2018-11-18

インターネット正義が怖い

常に社会に怒りを感じているタイプの人がいる。

もっと楽しいことに時間使えばいいのにとも思うけど、それはその人の自由なのでまあ自由にやってもらえばいい。

問題は、ちょっと失敗したり不謹慎だったりするだけの特定個人に対し、正義を盾にTwitterはてブで責め立てたり個人情報を暴こうとしたり職場学校電話をしようとしたりする連中だ。

彼らは、自分の行いがコンビニミスをした外国人店員を怒鳴りつける老人と同じだということに気づいているだろうか。

別に、彼らが100%間違ってるというつもりはない。大抵の場合、そのとき責め立てられる個人には非がある。軽犯罪を犯していたり、ポリコレ抵触していたり、あるいはそれらの直前だったりする。

ただし、このとき考えないといけないのは「ミスをしたコンビニ外国人店員炎上した彼や彼女のしたことはどの程度の悪なのか」「それに対し、与えられるべき罰や責めの重さはどの程度なのか」「自分は彼らを責めるべきなのか」だ。

また、様々な宗教文学偉人の教えを引くまでもなく、一切の悪や失敗を行わずに生きている人間はいないし、その罪には軽重がある。それは、今正義の側に立っている人々だって、私だって同じだ。

正義は世の中を良くする行いであり、同時に娯楽だ。正義を主張することは気持ちいいものなのだ。我々は、正義を娯楽として使っていないか自分自身に対して批判であるべきではないだろうか。

全ての悪や失敗が許されない世界、品行方正な人間しかいない世界ディストピアしかない。私には正義肥大化、悪の許容度の低下が進んでいるように見える。そして、それが恐ろしい。

何が言いたいかというと、もう少しやんちゃ迷惑ルール違反に寛容になろうよ、あるいは適度なところでやめようよ、って話です。

  • それにお前らが嫌な思いをしようが俺の知った事ではないわ だって全員どうでもいい人間だし 大袈裟に言おうがお前らが死んでもなんとも思わん それはリアルでの繋がりがないから つ...

  • 彼らもリアルではしょうもないことで罵倒されているんだと思うよ。 だからそういう接し方や思考回路が染みついていて本人にもどうにもならない。

  • 虚構(フィクション)としての正義が娯楽なのであって、現実の正義は娯楽ではない。 奴らが正義をどう捉えているかは知らないがね。

  • https://anond.hatelabo.jp/20181118201810 自分で答え書いてんだよね 問題は、ちょっと失敗したり不謹慎だったりするだけの特定個人に対し、正義を盾にTwitterやはてブで責め立てたり個人情報...

  • いや、やんちゃしたことやその他良くない行為を ネット上に載せて世界中に発信しちゃうのが馬鹿ってだけだろ。 その馬鹿のせいで会社や学校とかに迷惑かけるんだから そのくらい幼...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん