2017-06-23

赤の他人家族になることに必要ものを考えた

海外ドラマを見ていた時の事。ドラマ上ではある家族が生きるか死ぬかの瀬戸際で、父親自分犠牲も問わず家族を守ろうとしている。

父と母は子供の目の前でハグをし、キスをし、愛を囁き合っている。無論両親は子供にも愛を誓い、ハグをし合っている。

私はものすごく感動してしまった。

日本という国では、人前でキスをすることは美しい事とは言えないお国である

実際私もそこまでしなくてもいいかな~と思う。恥ずかしさとか奥ゆかしさってすごく色気あることだとも思う。

それは全然構わないのだけど、それが過ぎてのことか日本人愛情を伝えるということを億劫にしすぎなのではなかろうか。

実際私は両親が愛情を伝えあっている図は見たことがないし、自分彼氏愛情を伝えるということは希薄であると思う。

そんな状況の中で「自分はこの人から愛されているのだ」と感じることってできるのだろうか?

伝えない感情というのは、あってもなくても同じものなのではないかと思う。自分の中だけで生まれて、自分の中だけで消えていくもの他人の目につくはずがない。

席を譲ろうと思う優しい気持ちも、行動に移さなければ他人の目に触れることはないし、あいつを殺してやりたいと思ったとしても、行動に移さなければ逮捕されることはない。

もともと赤の他人である恋人」「夫婦」という関係の信頼は、伝えるという手段の他、積み重ねていく方法はないのではないかと思う。

恥ずかしいとか、誰かに知られたらいやだとか、もったいないんじゃないかと思う。

せっかく誰かを好きになって、相手も好きになってくれて、それなのに恥ずかしいからどうのってめちゃくちゃ損してるんじゃないか

伝えられないことを他人のせいにして逃げまどっているのもどうかと思う。他人の目しか気にして生きられないなら一生そうして大事もの大事にしないで生きていけばいいと思う。

そうした人生最期に、看取ってくれる人はいるのだろうか?

昨今はまじめなことをすると、過半数を超えた頭の悪い人達が「ウケるwwww」と言ってくる時代なので、

自分正義を全うして生きることは難しいのかもしれないが、どうかそれが大事ものを守れなくなることにならないといいなと思う。

あと好きとかキスとかしすぎると「価値がなくなる!」と嘆く人がたまに居るが、

もし明日死んだとしたら昨日伝えなかった愛情にどれくらい落胆するのか考えてみてほしい。好きと伝えすぎてもキスをしすぎても何も減るものはない。

などと大口を叩いておきながら、私は愛情を伝えても返ってこないことに落ち込んでいる。

まだまだ見返りを求めている証拠なのだろう。今度はそこをどうにかして乗り越えたいと思う。

明日死んでも落ち込まないように愛情を伝えて生きていけたら幸せだ。

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