運動の中でも特定の要件を満たしたものを、スポーツと呼ぶのである。
球技の類なんかは、
戦争だか処刑だかで殺した人間の頭を蹴り飛ばしてたのが起こりだ。
「紳士的であること」がルールの中に盛り込まれてるのは、そーいうこと。
階級持ちの人間たちが行う遊戯だったりなんだったりするために、
運動から野蛮な要素を取り除き、エンジョイ部分だけを抽出する過程があるんだよね。
汗水垂らして必死こいて、汚くても勝てばよしみたいになってしまう。
「部活動」なんか、国が国なら人権侵害だと眉をひそめられるよ?
文化部における「コンクール」が全然その文化における昇華の形に見えない件とか。
まあとにかく、線引きがあって、それを下回るものは認めないんよ。
ルールの中でチームが協力し、別のチームに打ち勝つという過程が大切なのだ。
ルール無用、過程を問わず勝ちだけを競うのは、それはもうスポーツじゃない。
それを踏まえて、件のアメフトの件。
頭蓋蹴り遊びで勝ちに執着したとすれば、合点がいくでしょ?
関大が「大学間の関係だけではないよ」って言ったのはそういうこと。
日本のアメフト界がやってんのはスポーツじゃねえんだな、そう認識されるから。
そんなもんに、ご子息の将来を預けるわけねえし、見に行く人種も変わってくる。
企業だってスポンサーを降りざるを得ない。選手らの将来も暗くなる。
それで良いのか?と問いかけたわけですね。
そんな感じ。
少し掘り下げてみるだけで、議論の質は変わってくるよ。
まあ大学スポーツなんて言っても75%ぐらい看板に偽りありなんだよね 最大限穿った見方をしちゃうと、学生とは名ばかりのスポ薦と称する傭兵が朝から晩まで部活して、母校の名を売...
なるほどな、そっちの方が現実に沿ってるな だとしたら、不幸だったのはその現実を知らない子が入っちゃったことか 自分が目指しているのがスポーツ傭兵だと知っていれば、彼はそれ...
いや何言ってんだよ、傭兵だって知らなかったわけがないじゃん 理不尽な監督でも従っていればその先にいいことがあると思っていたからこそ、あんな反則したんだから