Should be thankful that there was no damage.
これは直訳すると、
となる。
しかし、正確には
と翻訳する方がよいのだろうか?
文中には神という対象が明示されてないから、翻訳にわざわざそのニュアンスを入れるのは違和感がある。
ここで感謝を向けるべき対象は、せいぜい「被害がなかったという幸運」とか「被害がなかったという結果」ではないか。
オスプレイ事故でデマ、「朝日新聞が意図的な誤訳」にソースなし 米軍司令官「感謝されるべき」発言
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/osprey-crash-in-okinawa-debunking
追記
今回のオスプレイ事故で、米軍の司令官の発言とされた"should be thankful that there was no damage"にはソースがなかった。Calci氏は一応謝罪ツイートを出していたが、デマを飛ばした動機・経緯を全く説明していないから、いろいろと謎が残る。
今回彼がおかした問題行動は、ソースがない英文を事実だと偽って流布したというだけではない。この英文を翻訳するときに「神に感謝」というニュアンスが正しいと主張したのである。しかもそのことについて、"ネイティブの翻訳チーム"に確認を取ったとも主張していた。
そうというわけなので、ここではただ純粋に、"should be thankful that there was no damage"という英語を読解していきたい。ネイティブがこの言い回しをつかった場合、神に感謝というニュアンスは自明なのかどうか。
追記2
キリスト教的な価値観に従えば、すべての幸運・結果は神のおかげということになるかもしれない。
そういう意味では、アメリカ人が「被害がなかったという幸運」とか「被害がなかったという結果」に感謝するというのは、結局は神への感謝ということにつながっているのだろう。
とはいえ、もし「神への感謝」というニュアンスが明確なのだとすれば、これはすごく宗教的で信仰のための言葉だということになる。
アメリカの無神論者や異教徒たちは、この言葉をわざわざ避けたりしているのか。ポリコレ的な問題にもなったりしているんだろうか。