ヘイトスピーチをやり始めたり、排斥を主張しだしたら自由とは言いがたいけど、「中国人や韓国人とは付き合わないようにしている」ってのをプライベートでやっているだけなら自由だろう。
たとえ差別心から来るものであろうと、個人がプライベートにおいて避けているだけなのと、あからさまに攻撃的な言葉を投げかけたり排斥を訴えるのは異なる。
例えるならば、「いくら検査がしてあっても放射能が怖いから福島の農産物を避ける」という選択を比較的おとなしくやっているだけなのと、「福島の農産物は危険だ」などと大声で口走って周囲・社会を巻きこむ行動をやることとの違いである。
ただし、従軍慰安婦問題における強制性の否定ってのは危ういと思った。
もしこれが「韓国人とは付き合わない」「韓国は嫌いだから韓国製品は買わない」ってぐらいなら個人の選択ですますことができるが、この問題の場合は「韓国が言っていることは嘘っぱちだ」「反日勢力・売国奴が大嘘を広めている」という形で政治的立場を表出するしかないのではないか。つまり、個人の選択をこえて周囲・社会を巻きこむものなのである。
自分が中韓を嫌いだからという個人的理由で忌避しているうちはよいのだけれど、デマにもとづいた正義感で民族差別を正当化したり、他国への蔑視を億面なくやりはじめる人たちは怖い。やはり良くないと思う。
(なお、従軍慰安婦制度における強制性は、日本政府も公式には認めるところである。日本政府は河野談話を踏襲しつづけているし、自民党をふくむ歴代首相がお詫びの手紙を書いていた時期もあるのだから、強制性を否定するってのはデマであるだけでなく政治的に見てもかなり極端だ。
自己の極端さを自覚しないままカジュアルに極端な政治的立場をとる、その現実認識のいびつさはネトウヨ的と言えると思う。まとめサイトに毒されるとそうなる。)