子供の頃、悪いことをして怒られて謝った時に、
「謝ればすぐ許してもらえると思うな」みたいに余計に怒られた記憶があるのだが
自分としては、怒られたら謝らなきゃいけない、それが正しい行動だと教えられたから謝ったのであって
許してもらおうとして謝ったつもりはなかった(無意識にそう思っていた可能性はある)
その後、じゃあ許しを請わずに謝るためにはどうすればいいのかと考えた
行動で失敗を償うのは、それが償えることならばいいがそうでないと有効じゃない
「ごめんなさい」という言葉はそれ自体、「免じる」つまり許しを請う意味がある
「すみません」「申し訳ありません」ならば、どうすることもできないが悪いことをして辛く思っている、というのが伝わるかと
それを使ってみたが、子どもが親に対して言うと逆にふざけているように聞こえてしまって、駄目だった
この年になって考えてみると、そもそも謝罪という行為自体が、許されるためにするものなのかもしれない
子供の頃は「悪いことをしたら謝る」と覚えていたルールは、実は「許されたければ謝る」というコミュニケーションコードだったのかも
それに冒頭の怒られているシーンで謝らなかったとしても親が怒りを収めたとも思えない
あれは「謝るな」「許されようとするな」という意味ではなく、謝るのは最低限のラインで、それ以外に+αで何かせよということだったのかも
むしろ、もっと積極的に許されようと努力しろ、という意味であったとさえ解釈できる
そうだとしたら、許しを請わない方向で考えていた自分は全くのトンチンカンであっただろう
親としてはうっかりミスなどについて、再発させないための防止策を講じよという意味だったのかも
当時は、悪意や故意によるミスじゃないので、「もうしない」と宣言しても起こるかもしれないからどうしたらいいかわからなかった
例えば何かの予定をうっかり忘れてしまって怒られた場合、忘れるという行為が悪として怒られていると解釈して
「もうしない」に対応するのは絶対に忘れないことだけであると思い込み、そんなことはきっと不可能だから宣言をしても嘘になってしまうと思い
物理的に可能なことをと考えた結果、「罰を受けます」などと発言してさらに親の神経を逆撫でしていた
システム面での再発防止策という発想も無かったし、そういう対策を打った結果、それでもミスが起きても
その時は多少は努力を評価してもらえるかもしれない、ともまったく思いつかなかった
親の手伝いをするなど別の行動で反省の意を示す方法もあったかもしれない
しかし当時は、怒られたことと直接関係のないことで機嫌を取るのは卑怯な、それこそ自分の罪と向き合わない賄賂のような行為と勝手に思っていた
思い出せば思い出すほど、自分は話の通じない子供だったのだろう
それで親もイライラして嫌になったのだろう
それに冒頭の怒られているシーンで謝らなかったとしても親が怒りを収めたとも思えない あれは「謝るな」という意味ではなく、謝るのは最低限のラインで、それ以外に+αで何かせ...
丁寧な解説ありがとう 「そのまま怒られ続ける」がある意味正解だったのですね それは目から鱗でした ただ当時の自分はそもそも、何を怒られているかについて大きく誤解していた...