ってんるのか知らんが、俺は嫌だっつってんのよ。本当に。
そのうえ、俺がそいつらの閾値を超えて思うようにならないと機嫌をそこねるし、俺をダメだと説教するし(大学のそいつは+酔っ払い状態)つらかった。そいつらは情が厚い人間なので全部俺の為を思ってこそだといわんばかりだった。今でこそクソくらえだと思うがその時は必死に機嫌を取るし言い返せないし俺はダメなんだと内面化したりしていた。
今は縁をほぼ切ることができて平穏が訪れているが、そんな今は自分の愛想がいいから駄目だったんだなと思った。俺がもっと喋らなければ態度を悪ければきっと出会っても関係を深めてこようと思われなかっただろう。ここで最初の話と絡めるが「ちょうどいい」というのは厄介な奴が寄ってきやすい属性だと感じる。件の「ちょうどいいブス」もかなりコミュニケーション強者ではないと無暗に意識してはいけないと思う。あと俺と同じでちょっとできるコミュ症の人がいたら厄介な奴とずるずるにならないように気を付けてほしい。