コンプライアンス、道徳意識、人権、そういったものをどのように扱うかという点で二極化が進んでいると思う。
あるいは、その中間として認められる領域が狭まっているということなのかもしれないけど。
例えば男女問題。「これはセクハラです」「これも性暴力に当たります」「この行為は女性をものとして扱っている」
こういうことを、空気の読めないイケてない男が遵守しようとすると、「女性にはアプローチしない」という解が出てくる。
一方、それらを気にしないオラオラ系の男は数うちゃ当たる的に女性をひっかけ「成功体験」を積み重ねていく。
勿論、正しくコミュニケーションがとれていれば問題ないはずなのだが、その能力のない人間は多分、たくさんいる。
今ちょっと事業を起こしてみたいと考えてはいるんだけど、様々な規制や、今後の売上を考えると、真っ当な事業者として
雇用者としてやっていけるか不安で足を踏み出せないのだけど、オラオラでやれる人は「成功」するんだと思う。
各放送局は放送法以外にも視聴者からの声で番組制作に制約が増え番組がつまらなくなっている、
なんて話がある一方で、アマゾンビデオの「カリギュラ」は「テレビではコンプライアンス出来ないこと」を扱うことを売りとしている。
どのような失敗、どのような悪が許されるか許されないかの判断基準が多様になってきて、その公約数を考える人と考えない人ってことなのかな?
ごめん何言ってるかわかんない